趣味がない

(先日同様、mixi に書いたのを補足して転載します。反響があったので・・・)

ある意味、僕は趣味がない。昔から。


僕の身の回りにいる人は「嘘つけ!」と思うだろうし、
「多趣味な人ですね」と言われることも時々あるが、
でも、自分の中でこれといって趣味と言えるものはないと思っている。


確かに音楽と小説と映画については
世間一般の人よりははるかに詳しくてたくさん買ったり読んだりしているが、
趣味かと言うとなんか違う。
もっと別なもの。


本はだいたい、会社の行き帰りと寝る前しか読まない。
ただの活字中毒なだけ。食い物と一緒。
音楽は流しっぱなしにして別なことをしているか、ちょこっとしか聞かない。
PCに取り込んでなんかしてるわけでもないし、iPodも持ってない。
音楽を趣味とするっていうのは、
どっちかというとアンプやスピーカーにこだわるって方が
「趣味」っぽいように思う。


映画は「趣味」と称する人ほど劇場に通ってない。
DVDを借りてきて見る習慣もない。
ここ数年は年に1回か2回あるだけか。買って見るものの方が多い。
学生時代キチガイのように借りまくったが、
あれは今思うと「学習」だった。


「映画を撮る」ってのは趣味と言えるほど活動的ではない。
「小説を書く」ってのは断じて趣味ではない。あくまでトレーニングである。


「インターネットで情報配信」してることは趣味じゃないか?
という指摘もあったが、書くことは絶対、絶対、絶対に趣味じゃない。
「楽しくない」っていうのではなくて。
生きていくために必要としていること?かな。
光を見出すためにもがいている、というような。


年に1度の海外旅行を趣味と呼んでいいのだろうか?
食べ歩き?これもまだまだ趣味としては浅い。


強いて言えば、
いろんな音楽のガイドブックを買っては眺めてるのが趣味か。
そして、「これは」と思ったのを買いに行く。
なかったら探す。探しまくる。
その解説を日本語か英語で書かれたのを読んで、また別な何かにつなげていく。
聞くことよりも、やはり「学習」に主眼が置かれている。


学ぶこと  = 趣味  のわけがない。
集めること = 趣味  も自分の中で違和感がある。


ライブラリの強化としての「集める」行為と、
ただ純粋に趣味としての「蒐集」の行為とがあるように思う。


僕の場合、確かに「楽しい」ってのはあるけど、
「業」ってのと、投資ってのが入り混じっている。

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要するに、趣味がなくて、夜帰ってきてもすることがない。
テレビは見ないし。
例えば mixi や友人・知人のブログを見ているとか。


土日もすることがない。
寝る、起きる、小説を書く、食べる、
余った時間で新聞か雑誌を読んでる、
時々どこかに出かけてなんか見たり買ったりする。
日によっては誰かに会ったりする。
それだけ。


「朝早いですね」って言われて「夜早く寝るんで」と答える。
こういうやりとりが年に何回かある。
これってただ単に、起きてても何にもすることがないからだ。


こんな自分は、つまらない人間だろうか?

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ちなみに。
そんな自分が趣味として想定していたこと。


・ボトルシップを作って品評会に展示
・フットサルのチームで週末は練習か試合
・蕎麦を打って友人に披露
・川柳を作って定期的に新聞に投稿
・釣堀で時間を過ごす


仕事、日々のこまごましたこと、その他。
このように毎日の暮らしが分けられるとしたら、この、「その他」の部分。
仕事とは直接結びつかず、一切切り離されて、
仕事や日々の雑事とは別の価値観の生産性に基づくもの。
客観的・社会的な経済的価値がゼロ、もっというとマイナスでもいい。
その人が惚れ込んでいるのならば。

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まあでもゆくゆくは、自他共に求める趣味人となるんだろうなー。
仕事 = 趣味 となるのかも。
というかそうありたい。
音楽や映画や書くことが、ようやく「趣味です」と言えるような段階へといつか到達する。


ただし、
趣味 = 仕事 となるのは違います。