初めての京都 その5(2日目・銀閣寺)

坂を降りきって先ほどの停留所に戻る。
方角的にあのままバスに乗っていったら銀閣寺に着くのではないかと思っていたのだが、
その通りのようで、待っていたら銀閣寺方面行きのが来た。
このバスがまた昭和初期にでも走ってたのだろうかというぐらいに古さを追い求めたデザイン。
観光客仕様。茶色のがっしりとした車体。中は木造っぽさを強調。
客車が走ってるというよりは待合室が走ってるような感じ。
京都市内を走るバスの路線のうち「100」「101」「102」の3つは
観光客向けに快速運転(いくつかの停留所をスキップ)するようになっていて、
「RAKU-BUS」という名称になっている。
この3つを乗り継いでいれば手軽に京都観光ができるわけだ。
1日乗り放題のカードが500円で売られていて、お金もかからない。
僕はこのカードのことを知らなかったので、買えずじまい。
その後何度もバスを乗り降りしてかなりのお金を使った。


バスの中は見事に観光客ばかり。ぎっちりと詰め込まれて、僕は最初のうち狭い通路に立っていた。
停留所ごとにその観光スポットの説明がテープで流れる。日本語と英語で。
あちこちに名所旧跡神社仏閣があるせいかどこを走っていてもその解説が途切れることが無い。
平安神宮や動物園のある一角を通り過ぎ、バスは北へ北へと進んでいく。
この辺りになると多くの客が既に降りている。
残りのほとんどの人たちは銀閣寺目当てのようだ。
いっせいにバスを降りる。


清水寺でもそうだったが、人力車を仕事としている若者たちが一生懸命客引きしている。
声かけられた人みんな断ってたし、誰かが乗ってるところも見たことがない。
人力車、人気ないのだろうか。


パラパラとお土産屋の並ぶ通りを歩いていくと、やがて銀閣寺にぶつかる。
僕の中のイメージとして京都の名所はどこも人里離れた山奥にひっそりとしているのではないか、
山道をしばらく行って、ひーひーはーはーした先にあるのではないかと
思っていたのだが全然違ってて、普通に民家の中。
なんだか不思議。
街の中にいて絶えず民衆の間にあったからこそ今に至るまで観光名所となったのか。
いつの時代であっても、民衆にとっては気安く訪れる場所ではなかったと思う。
だけどいつも睨みを効かせていてその存在を浸透させていたのではないか。


入っていく。残念なことにお堂の1つがメンテナンスのため工事中。屋根を葺き替えるとのこと。
常にウイーーン!と大きな物音がしていて幽玄な侘び寂びの世界はすっかり消し飛んでいた。
最初の段階で「なんだこりゃ」と思ってしまったせいか、「わー」と気分が入り込むことは無く。
「なーんかミニチュアっぽいなあ」という印象を抱く。
観音堂を見ても「これのこと?」と首をかしげる
入口でもらったパンフレットの写真を見る限りではどうもこれらしいのだが、こんなちっちゃな物なの?と。
一度否定的な気持ちを持ってしまうと後はもうだめ。
ただでさえ小さな境内に観光客誘導用ルートが設けられ道順を示され、
勝手に入り込まないための柵があちこちにあって、ライトアップの器具も設置されていて、
せせこましい中に何もかもが人工的でつい最近誰かが作ったもののように感じられてならなかった。
一言で言ってしまうとテーマパーク。
この庭園の中でお堂以外に足利義政が自分で作ったものって何?と聞きたくなる。
ただ、抽象度のやたら高い「オブジェ」(と僕は呼ぶ)「銀沙灘」と「向月台」はよかった。
これが「禅」なのだろうか?


散歩道として整備された「哲学の道」を歩いてみたかったが、全長1.8kmと書いてあって諦める。
そこまでの時間が無い。。。


11時近く。本格的に腹が減ってきたので昼を、と思うのだが
お年寄りの観光客相手のその辺の蕎麦屋には入る気にはなれず。
新し目の店もうまいのかまずいのかちっとも分からず。
こういうときの「ミーツ」と思い開いてみると
銀閣寺の近くには「ますたに」の本店があると書いている。
東京の店は日本橋の「たいめいけん」の向かいにあって何度か食べに行ったことがある。
京都の本店に入って食べたと言えばまあそれなりの経験となるが、
東京でも食べられるものをあえてここで食べる意味があるのだろうかと思うと二の足を踏む。
京都ラーメン、京風ラーメンって最近東京でも多く見かける。
どっか入ってみたいと思うのだが、どれがうまいのか。
その後何軒か見つけても「これはダメだろう、普通のラーメン屋だ」とどれも敬遠することになる。


結構駆け足で見て回ってることに気付く。まだまだ時間がある。
だったら金閣寺まで行ってみようと思う。
また別な路線のバスに乗る。さっき乗ったのが「100」で、次に乗ったのが「102」
大雑把に言って銀閣寺と金閣寺を結んでいる。
今出川通を東から西へ。この辺は「市内」という感じ。住宅地があって、商店街があって。
観光客よりは普通の市民が快速だから便利と次々乗っては降りていく。
京大の前を通り過ぎるとアジテーション用途の立て看板がカナ釘文字で。
ああ、こういう学生って21世紀の今でもいるのだなあと思う。