大学院時代に一緒に学んだ年上の方から、
研究成果を文章にしましたとリーフレットが送られてきた。
専門の研究者ではないが、
修士課程終了後も生涯の研究テーマについて独自に研究を続けている。
僕は大学院で学んだことが仕事に役立つわけでもなく、それっきり。
いろんなことを忘れてしまった。
ロシアのことも。現代文学理論のことも。
ミハイル・バフチンのポリフォニー理論であるとか。
あの当時貪るように読んでいた現代文学の作家たちのあれこれの小説
(もちろん翻訳もの)の「読んだ」という記憶しか残っていない。
後は、研究とは関係のない様々な思い出だけ。
僕はその頃から小説家になりたいと思っていて
「その役に立つかも」とか時間の猶予という意味で大学院に入った、ようなものだ。
だからその後小説を書き続けているならば
小説とは何か?いったい何なのか?という命題に向けて
僕なりに研究というか探求が続いていることになる。
それまで読んでいたミハイル・バフチンのポリフォニックな言語哲学と
テリー・イーグルトンという文芸批評系の哲学者の書いた
「文学とは何か」に出会ったときの衝撃。
断片的に僕の中に残されているのはそれぐらいか。
無駄な時間ではなかった。
人生の寄り道として、むしろ有意義であった。
あの時代がなかったら僕は、今よりももっとつまらない人間になっていたと思う。
文学とか文芸とか文化とかまたそういうのを研究できたらなあ。
小説家を諦めたら僕はそっちの方向に進むんだろうなあ。趣味として。
音楽と映画と小説とを統合するもの。
まあサブカルチャーって呼ばれるものになるんだろうけど。
どこか特定の時代か事象か人に絞って、知られざる出来事を追求していく。
昔からそういうのに片足突っ込んでるようなもんだが。本格的に。
何らかの系譜というか、ある種の文化事象のつながりを縦にも横にも追い求める。
80年代アメリカ各地のインディーな音楽と映画との結びつきとか、そういうの。