昨日、本棚を引き取りに明大前に車で向かった時、
そういえば今日は共通テストだ、明治大学のキャンパスも試験会場だろう、
過保護な親たちが周辺のコインパーキングを占拠して待っていたらやだなー、という話をした。
実際そんなことはなかったけど、
昼時に正門前を通ったら受験生たちが検温を受けて一人ずつ中に入るところだった。
会話しないようにと貼り紙がなされ、皆無言で歩いていた。
今年から共通テストに変わったなんだよな。
センター試験と何が違うんだろう。
英語の試験の実施にあたって、一部を民間業者にというのも結局見送りになって。
名前が変わっただけなんだろうか。対象となる科目が増えたりしたんだろうか。
科目の名前が変わっただけ、というのが一番ありそうな。
妻の友人と三人で駅前の中華料理屋で食べる。
(換気のため窓の開いた、窓辺の席で)
自然とセンター試験の思い出話となる。
学ランなのか私服なのかわからず、
私服で行ったら皆学ランだったので慌てて駅のトイレで着替えた。
荷物が無駄に多かった。
結局読み返すこともない参考書や問題集もたくさん抱えていた。
大雪だった。
弘前大学近くのホテルに泊まって試験会場まではすぐ。
二日間何の問題もなく受験することができた。
となったら各自家から行ってくださいということになり、
八甲田山の麓の雪深い場所でバスも遅れに遅れたかもしれない。
今、どうなんだろうと思う。
妻たちは熊本大学で受験したという。
昼何を食べたか、という話になって何も思い出せず。
宿泊先のホテルから弁当が出たのだろうか。
1993年か。あの頃はコンビニなんてものは一般的ではなく、
じゃあちょっと弁当をというわけにもいかなかった。
というかいろんなことを忘れてしまっている。
どんな教室で受けたのか、とか。
周りには誰がいたか、とか。
周りの受験生たちが皆頭がよく見えた、
高校で固まって受験したのではなかった、ということを今思い出した。
とても緊張していて最初の英語で失敗したな。
数学Ⅰはよかったけど、数学Ⅱ はボロボロだった。
空いている時間はひたすら参考書を開いていたんだろうな。
一番の思い出は弘前のホテルで同室になったクラスメイトが
風邪で高熱を出していて辛そうだったこと。
実際、全然実力を発揮できずに彼は浪人となった。
その後どうしたのかな。何も聞かない。
数年前、幹事学年だった時の同窓会の総会でも見かけることはなかった。
センター試験がきっかけになって
思い描いていた人生が変わってしまったのかもしれない。
そういう人は多いのだろう。
昨日のキャンパスで見かけた大勢の受験生たちにもそれぞれ
いろんな思い出が生まれて、そこから先の人生を変えていく。
幸あれ、と思う。
今、素の状態で受けたら何点取れるのかな、ということも思った。
国語、英語、社会では半分近く取れて、数学と理科はほぼ0点かな。