2011年3月、東日本大震災から1週間後の3連休に釜山に旅行してからのその後。
・3/21(月)
西友の棚がガラガラだったのが続く。
・3/22(火)
節電のため、オフィスにエアコンを入れないという日が続く。寒い。
お客さんの取引先の関係で案件が中止や延期になるというのが出始めた。
・3/23(水)
というニュースが流れ、世間が騒ぎ出す。
帰りに駅を出て家に帰る途中の自販機を見てみたらことごとくミネラルウォーターだけが売り切れ。
家の近くで1つだけ、明かりを全て消した自販機があって、そこだけ売れ残ってた。
・3/24(木)
杉並区は乳児のいる家庭に500mlのミネラルウォーター3本を無償提供するとのこと。
しかし、全ての家庭は回れなかったという。
・3/26(土)
編集学校の伝習座。うまくいかず。言葉が出てこない。
震災が、というのはあまり関係がなく、僕の中で準備ができていなかった。
伝習座では1日ずっと地震の話題ばかり。
仙台の方が来ることができなくてメッセージを寄せた、
郡山の方が交通機関を見つけてここまで来た、
というのを聞くと僕の口からは地震の事は何も言えず。
身の回りの出来事をちゃかして喋るだけ。
・3/27(日)
近くの小学校で新しくできた校舎の見学会があっ手見に行った。
震災でも延期されなかったようだ。
編集学校の図書館を往復して本をチェックする仕事、月末が締切で一区切りつける。
昭和のポルノ男優のフェイク・ドキュメンタリー『その男、エロにつき』というのを見たら
ふっきれて前向きな気持ちになった。
・3/29(火)
東京は昨日開花宣言だというが。
井の頭公園をはじめとして都内各地で花見は自粛しろという要請が。
最近余震が減ってきたな、と思うと地震が。
・3/30(水)
花見について石原都知事から時代錯誤な発言が。
都知事選挙も行なわれはするが自粛モードで全然静か。
・3/31(木)
午前休をとって父の墓参りへ。
小さなスーパーの前で行列。
敷地内には幼稚園があって、園児たちが外に散歩に出るところだった。
見知らぬ僕に向かって保母さんも園児たちも「こんにちは」と挨拶をする。
僕もまた「こんにちは」と挨拶を返した。
墓地で手を合わせる。
・4/1(金)
エイプリルフールなんだけど世の中はやはり自粛気味。
気のきいた嘘は何も思いつかなかった。
・4/3(日)
六本木の国立新美術館に
「アーティスト・ファイル2011―現代の作家たち」を見に行ってきた。
国立新美術館は節電の影響で16時閉館となっている。
震災の後ではアート作品を見る目も変わるだろう。
震災の後ではアート作品を見る目も変わるだろう。
その存在意義とは、と。
その後コーエン兄弟の『トゥルー・グリッド』を見た。
・4/4(月)
震災直後に被災地を回った方の話を聞く。
「実際にその光景を前にして、心に焼き付けたほうがいい」と言う。
しかし今の自分が行ったら迷惑ではないか、と考える。
・4/6(水)
来週末、郡山の先、磐梯熱海の温泉に行こうという話になる。仕事で出会った方たちと。
風評被害で壊滅状態なのだそうだ。
僕にできることって、それぐらいなのかもしれない。
高速バスの運行状況を調べて、温泉街のサイトで宿を見繕う。
多くの宿がトップページに
「営業しています」「お待ちしております」と悲痛なメッセージを掲げている。
・4/7(木)
23時半に眠ろうとして、最近の中ではとても大きな余震が。
・4/8(金)
夜、会社の後輩たちと千鳥ヶ縁の桜を見に行った。
靖国神社は真っ暗。闇夜に巨大な鳥居が浮かび上がっているのが異様だった。
屋台は少しぐらい出てるかなと思いきや、全くなし。
本数は少ないものの、桜は見頃。なのに捨て置かれている。
千鳥ヶ縁も同様。水面へとしなだれかかる満開の桜。その連なり。
ああ、美しいものを心に刻むことすら今の日本では自粛しなくてはならないのか。
例年のような行列にはならないものの、それなりに人手があった。
細長いルートをそぞろ歩いた。
・4/9(土)
翌日の編集学校の方たちとの花見の下見のため、代々木公園へ。
あちこちで宴会。例年なら場所取りが大変なんだろうなあ……
・4/10(日)
生まれて初めて投票へ。都知事選。
震災で思うことがあったのだと思う。
代々木公園で編集学校の方達と花見。
昨日とは打って変わって大混雑だった。
酒を飲みすぎて記憶をなくす。
・4/11(月)
大きめの余震が続く。
・4/13(水)
余震が続く。一日中体が揺れてる気がする。
・4/16(土)
磐梯熱海温泉へ。朝8時前、東京駅からバスに乗る。
途中佐野でトイレ休憩があって12時前、郡山駅前に到着する。
歩いているとそこかしこに震災の影響が見える。
黄色いテープで囲われて立ち入り禁止になった建物。
ひび割れた壁がそのままになって「調査済み」などと貼り紙のされたビル。
歩道がでこぼこになって、足元が崩れている。
商店街には色のついた紙に「がんばろう郡山」とだけ書かれた簡素なポスター。
一見何の影響もなかったようでいて、
よく見ると壁のなくなった家屋や2階の窓が割れたままになった店舗がそのまま残されている。
屋根がひしゃげて、中もめちゃくちゃになって真っ暗なままのボーリング場。
郡山市役所は割れた窓に板を張って屋上で小さなクレーンが2機のろのろと動いていた。
向かいの球場の脇には自衛隊のトラックが何台も整列して停車している。
ローカル線に乗って宿に着く。
僕らの泊まった宿は見る限りほぼ満室のようで、隣のホテルの駐車場もいっぱい。
(後日聞いた話では被災者を受け入れていたんじゃないか、とのこと)
・4/17(日)
朝早く起きて一人東京へ。
編集学校の感門之盟に参加。恵比寿の「ZEST」なんだかものものしい雰囲気。
本来ならば一ヶ月前、3/13(日)に開催されるはずだったのが延期となった。
松岡正剛校長の言葉に「平時の中の有事」とあって、これがこの日1日のキーワードとなった。
「心の中で津波を感じること」であるとか。
・4/18(月)
編集学校25守開講。
母から電話があって、ゴールデンウィークは帰ってくるのかと。
忙しくて帰れないと話す。
地震に関する言及はほぼなくなった。
ゴールデンウイークの頃にはもはや地震なんてなかったかのような、
なんてことない日常生活の言及が続く。
一定期間を経て、僕自身が「飽きて」しまったかのようだ。