青森で外国人を見かけるということ

東京に住んでいると外国人をよく見かける。
観光客も、長く住んでそうな人も。
いつからこうなったのだろう?
90年台前半、バブルがはじけてからか? なんて寝床でなんとはなしに考えていたけど、
それってただ単に僕が1993年に大学進学で上京したからだった。
少なくとも言えるのは、あの当時青森市では外国人の姿がまだ珍しく、
東京では既に普通だったということ。


僕が小中高と青森市に住んでいたときに外国人を見かけることはほとんどなかった。
テレビや雑誌の向こう側にいる人たちだった。
観光客も滅多にここまで来なかった。
当時青森を訪れた人たちはよほどの観光ツウか何か特別な目的があったり、知り合いがいたのだと思う。
あとは三沢の米軍基地から休みの日に来た、上はタンクトップだけという感じにラフに軍服を着た
たくましい白人や黒人を年に数回青森駅前や新町で見かけるぐらいか。


もちろん彼らと話す機会など田舎の中学生、高校生にはない。
自分が習ってきた英語を使ってみるなど思いもしなかった。
それがコミュニケーションツールになるという発想がなかった。
最初に接点のあった外国人は
青森県青森市教育委員会が招聘したネイティヴの先生で
英語の時間にやってきて英語だけで話すんだけど、
当てられてもドギマギしてシドロモドロ。
どんなにゆっくり、簡単な内容で話してくれても頭が真っ白くなってしまった。


高校生になると、青森支部ができたのかモルモン教徒の若者が数人、
日曜ともなると自転車に乗って新町界隈を颯爽と走っていて
ティーンエイジャーを見かけると公園でバレーボールをしようとにこやかに話しかけるという。
同級生が何人か興味本位でついていったことがあって、本当にバレーボールをしたと。
あれも僕にとっては人さらいのように怖かった。


そんな青森も今は観光客を多く見かける。
先日同級生が同窓会の総会で
インバウンドの旅行業をテーマに講演を行ったときのスライドにあったんだけど
アメリカやオーストラリアの観光客から人気の東北の観光スポットベスト10に
青森県だけで6つランクインしていて、
「ねぶたの家 ワ・ラッセ」や弘前城弘前公園が上位に入っていた。
「ワ・ラッセ」は中国や台湾の観光客も支持していた。
東京〜大阪を結ぶいわゆるゴールデンルートはもはや目新しいものではなくなって、
リピーターはネットの口コミサイトを元に
北陸や九州のこれまでマイナーとされてきた観光地を訪れるみたいですね。
その波が東北、青森にも向かいつつあると。


それでも住んで仕事をしているという人はまだまだ少ないかな。
外国企業でわざわざ青森に駐在員を置くことはほとんどないと思う。
留学生や大学の講師の方が多いんじゃないか。
日本文化・文学の研究など。あるいは農業や自然環境。


青森にも外国人が多く住むようになって、
青森の人も普通に海外で暮らすようになって、
初めて日本は国際化したと言えるのだと思う。