Bo Gumbos 後期のDVDを見る

帯状疱疹でぐったりということもあって
昨日は朝から晩まで一日中 DVD を見ていた。
食事、シャワー、ブラタモリとお笑い向上委員会・世田谷ベース以外は、
となるので12時間以上見ていたことになる。
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Bo Gumbos 『HOT HOT GUMBO '92/'93』
Bo Gumbos 『タイムボカ~ン ボ・ガンボス解散』
 
Bo Gumbos は日本ロックの重要な局面を切り取ってきっと見応えあるに違いない、
特別な時に見ようと思っていたらずっと見ないままになっていた。
ほんとは酒を飲んで酔っ払いながら夜中ずっと延々、としたかったのだが、
薬を飲んでいたのでしらふで。それはそれでよかったのかもしれない。
 
Bo Gumbos は1987年結成、1989年メジャーデビュー、1995年解散。
ヴォーカルのどんとは2000年、37歳の若さで永眠。
Bo Gumbos は不世出のバンドであったし、
どんとは忌野清志郎や山口富士夫らを受け継ぐ不世出のロックンローラーだった。
生活の全てが愚直なまでにロックに直結して、それ自身がパフォーマンスになるというカリスマ。
どんとは子供みたいに簡単な、やんちゃな言葉で深いメッセージが込められた歌を歌っていた。
 
どんと以外のメンバーもスーパーバンドだった。
Kyon:ギターもキーボードもなんでもござれでニューオリンズといったいろんな音楽に詳しい
永井利充:どんととは前身のローザ・ルクセンブルク時代からというファンキーなベーシスト
岡地明:KYON同様一世代上の、地道にキャリアを積んだ凄腕ブルース・ドラマー
Kyonとどんとは京大の先輩・後輩の間柄で
Bo Gumbos は京都のなんというか、からっとした粘っこさを体現していた。
フィッシュマンズに『宇宙 日本 世田谷』というアルバムがあるが、
Bo Gumbos を一言でいうと「宇宙 日本 京都」
 
Bo Gumbos 自身は不完全燃焼のまま終わってしまったと思う。
ライヴの映像を見るとその時々で完全燃焼しているのに、トータルでは、という。
どのアルバムも軽く水準を超えていたけど、Bo Gumbos の魅力を伝えていたけど、
1作目の『Bo & Gumbo』を全然超えられなかった。
メジャーデビュー後、上下しつつも緩やかなトーンダウンが続いて
バンドとしても耐えきれなくなったということになるか。
 
Bo Gumbos はどんとの脱退という形で終わりを迎える。
最近、2020年じゃがたら復活についての ele-king 別冊を読んだ。
じゃがたらは中心人物の江戸アケミが、
その頃親交のあった Mute Beat もリーダーの小玉和文が、脱退という形で解散した。
江戸アケミはその後自殺、小玉和文はソロへ。どんとも病気で亡くなる。
自身がひとつのジャンルを形作るようなく強烈な存在感を持つバンドは
その核となるものが収まりきらなくなって崩壊してしまう。
 
『HOT HOT GUMBO '92/'93』
Bo Gumbos は「HOT HOT GUMBO」というライヴのシリーズを毎年行っていて、
90年から93年まで1本ずつビデオで発売された。
それが後に、90年と91年、92年と93年とカップリングされてDVDで再発された。
 
92年の京大西部講堂でのフリーコンサートは伝説と称されていた。
大型トラックを改造してステージを作り、
その上でけばけばしい衣装を着たメンバーが演奏しながら京都の繁華街を走る。
大勢のファンが後をついていき、居合わせた大人たちが訝しく眺める。
やがて西部講堂へと到着し、第一部はそのままトラックの上で演奏を続ける。
今なら絶対許されないだろう。
京都らしい、Bo Gumbos らしいアナーキーさがあった。
その賑やかな混沌は巨大な虹色の風車のオブジェが飾られたステージでの第二部に続く。
思い付きの鼻歌のような歌でありながら、
基礎体力の高さゆえによく練られたものとして観客に届く。
以前のアルバムの曲なのに、100年も200年も前から歌われる民衆の歌を
その場で発明していくような、そんな不思議な勢いがあった。
変幻自在。その場の盛り上がりに合わせて見る側も演る側も反応を返していく。
演奏する、歌に意味を与えていく、という行為の原点を見るようなライヴだった。
機会があれば、絶対見た方がよい。
 
93年のは、往年の洋楽カバー名曲集だけを演奏するライヴシリーズから。
黒人のパーカッションとコーラスをゲストに迎えて六本木PITINNで撮影されている。
このシリーズからは、ロック、ソウル、ワールドミュージックその他に振り分けられた
3枚のライヴアルバムとなってその中からは『Jungle Beat Goes On』という名盤も生まれたが、
やはり行き詰まってたんだろうなと。
3作目『Ultravelin' Elepahant Gumbo』がライヴ音源とスタジオ録音の融合
4作目『Bo Gumbo Radio Show "Gris Gris Time"』が架空のラジオショー形式
5作目『Go』がどんと主体のフォークソングをバンド演奏
と試行錯誤を続けてきた果てに原点回帰したかったんだろうけど、
戻るべきはそこではなく、彼ら自身の歌だったのではないか。
小さい箱で好きな曲を真夜中の六本木で演奏して楽しそうではあるが、
どこか無理が感じられた。
 
『タイムボカ~ン ボ・ガンボス解散』
解散宣言後、最後のステージ。1995年6月の日比谷野音
最初の方でどんとが、あっけらかんと「一人で歌いたいから」と。
余計な感傷はなく、淡々と演奏が続く。
彼らはいい曲を残したな、いい演奏をしたな、というただそれだけが空しく響く。
消化試合だけど、野球は好き、というような。
 
選曲としては、ソウル・フラワー・ユニオン中川敬が選曲したベストアルバムからは
もちろんほとんどやっている。
(ということは、ビデオのみの発表だった「君の家は変な家だなあ」も選ばれている)
そうなると「魚ごっこ」「トンネル抜けて」「どろんこ道を二人」など
1作目の『Bo & Gumbo』が大半を占めることになる。
そこに各アルバムからも少しずつ「Sleepin’」「ポケットの中」「あこがれの地へ」といった名曲を。
「光るビーズ男」「Candy Candy Blues」といった隠れた名曲に
「ラッキンロール」といった当時の未発表曲も。
曲の並びは意味があるような、ないような。流れがありそうでランダムなような。
中盤、Kyon が歌う「ワクワク」と永井利允の歌うローザ時代の「デリックさん物語」があって
ラストは1作目の代表曲「ダイナマイトに火をつけろ」だったりするところは
最低限の構成がありそうだけど。
 
それが、アンコールで吹っ切れる。
もう終わった、重荷を取り去ったということなのか。
天衣無縫などんと、Bo Gumbos が一瞬だけ蘇る。
永井利允は恋人が緊急入院で付き添うことになって代わりにプロデューサーがベースを弾く。
飛び入りで元ローザ・ルクセンブルクの玉城宏志がギターで参加。
Bo Gumbos の4人じゃなくなったことが、逆にかつての Bo Gumbos らしくなってしまった。
最後の「ボガンボラップ」は見事な幕引きだった。
 
ステージのバックに掲げられた巨大な絵は八木康夫によるもの。
じゃがたらのジャケットや解説も手掛けている。