塩鮭というもの

先週末、館山の温泉宿に行く途中、保田漁港の「ばんや」に立ち寄って昼を食べた。
その隣のおじいさん、おばあさんのやってる鄙びた干物屋で
ブリの味噌漬け、アジの干物、サバの干物を買って
一昨日、昨晩、今晩とこの順番で食べた。
この一週間、魚尽くし。
アジの干物、ふっくら厚くてうまかったなあ。
サバの干物もそうだけど小田原の「山安」のような手練れとは違う素朴な味わいがよかった。
 
ブリの味噌漬けもうまかったなあ、などと妻と話していたときにふと思い出す。
昔はしょっぱくて食べられないような塩鮭があったもんだけど、
塩の塊のような、ああいうのって最近見かけない。
冷凍技術、輸送技術の進歩なんだろうな。
スーパーで見かける鮭の切り身なんてプリプリつやつやしてて、塩気もほんの添える程度。
身も厚くて大きい。
 
昔の塩鮭は固くて小さかった。
棒みたいなのが一切れ、というような。
いや、あんなしょっぱいのが大振りで出てきても持て余す。
あれって、そのまま食べるよりもほぐしてお茶漬けにするとうまかったと妻は言う。
そう思うと、なんだかおいしそうに思えてきた。
塩の塊の向こうにある、あの塩サケならではの味があった。
 
冬とか内陸の山深い地域であるとか、
こういう塩漬けの鮭ぐらいしか魚の手に入らない時期、地域があった。
貴重品だったから少しずつ小さな切り身として分けられた。
今の若い人たちには考え付かないような味だろうな。
なんでこんなのをおいしいというのか、とすら思うだろう。
 
最高級の塩鮭ともなるとむしろ甘いのかもしれない、ということも考える。
塩に包まれていた表面は固く引き締まっていたとしても、中はふわっと瑞々しいとか。
富山や石川の老舗に江戸時代から続く老舗で……、とか。
もしかしたらあるんじゃないかと想像する。
その塩鮭に合う炊き立て御飯もまた粒ぞろいで。
米どころだろうなあ、などと。夢想が広がる。
 
あるいは海も空も鉛色の北風がビュービュー吹いている小さな漁村で
今も変わらず樽いっぱいに詰めた塩につけているとか。
おばあさんの手が皺だらけになっている。
ただもう何十年とそうしてきたから今もそうしています、というような。
そういう無口で武骨な塩鮭もどこかに残っていて欲しい。
 
あー食べたくなってきた。
どこかにないかな。