03/09-03/15

03/09(月)
 
昨晩飲みすぎて、というか寝る前に白湯や水を飲まなかったこともあって
若干二日酔い。都庁前で乗り換えてから具合が悪くなった。
オフィスに着いてから白湯を飲みまくる。
 
昨晩、R-1決勝を見忘れた。
マヂカルラブリー野田が優勝して上沼恵美子の名前を叫んだとのこと。
そういえば昨日のニュースで、練馬区からも感染者が出たようだ。
 
リリースまで一週間。
PowerCenterの本番移行手順書を作成。
それ以外特に差し迫ったタスクはなく、問い合わせもなく。
穏やかに時間が過ぎてゆく。峠は越したか。
これまでに試行錯誤で作成して
消し忘れたワークフロー、マッピングを削除してきれいにしておく。
 
外に出ると温かい。
新しく買ったステンレスマグ、性能が良すぎるのか朝入れた紅茶が昼過ぎでまだ熱い。
 
定時で帰る。
飯田橋駅近くの本屋に『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』の2巻があったので買う。
日曜に1巻を読んだ。最近妻が Twitter での更新にはまっている。
 
弁当の用意。鯖を焼く。
シャウエッセンのベーコンをそのまま焼いたのを今日の弁当に持って行って、
次はジャーマンポテトふうにしてみる。ジャガイモを茹でる。
夜は干物のイカ、玉ねぎサラダ、そら豆を茹でる。
妻が買ってきた半額の刺身。
 
酒場放浪記、逆転人生はゴールデン街の伝説のママ、町中華で飲ろうぜ。
見終わって妻と今後のことをあれこれ話し、気が付いたら午前1時。
 
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03/10(火)
 
要件定義の資料作成を再開。
合間合間に移行とか引継ぎとか。
昼、弁当。昼寝。
 
定時で帰る。雨。
ケーキを買って帰ろうと思う。
IMA地下で使えるクーポン券があったなと財布から出す。
1,000円だと思っていたら100円で全然足りなかった。
店員から指摘されて恥ずかしい思いをする。
 
弁当の用意。袋のハンバーグを茹でる。
夜は蕎麦を茹でるかと妻の帰りを待つが、終電になる。
安くなった春菊と小エビの天ぷらを買ってきてていたが、
日清の蕎麦に入れて食べる。
鑑定団。
『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』の2巻を読んで
23時には布団に入る。
 
妻が帰ってきて目が覚めたのは午前1時半。
 
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03/11(水)
 
東日本大震災から9年目。
 
本番移行まであと3日。今日も淡々と仕事をする。
要件定義の資料と、移行データの確認と。
アプリリリースは不具合が見つかり、二日延期。
 
昼、弁当。ハンバーグ、冷食のコロッケなど。
昼寝。
 
定時過ぎに帰る。
『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』の3巻を買う。
弁当の用意。豚バラ肉が割引になっていたので開花丼をつくってみる。
夜は干物の鯵を焼いて、大根おろしを摺って、みそ汁をつくる。
街録を見て寝る。
街録は来シーズン月曜となって町中華とかぶる。
 
NHKのニュースアプリからは一日中ことあるごとに
感染者が出てどこそこの自治体で記者会見と出てくる。
兵庫県姫路市とかこれまで何度も。
最初に見つかった場合はまだしも、何度も開く意味ってあるのだろうか。
 
妻の契約していた自動車保険が更新期限が来て、僕の名義で先日新規で入り直した。
保険会社から連絡が来て、この場合妻の契約の継続になりますと。
手続きの用紙が送られてくる。
 
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03/12(木)
 
隣でアプリの移行作業。
僕もその後、PowerCenterの本番移行を。
DBにつながらなかったりでバタバタする。
急遽インフラチームに作業してもらう。
 
昼の弁当は開花丼。昼寝。
 
このままではあまりにもしんどい、気力が続かないと
今後のことについて上司と相談することにする。
夕方話し合う。外れることは可能だろうか。
 
19時過ぎにオフィスを出て車で出勤していた妻に迎えに来てもらう。
帰ってきて、外で食べるかと土支田通りのイタリアンのファミレスへ。
グラッツェ・ガーデンズ。すかいらーく系列だった。
中高生のグループが多かった。
特に期待せず入ってみたら平日は飲み放題がだいたい1,000円。安い。
パスタとドリアなど頼むが、ここは多くの人がピザ食べ放題を頼むようだ。
コスパがいいんでまた来ようと思う。
 
『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』の3巻を読んで
23時過ぎに寝る。
 
トム・ハンクスが感染。オーストラリアで。
保険に入ってない人の多いアメリカはこれから大変なことになる。
 
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03/13(金)
 
 
移行作業前日。バタバタすることなく、いくつか作業を行うのみ。
時間に空きができても他のことは手につかず。
午前中締切の作業があって、昼に問い合わせ来るかもと
10時過ぎ、早めに昼食。松屋牛めしと豚汁。
 
データ移行の手順確認を行ってオフィスを出たのが19時前。
妻の後輩ちゃんが光が丘に来てご飯を食べるというので僕も一緒に。
BIRDoPへ。焼き鳥だからと少しずつ頼んでいるうちに
最後の焼きおにぎりで腹いっぱい。
公園を通って駅まで送って行く。
帰ってきてタモリ倶楽部を見ているうちに寝落ち。
 
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03/14(土)
 
本番移行当日。7時起きで出社。
家の前の道路に吐しゃ物が……
今日の雨で洗い流されるか。
Amazonで凝固剤を買う。
 
編集学校では本日感門之盟。守・破・物語講座。
このご時世に大丈夫なのだろうか。
ZOOMでのネット参加も対応したみたいだけど。
妻はリアル参加。
本編が22時まで開催でアフ感なしというので僕は作業が終わっても行かず。
 
移行作業は件数が想定と合わないけど
原因がわかってその場ですぐ対処といった事象もありつつ、淡々と進む。
午前中のうちに僕の担当している分が終わる。
昼は下の成城石井で買ったシンガポールのチキンヌードル。
おいしいような、タレが甘いような。
 
朝雨だったのが、午後になって雪。
作業は周りの完了待ちになる。夕方には集中力が切れる。
いくつか課題も残しつつ、18時に一区切りつけてこの日の作業は終わり。
帰る頃にはみぞれ。
 
ブラタモリに間に合う。天草の隠れキリシタンがテーマ。
チリトマトヌードルに乾燥野菜を山ほど入れて缶ビールで一人乾杯。
その後イタリアの録画を2本見た。
お笑い向上委員会。
午前0時過ぎ、妻が感門之盟から帰ってくる。話を聞く。
 
雪の日だが、桜が開花したと。
記録的な早さ。相当暖冬だったんだな。
 
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03/15(日)
 
珍しくみみたが布団の中に入ってくる。
8時過ぎに目を覚ます。
陽射しは出ているが、昨日を引きずって寒い。LIVIN に買い物。
9時前に着いたのでオープン待ちの行列に並んでみる。
マスクはなかった。箱ティッシュ5箱セットがすぐなくなった。
せっかく並んでみたので、除菌のウェットティッシュの詰め替えを買った。
他、食材を買って帰る。
 
イタリアから Lazy Sunday へ。
常備菜の用意。きんぴらごぼう、こんにゃく炒め、ニンジンのグラッセ
ブロッコリーを茹でる。半分は冷凍しておく。
昼はざるそば。
Lazy Sunday が終わって僕は家の中でクロスワードパズルなど。
妻は図書館へ。練馬区の図書館は今、貸出・返却の窓口のみで書家は閉鎖しているという。
公園はものすごく人がいたと。桜開花宣言があったからか。
 
大相撲を少し見て、笑点
世界遺産はなし。お笑いの特番があった。
自分たちのベストのネタを見せるという。
ミルクボーイ、かまいたち、ニューヨーク、ぺこぱまで見て満足する。
モヤさまは高輪ゲートウェイ
朝、LIVIN で買った餃子を焼いて食べる。
風呂を沸かして入る。
ドリカムのファンクラブの会報や犬猫の4巻を読む。
午前0時前に寝る。

お相撲さんのお弁当

大相撲三月場所8日目。
先週の初日、無観客の取り組みを見てギョッとしたけど、
その後ニュースのスポーツコーナーで何回か見かけてだいぶ慣れてきた。
 
若手の力士は自分の取り組みの後も幕内力士の付き人を務めることになっていて
長い時間拘束されるが、
今場所は一度会場入りしたら外出禁止、再入場できないことになっていて
弁当を買いに行ったり食べに行ったりすることができない。
よって、弁当持参の力士が増えたという。
 
妻から教えてもらう。
日本相撲協会のアカウント @sumokyokai で
#お相撲さんのお弁当
ここに毎日、各部屋の弁当の写真がアップされる。
 
ちゃんこ番というか、呼び出しやマネージャーがつくるみたいですね。
あるいは自分で作るか。
ドカンとした四角いタッパが3つぐらいあって
ごはんを山盛り詰めて全体的に茶色い、そんなのを見ると
そうそう、これだよこれ、と嬉しくなる。
 
こういうの。握りこぶしのような握り飯。おかずも山盛り。
 
一方で。オムライスにケチャップでハートとか。
 
くまモンミニオンズのキャラ弁。そんな時間があったらしこを踏め。
 
トンカツとかチキンカツとか入ってそうで入ってないねと僕が言うと、
油物は避けるんじゃないかな、とのこと。
というか料理慣れしてなければつくるのめんどくさいかな。
 
それはそうとソーセージが入っている弁当をよく見かける。
しかも赤いの。小さい頃タコさんウィンナーにしてもらったような。
なんだろう。そういうの見ると若い力士ってピュアだな、って思ってしまう。

空調というもの

本番移行作業のため出社。
昨日、オフィスの空調を利用する申請を行った。
吹き出し口に番号が振られ、その番号単位で申請する。
(やらなかったらこの雪の中、かなり寒いことになっていただろう)
 
都心のインテリジェントビル。
地上30階の高さがあって、フロアはサッカー場が丸々入りそうなぐらい広い。
相当な量の空気が循環している。
その空調設備の規模たるや……
インテリジェントビルの床面積の大半が
複数台が並列に並ぶエレベーターのためのスペースだというとき、
各階の隙間に広がっている空間の大半が耐震補強と空調のための配管なんじゃないか。
あるいは地下の、居住用、商業用ではない最下層の階が空調に充てられているとか。
ビルの解剖図や断面図があれば面白いと思う。
 
以前「ブラタモリ」が丸の内を取り上げていた時、
丸ビルや新丸ビルなど複数のビルが実は地下でつながって空調設備を共有していて、
というのを見たことがあった。
一般の人は立ち入ることのないエリア。入り組んだ迷宮のようだった。
 
……とか書いているうちに、予定されていた業務時間を過ぎて空調が途切れてしまった。
途端に寒くなる。
そして静かになる。
無音のようでいて、空調の音がかなりの大きさと密度で空間を閉めていたんだな、
ということがわかる。
目には見えないものが、知らなくて済むように隠されているものが、
僕らの生活を成り立たせている。
それは物理的にもかなり大きな存在なのだということ。
 
空調システムの有無半ば人工的な空気なしには僕らは仕事や生活ができなくなっている。
風通しを良くするために窓を開けるということはできず、常に閉じられたまま、
直射日光が入らないようにブラインドを下げたまま、そして一日中照明をつけたまま、
そんな空間で日夜働いている。

踏んだり蹴ったり

昨晩妻から聞いた話。
妻はここ最近のコロナウィルスのこともあって
満員電車を避けるために時々車で通勤していた。
昨日、いつもとは違う道を行こうと住宅街を走っていたら
道の真ん中に本が何冊も散らばっていて、
その脇には転がった自転車と老人。
迂回することもできず、路肩に停めて助ける。
 
どうしてそういう状況になったのかよくわからないが、
老人の履いていた左足のスニーカーの紐がペダルにグルグルと巻き付いていて
自転車から離れられず身動き取れずにいた。
散らばっていた本は前のカゴにそのまま入れていたのだろう。
まずはこれらの本を脇の茂みに移す。
自転車を起こそうとするが、
後ろの台には段ボール箱を紐できつく括りつけていてやたら重い。
恐らくこちらにも本がびっしり詰め込まれている。
やっとのことで自転車と老人が走り出せる状態までもっていった。
 
というのをやっていると後ろから来た車が次々と通り過ぎていく。
ここでハッと妻は気付く。
困っている人を見かけたので助けようとする人がいないどころか、
むしろ私の車がこの老人とぶつかったから私が対処していると思われてんだ。
愕然としたという。
妻だって通勤途中、そんなに暇ではない。
なのに、なのに。
 
「そこまでしてこのおじいさんがコロナウィルスに感染していたら踏んだり蹴ったりだね」
 
そもそもこのおじいさんはどこからどこに行くところだったのか。
これだけの本を積み込んで。ブックオフに売るのか。
 
「実はどこからか盗んだものを運ぶ途中だったら……
 窃盗の幇助罪で巻き添えで捕まってしまう??
 それこそ踏んだり蹴ったり」
 
何にしてもお年寄りはスニーカーを履かず、
マジックテープで留めるタイプにしたほうがいいです。
自転車に乗るときは特に。

2011/03/21-04/18

2011年3月、東日本大震災から1週間後の3連休に釜山に旅行してからのその後。
 
・3/21(月) 
 西友の棚がガラガラだったのが続く。
 Twitterの行方不明者の拡散希望がぐっと少なくなったように感じた。
 
・3/22(火)
 節電のため、オフィスにエアコンを入れないという日が続く。寒い。
 お客さんの取引先の関係で案件が中止や延期になるというのが出始めた。
 Twitterで「Googleが大阪に本社移転」というのを見かけて、思わずRTしてしまったが、
 Google日本法人の外国人社員が大阪に疎開というだけだった。デマに加担した……
 
・3/23(水)
 午後、東京都の浄水場で乳児の飲用基準を超える放射線量が検出された
 というニュースが流れ、世間が騒ぎ出す。
 帰りに駅を出て家に帰る途中の自販機を見てみたらことごとくミネラルウォーターだけが売り切れ。
 家の近くで1つだけ、明かりを全て消した自販機があって、そこだけ売れ残ってた。
 
・3/24(木)
 杉並区は乳児のいる家庭に500mlのミネラルウォーター3本を無償提供するとのこと。
 しかし、全ての家庭は回れなかったという。
 
・3/26(土)
 編集学校の伝習座。うまくいかず。言葉が出てこない。
 震災が、というのはあまり関係がなく、僕の中で準備ができていなかった。
 伝習座では1日ずっと地震の話題ばかり。
 仙台の方が来ることができなくてメッセージを寄せた、
 郡山の方が交通機関を見つけてここまで来た、
 というのを聞くと僕の口からは地震の事は何も言えず。
 身の回りの出来事をちゃかして喋るだけ。
 
・3/27(日)
 近くの小学校で新しくできた校舎の見学会があっ手見に行った。
 震災でも延期されなかったようだ。
 編集学校の図書館を往復して本をチェックする仕事、月末が締切で一区切りつける。
 昭和のポルノ男優のフェイク・ドキュメンタリー『その男、エロにつき』というのを見たら
 ふっきれて前向きな気持ちになった。
 
・3/29(火)
 東京は昨日開花宣言だというが。
 井の頭公園をはじめとして都内各地で花見は自粛しろという要請が。
 最近余震が減ってきたな、と思うと地震が。
 
・3/30(水)
 花見について石原都知事から時代錯誤な発言が。
 都知事選挙も行なわれはするが自粛モードで全然静か。
 
・3/31(木)
 午前休をとって父の墓参りへ。
 小さなスーパーの前で行列。
 敷地内には幼稚園があって、園児たちが外に散歩に出るところだった。
 見知らぬ僕に向かって保母さんも園児たちも「こんにちは」と挨拶をする。
 僕もまた「こんにちは」と挨拶を返した。
 墓地で手を合わせる。
 
・4/1(金)
 エイプリルフールなんだけど世の中はやはり自粛気味。
 気のきいた嘘は何も思いつかなかった。
 
・4/3(日)
 六本木の国立新美術館
「アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち」を見に行ってきた。
 国立新美術館は節電の影響で16時閉館となっている。
 震災の後ではアート作品を見る目も変わるだろう。
 その存在意義とは、と。
 その後コーエン兄弟の『トゥルー・グリッド』を見た。
 
・4/4(月)
 震災直後に被災地を回った方の話を聞く。
「実際にその光景を前にして、心に焼き付けたほうがいい」と言う。
 しかし今の自分が行ったら迷惑ではないか、と考える。
 
・4/6(水)
 来週末、郡山の先、磐梯熱海の温泉に行こうという話になる。仕事で出会った方たちと。
 風評被害で壊滅状態なのだそうだ。
 僕にできることって、それぐらいなのかもしれない。
 高速バスの運行状況を調べて、温泉街のサイトで宿を見繕う。
 多くの宿がトップページに
「営業しています」「お待ちしております」と悲痛なメッセージを掲げている。
 
・4/7(木)
 23時半に眠ろうとして、最近の中ではとても大きな余震が。
 宮城県北部で震度6弱
 
・4/8(金)
 夜、会社の後輩たちと千鳥ヶ縁の桜を見に行った。
 靖国神社は真っ暗。闇夜に巨大な鳥居が浮かび上がっているのが異様だった。
 屋台は少しぐらい出てるかなと思いきや、全くなし。
 本数は少ないものの、桜は見頃。なのに捨て置かれている。
 千鳥ヶ縁も同様。水面へとしなだれかかる満開の桜。その連なり。
 ああ、美しいものを心に刻むことすら今の日本では自粛しなくてはならないのか。
 例年のような行列にはならないものの、それなりに人手があった。
 細長いルートをそぞろ歩いた。
 
・4/9(土)
 翌日の編集学校の方たちとの花見の下見のため、代々木公園へ。
 あちこちで宴会。例年なら場所取りが大変なんだろうなあ……
 
・4/10(日)
 生まれて初めて投票へ。都知事選。
 震災で思うことがあったのだと思う。
 代々木公園で編集学校の方達と花見。
 昨日とは打って変わって大混雑だった。
 酒を飲みすぎて記憶をなくす。
 
・4/11(月)
 大きめの余震が続く。
 
・4/13(水)
 余震が続く。一日中体が揺れてる気がする。
 
・4/16(土) 
 磐梯熱海温泉へ。朝8時前、東京駅からバスに乗る。
 途中佐野でトイレ休憩があって12時前、郡山駅前に到着する。
 歩いているとそこかしこに震災の影響が見える。
 黄色いテープで囲われて立ち入り禁止になった建物。
 ひび割れた壁がそのままになって「調査済み」などと貼り紙のされたビル。
 歩道がでこぼこになって、足元が崩れている。
 商店街には色のついた紙に「がんばろう郡山」とだけ書かれた簡素なポスター。
 一見何の影響もなかったようでいて、
 よく見ると壁のなくなった家屋や2階の窓が割れたままになった店舗がそのまま残されている。
 屋根がひしゃげて、中もめちゃくちゃになって真っ暗なままのボーリング場。
 郡山市役所は割れた窓に板を張って屋上で小さなクレーンが2機のろのろと動いていた。
 向かいの球場の脇には自衛隊のトラックが何台も整列して停車している。
 街のあちこちを岡山県警静岡県警、熊本県警のパトカーがパトロールしていた。
 ローカル線に乗って宿に着く。
 先日読んだニュースでは磐梯熱海温泉風評被害で客足が遠のいたということだったが、
 僕らの泊まった宿は見る限りほぼ満室のようで、隣のホテルの駐車場もいっぱい。
(後日聞いた話では被災者を受け入れていたんじゃないか、とのこと)
 
・4/17(日)
 朝早く起きて一人東京へ。
 編集学校の感門之盟に参加。恵比寿の「ZEST」なんだかものものしい雰囲気。
 本来ならば一ヶ月前、3/13(日)に開催されるはずだったのが延期となった。
 松岡正剛校長の言葉に「平時の中の有事」とあって、これがこの日1日のキーワードとなった。
「心の中で津波を感じること」であるとか。
 
・4/18(月)
 編集学校25守開講。
 母から電話があって、ゴールデンウィークは帰ってくるのかと。
 忙しくて帰れないと話す。
 ラジオでたまたま忌野清志郎が「素晴らしきこの世界」を歌うのを聞いた。

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 この後僕の関心は編集学校で初めて教室を持つ体験へと移り、
 地震に関する言及はほぼなくなった。
 ゴールデンウイークの頃にはもはや地震なんてなかったかのような、
 なんてことない日常生活の言及が続く。
 一定期間を経て、僕自身が「飽きて」しまったかのようだ。

2011/03/06-03/20

東日本大震災から9年。当時の日記を読み返してみた。
 
・3/6(月) ー 3/10(木)
 この頃仕事が忙しかった。
 神保町だったので天鴻餃子房や三幸園で昼を食べていた。
 編集学校の方でも毎日図書館から本を借りてチェックするという作業を請け負っていた。
 初めて教室を持つということでチラシもつくっていた。
 
・3/11(金)
 この日、昼を食べ損ねて14時過ぎにキッチン南海へ。
 食べ終えて戻ってきたころ誰かが揺れてる、と言い出す。
 大きな揺れが2回来た。どうにか収まって外に出た。
 携帯がつながらず、公衆電話に並んで母に電話した。青森市は停電だという。
 15時半には解散となるが、電車も地下鉄も動いていない。
 何人かはオフィスに残り、僕も荻窪まで歩いて帰ることにした。
 皇居の入り口が閉鎖されていた。
 会社から支給されたのかヘルメットをかぶっている人が割といた。
 新宿通りを列をなして歩く。聞こえてくる話は皆淡々としている。
 僕もこの日花粉のことを気にしていた。たくさん飛んでるなと。
 Twitterを見るとお台場で火事だとかサーバールームに閉じ込められたとかそういうデマが広まっていた。
 一方でSoul Flower Union とかいくつかのアカウントが役立ちそうな情報をRTしていた。
 電気屋の前まで来ると群がってテレビを見ていた。津波の映像。水没する町。
 道がわからないのか、地図を持った警官を取り囲んでいる人たちも多かった。
 17時頃新宿駅着。地下に入ると大勢の人が階段でうなだれていたり、新聞紙を敷いて座り込んだり。
 地上よりもざわついている感じがした。
 店は閉まっていて、バス停も女性のトイレも長蛇の列。
 青梅街道に出る。動いているバスをたまに見かけた。
 いくつかのラーメン屋や焼き鳥屋が営業していた。
 この日もまた図書館へ。今思うと呆れるが、僕は
 この日も図書館に返す本を10冊ぐらい紙袋に抱えて移動していた。 
 図書館は本棚が崩れることもなく、静かだった。
 予約していた本を普通に借りた。
 19時過ぎ、部屋に着く。CDラックや本の山が崩れて足の踏み場もなかった。
 片付けが終わったのは22時近く。
 Twitter を眺めて過ごす。地下鉄は動き始めたが、全線開通とはならず。
 大学のキャンパスなど帰宅難民に向けて解放している場所のリストが出回ってくる。
 戒厳令的なムードが解かれ、午前0時を過ぎて東京が少し落ち着いてきたのを感じる。
 マグニチュードは8.8で、阪神大震災の180杯。
 仙台沿岸で200人から300人の遺体が見つかる。
 余震が続く。
 
・3/12(土)
 8時に起きる。
 セブンイレブンはおにぎり・弁当の棚が空っぽになっていて、
 カップラーメンや菓子パンはほぼ品切れ。入荷が遅れていると貼紙されている。
 ケーキやお菓子、ジュースやビールの類はまだ普通にあった。
 ミネラルウォーターだけがごっそりなくなっている。
 他のコンビニもそんな感じ。
 下の階に住んでいた学生が前から予定していたのか引っ越しで部屋を出ていくところだった。
 床屋もクリーニング屋も普通に営業中、工事現場は普通に工事中だった。
 駅前の西友に行ってみると普段は24時間営業だったのが9時開店と貼り紙されていて、
 なのに9時半でまだ開かず。
 諦めて松屋カレギュウを食べた。
 コンビニでカップヌードルを買って帰った。
 編集学校の作業を進める。杉並区の図書館の在庫検索ができず。土日は閉館するという。
 電車はだいぶ復旧したが一部運転見合わせ。
 会社の後輩がこの日海外に出るつもりが、空港に辿り着けなかった。
 TwitterYahoo!ニュースだけで状況を知る。
 福嶋第一原発で何かが起きているということと、
 電力の供給が追いつかなくて
 東京電力が今日の夕方と明日の夕方、停電を予定しているということを知る。
 流れている様々なものをRTしていたが、なんでもかんでもRTしてるときりが無いことに気づいて減らした。
 氣志團綾小路翔がデマをRTしてしまったのを糾弾されていた。
 午後また西友へ。レジがこれまで見たことがないぐらい長蛇の列。
 カップラーメンのほとんどと缶詰の棚の半分が空になっている。
 ミネラルウォーターもなくなりかけていた。
 それ以外は特に何も変わらない。
 意外なことにいつも愛用の徳用ローストビーフが売れ残っていた。
 ケーキの売り場では普通に苺のショートケーキが売られていた。
 そしてそれを買う人がいた。
 帰ってきて母に電話。青森市は停電が復旧、親戚も無事だったと。
 停電回避のための「ヤシマ作戦」が始まる。
 しかし、福島の原発はどんどんやばいことになっていて、
 制御棒とかメルトダウンとか官房長官の記者会見とかそういうのばかりを目にする。
 原発から3km以内の人は避難してくださいというのが10kmになり、20kmになり。
 同じように死傷者の数も1000名、1500名、1600名と増えていく。
 「原子炉に損傷なし」というニュースが流れる。
 この二日間で初めてテレビをつけて、津波で何もかもを流された宮城県三陸町の光景を見る。
 小学校の屋上のような建物に避難している何人かの人々の姿が。
 ディズニーランドは当面定業停止。
 TSUTAYAが繁盛しているようだ。
 
・3/13(日)
 8時半に起きる。
 コンビニではスカスカの棚が目立つ中で弁当が補充されていた。
 東京メトロは全線平常通り運転。イベントは当面自粛。
 14日以後計画停電実施と東京電力から。
 Twitterを見る。
 意見や主張の食い違いによる摩擦や衝突が見え始めた。言葉尻を捉えてあげつらう。
 茨城も救ってくれという声と宮古が先だという声。
 救援物資は送らないでください、仕分ける時間もない、とか。
 千羽鶴は何の役にも立たないのでいらない、とか。
 家族や友人の消息が分かって嬉しいですというのがよくRTされるけど、
 その逆は一切目にしない。
 
・3/14(月)
 普通に出社。会社から特に連絡なし。
 東京メトロのサイトを見ると大幅に本数を減らしているとあった。
 ホームはさほど混んでいなかった。
 地上に出ると丸の内の巨大なビルの工事現場にて朝礼。
 大きな声で「おはようございます!」と一言。
 9時の時点で出社は本社も常駐先のPJルームも半分以下。
 駅で入場規制がかかっている、そもそも全面運休(川崎など)といった理由で。
 PJルームの臨時リーダーとなって、出社状況や案件状況を確認して報告する。
 1日がそれで終わる。
 オフィスは節電の一環としてエアコンを切って、日中は照明も消してブラインドを上げる。
 出社してない人のPCはモニターの電源を消す。
 昼はPJのみんなで下の居酒屋に行って食べた。
 京急が15時半をもって運休すると情報が入り、沿線に住むメンバーが慌てて帰る。
 福島の原発は2号機が危うくなる。
 帰りに図書館に寄ろうとして紙袋に本を抱えてきたが、節電のため3月末まで17時で閉館と知る。
 19時にオフィスを出る。神保町の町は何も変わらないように見える。
 皇居も何もなかったかのようにひっそりとしている。
 だけど市民ランナーの姿がない。
 東京駅で乗った丸の内線はガラガラ。座って帰る。
 気がついたら新宿では金曜夜の中央線のように混んでいた。終点の荻窪まで混んでいた。
 この時間、銀座線と日比谷線は止まっていた他の路線からの
 乗り入れ客がオーバーしたため運転見合せとなる。
 
・3/15(火)
 次の3連休、もともと釜山に旅行に行くつもりでいた。
 自粛したほうがいいかと一瞬考えるが、都内にいても気が詰まるだけとキャンセルしないことにする。
 しかし月曜までに届くことになっていた旅行の案内が届かず。
 電話して聞いてみるとてんてこまいのようだ。
 東北・関東へと向かう国内ツアーが軒並みキャンセルされている。
 夜、部屋にいたら大きく揺れる。静岡東部で震度6強。大きな余震が続く。
 昼は福島第一原発で4号機が火災、放射能が…という話でもちきり。
 茨城にまで広がっているという巷の噂とか、
 避難は30kmにまで拡大されたというニュースとか。
 都心ではいっきに恐怖感が煽られたように思う。
 この日の福島は雨。屋内にいるように呼びかけられているという。
 昼、キッチン南海の前を通り掛かったら珍しく行列になっていなかったのでカツカレーを食べた。
 編集学校の作業を進めるため、どさくさに紛れて15時に退社。翌日も出社を遅くする。
 図書館に寄って帰る。
 会社携帯に電話がかかってきて
 明日、万が一、放射能が広がった場合に関する自宅待機の業務連絡が出たとのこと。
 今日の朝、東京駅地下の成城石井の前を通り掛かったら、普通に食べ物が豊富に売られていた。
 コンビニの食べ物はいったん元に戻りつつあったのに、地域によってはまたガラガラになっているようだ。
 夜は寝付けず。朝は余震で目が覚めた。
 
・3/16(水)
 Twitterでの放射能の騒ぎもひと段落したように思う。
 ホリエモンに対して「逃げないのか?」「なぜ余裕なのか?」
 みたいな質問が多く寄せられてて、それに対してホリエモンが都度
 逃げる必要はない、その根拠はないと返している。
 余震が続く、計画停電ところどころあり、買占め問題。
 それ以外は都心もだいぶ落ち着いてきたんじゃないかと。電車の本数もだいぶ戻ってきた。
 最初の5日間を過ぎて、本当に事態が落ち着いただけではなく
 慣れや麻痺のようなものが生まれてきたのではないかとも思う。
 福島第一原発では依然として火災が続いている。
 シンディ・ローパーが明日から3日間、予定通りに東京でコンサートを行うと発表。
 昼はPJメンバーとランチ会。行こうと思っていた店は営業してなくて貼紙がなされていた。
 帰りの地下鉄はそれほど混んでいなかった。
 ようやく旅行会社から旅程表もろもろのPDFファイルが届く。
 夜、昨日と同じ時間頃にまた地震が。毎日〃時間に地震が起きているように思うのは気のせいか。
 小川未明『赤い蝋燭と人魚』を何も知らず、たまたま読んでゾッとする。
「人間は、この世界の中で一番やさしいものだと聞いている。
 そして可哀想な者や頼りない者は、決していじめたり、
 苦しめたりすることはないものと聞いている」
「幾年も経たずして、その下の町は亡びて、亡くなってしまいました」
 
・3/17(木)
 ACと報道番組ばかりでしばらくテレビをつけずにいたが、
 昼見たらYahoo!ニュースのトピックスに「朝ドラ「てっぱん」19日再開」とあった。
 テレビ欄を見たら「3年B組金八先生」の再放送とか「欽ちゃんの仮装大賞」の名場面集とか。
 行方不明の家族や友人を探すための拡散は昨日から減ってきたように思う。
 その分、「電力会社の社員を装ってレイプ」とかみもふたもないデマが増えた。
 昨日から寒くなって、被災地では大雪。避難所で亡くなるお年寄りの方も増えてきた。
 東京もまた寒くて、節電のオフィスはスーツでは寒くて1日中コートを着て仕事をした。
 インフルエンザが流行っているというニュースも見た。
 被災地では依然として厳しい状況が続く。食料もガソリンも医療品も全然届かない。
 都心に限っては峠を越えたかもしれない。
 普通の人は普通に落ち着いて日々を過ごしているのに
 一部の心ない人たちの行動や不安に駆られた人たちの行動が世間一般の流れのように思われている。
 そんなふうに感じる。
 「予測不能の大規模停電の恐れ」ということで海江田経済産業相から節電のコメントが。
 計画停電も拡大するとのこと。もう落ち着いてきたんじゃないかとタカをくくると、何かが起きる。
 会社からも大事な要件の無い人は早めに帰りましょうと連絡が。
 会社の災害対策本部のTwitterアカウントが作成されていた。
 16時半にオフィスを出た。
 みずほ銀行の全ATMがストップするが、今回の震災とは関係がないとのこと。
 大規模停電が回避される。
 布団に入ってウツラウツラしている間に余震が。とても大きい。
 
・3/18(金) ー 3/20(日)
 4時起きで羽田へ。丸の内線も東京モノレールも動いている。
 外はまだ暗い。街に人気はない。節電でいつもより明かりが減っている。
 サイレンが聞こえる。
 駅も節電か。余りの寒さにホームで缶のコーンポタージュを買って飲む。
 6時半には羽田に到着する。大勢の人がいた。殺気だった雰囲気はなく、いつも通りの空港。
 しかしこの何割かは「疎開」の人たちなのだろう。家族連れが目につく。
 出発ロビーでNHKの震災に関するニュースを見て過ごす。
 被災地の首長は皆、地味な色のジャンパーを着ている。
 活動しやすいってのもあるけど、それ以外の格好をしていると不謹慎に思われてしまうのだろう。
 福岡について長浜へ。
 ガラガラの棚が目立つ東京とは違って、コンビニで普通にものが売られている。
 フェリー乗り場へ。
 大きなモニターではNHKではなく民放が映されていた。今回の震災後初めて、民放を見た。
 被災地の状況ですって避難所の前でずっとリポーターの顔が映し出されて喋っていた。
 中継がひと段落するとCMってことになって当時話題のACの素材が。
 あーこれが「ポポポポ〜ン」か……。挨拶は大切です。みんなで挨拶しましょう。
 でもこれが1日中繰り返されていたら、神経を逆撫ですることになりそう。気が狂いそう。
 震災から一週間、テレビの向こうで14時46分、黙祷がなされた。
 釜山にいたときは夜、テレビでNHKのニュースをぼんやりと見ていた。
 テレビの向こう、海の向こうの出来事。記者会見とヘリコプターから映した上空の映像と。
 韓国のニュース番組もいくつか、そんな感じだった。
 フェリーに乗って帰ってくる。
 オープンしたばかりのJR博多シティが賑わっていた。
 九州新幹線が12日に全線オープン。Maia Hirasawaの歌う「Boom!」のCMが素晴らしかった。
 
 
 

その後

イタリアの感染者数が韓国を上回り、中国に次いで2位になったという。
イタリア全土の都市が封鎖されたと。
(しょうもないことを心配するようだけど、
『小さな村の物語イタリア』はロケができずにしばらく休止したりしないだろうか)
 
東京も封鎖される日が来るのだろうか。
3月11日を前にして、福島第一原発に近かった町村に対する避難指示が解除され、
一時帰宅してみるも家は荒れ果てていた。そんなニュースを思い出す。
東京が封鎖される前に慌てて逃げだして、二度と戻れなくなる。
そんなこともあるかもしれない。
 
封鎖されたら食料、日用品はスーパーやコンビニからなくなって
配給制になり、奪い合いになるのだろうか。
工場にも感染者が出て操業停止、というのが続々と。
いや、そんなひどいことにはならないか。どうなのだろう。
僕らの世代はどうしても『北斗の拳』を思い浮かべてしまうが、
そんなことにはならず最後の最後どこかで理性が働いて
閉鎖された中でも淡々と日々が過ぎてゆき、極力働き続けようとするのか。
 
政府としてはどんな状況に陥ろうと
経済を止めないということが最優先となるはず。
学校も休校にしたし、イベントも中止した、
会社も休みにしましょうとは絶対ならない。
一度崩壊してしまったら建て直すのにとてつもない時間と労力がかかる。
国自身が崩壊する。
そのとき引き金を引くのはスーパーにトイレットペーパーがなくなる、ではなく、
ニューヨークの株価の突如大幅下落(今以上の)であるとか、
世界経済という緻密なシステムの混乱に寄るものだろう。
北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐となる、というような。
 
昨晩、熊本の義父母から荷物が届くことになっていて早く帰った。
中に自家製のマスクが入っていた。
ガーゼでつくったのか、顔全体を覆うように大きい。
中にキッチンペーパーを入れて使うとよい、
ティッシュペーパーだと息苦しくなると。
 
プロ野球は開幕延期。
TDR / USJ の休園も延長されるだろう。
東日本大震災のあの不安に駆られた異常な日々も3カ月ぐらい続いた。
計画停電、余震、自粛、AC、スーパーにものがなくなる。
ゴールデンウィークまでは今の状態が続くんじゃないかと思う。
日本人の性格からして明けた頃にはケロッとしてオリンピック一色になっていることだろう。