題名を付けにくい話

アパートから駅までの途中、横道に入って狭い商店街を歩くと
パッとしないコンビニがあった。一応、とある有名チェーンの看板を掲げてはいるんだけど
店番を老夫婦がのんびりとやっていて、商売っ気がなくて趣味でやってるような、そんな店だった。
なんとなく薄暗い感じがして、並べ方も雑然としている。
よくサンドイッチのセールをやっていた。今思うと売れ残りだったのだろう・・・
(この商店街そのものが、趣味でやっているような店が多いように思う)


一ヶ月前だったか、閉店セールを始めた。
「ああ、ついに」と思った。
セールって言っても華々しいことは何もなくて、
店の在庫の日用品を細々と売り切るというだけ。
悲惨なムードはあんまりなくて、むしろ淡々としていた。
売り上げどうこう以前に、「ま。そろそろ年だし、引退しますか」ぐらいの雰囲気。
店番のおばちゃんが通りがかりの馴染みの客なのか近所の人なのか
同じようなおばちゃんとのんびりと話しこんでいるのを何回か見かけた。


売れるんかいな?と他人事ながら心配になって時々店の前を通るようにしていたら
ノロノロノロノロとすこーしずつはけていって、最後には店がガラガラになった。
なんとかなるものなんだな、とほっとした。


(こんなふうに書くと日々それとなく愛用していたかのように思われるかもしれないが、
 実際のところ僕はここで物を買ったことはなかった。足を踏み入れたこともない。
 くだんの在庫一掃セールのときも。
 なんつうか、この店、というかこの商店街は目の前にあるけど完全な別世界、
 そう、何年か10何年か、時間が止まってしまってるかのような店が多くて・・・)


最後の方には整髪料とかが店の入口の真ん前の棚にポツリポツリと並べられているだけで
侘しいことこの上なく、
ものすごく田舎の、その一帯で唯一の「店」に入るとこういう感じだよな・・・
って懐かしいんだかなんなんだか、ものすごく複雑な気持ちになった。


みんな必要に迫られて買ったのではなく、
応援するというかカンパするというか、
一日でも早く店番から解放してあげたいと思って買ってあげてたのではないか・・・

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というような話を前から書こうとしていた。
何で書きたくなったのかはよくわからない。
なんかわからないけど、書きたくなった。


こういう光景は日々目にしているのに、
あちこちで見かけててすぐにも忘れてしまうのに、
なぜか、この店のことは残しておきたくなった。


こういう気持ちって何なのだろう?
僕の中で何が引っかかっているのだろう?

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店はまだ営業しているようで、
どっかからか仕入れた富士山のミネラルウォーターと
写真の現像だけ扱っている。
「用のある人は自販機横のチャイムを鳴らしてください」と貼り紙している。


チャイムを鳴らす人はいるのだろうか?
と思う。