「ローレライ」

引き続き、「ローレライ
こちらからクリス君の奥さんが合流。
サイドウェイ」を見終わっていったん外に出るとシネマ・メディアージュは大混雑。
映画に人が入っている。いいことだ。


ローレライ」は大きな劇場で上映されてほぼ満席。
今年を代表するヒット作となるのではないか。


太平洋戦争末期、役所広司が艦長で妻夫木聡が特攻隊員役の潜水艦もの、・・・といった紹介は割愛する。
見てて普通に、面白かったです。いいんじゃないかな。


でもどうしてもハリウッドの同趣旨の映画と比較してしまうのでそんなことしだすと
「物足りないなあ」と思ってしまう。日本映画の限界をまざまざと感じられた。
踊る大捜査線」で特大のヒットを当てたフジテレビが作るのだから
それなりにお金がかかってて、勢いがある。
だけど、そもそもの土台というか枠組み、作品としてのではなくて日本映画としてのそういうものに
なんというか「まだまだ感」をどうしても持ってしまう。
一言で言って密度が薄いんですね。さらっと描く・濃ゆーく描くという話ではなくて。
第2次大戦末期の潜水艦映画で娯楽大作としたらもっともっとむせ返るような密度が必要なんですね。
緊迫した雰囲気。暴発する葛藤。ソナーの音1つ1つが神経の奥深くを掻き毟る。
少なくともあの潜水艦の中はきれいすぎた。
もっと、猥雑なものなのではないか?戦時中の潜水艦の中は。
絶えずいろんな音が鳴り響いていて、絶えずいろんなわめき声が発せられているのではないか?
ハリウッドならばそこまで到達するだろう。
しかも見てて不快感を一切感じさせることの無いまま。
方向性は2つあって、さらなる物量作戦に出るか、あらゆる分野の撮影スタッフの質を高めるか。
そういう意味で日本映画はまだまだハリウッドに追いつくことはできない。
経済環境が激変しない限り、永遠に無理なのかもしれない。
日本映画は、小さくて地味でも良質な映画を目指すべきなのだろうか?


見てて考えたのはそういうこと。
クリス君とも見終わった後で話したんだけど
CGはものすごいことになってて実写の部分と区別が付かないぐらいなのに
ナチが開発した人間兵器「ローレライ」を操縦する少女パウラがドイツ語の歌を歌うとき、
口パクが合ってないんですね。
この辺の詰めの甘さが歯がゆい。「技術」をもってしてもどうにもならんのか。
妙に説明的なセリフがあちこちに出てきてばかりだし。
潜水艦映画ってある種固有のカタルシスさえ得られるかどうかが大事だから、
個々のセリフって聞こえなくても実はいいんですよね。
敵に襲われる、果たして生き残れるのか、それとも海の藻屑となるか。
その軸さえ揺ぎ無ければ成功は保証されてるのに。
なのに恋愛映画の要素を持ち込んでみたり・・・。


ピエール滝が大真面目で演技していて、なかなかよかった。
戦前は銀座のパーラーでアイスクリームを作っていたという無駄に細かい設定が最高。

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見終わった後、京料理の店に入って「ローレライ」についてあれこれ言い合う。
その後予告編の話になる。
踊る大捜査線」シリーズの番外編「交渉人 真下正義」は面白そうだなあ。
「踊る」シリーズは映画はおろかドラマの方もこれまで一切見たことないんだけど。


あと、気になるのは「タッチ」
予告編では朝倉南だけ出てくるんだけど、これがものすごく似ていない。
いいのだろうか?この時点で僕はがっかり。長澤まさみなんだけど。
上杉達也・和也に至っては果たしてどうなることだろう。
「タッチ」って僕はもう大好きでこれまでの人生で何回も読み返してきていて
神聖不可侵な「タッチ」像みたいなのが出来上がってる。特に「朝倉南」像。
それを侵されるようで怖い。
あの独特の陰のある感じはスクリーン上に再現できるのか。
監督が「ジョゼと虎と魚たち」の犬童一心だから
作品そのものは期待できそうではあるが・・・。