クロニクル編集術

たまには僕が教えてる学校のカリキュラムのことを書きます。
イシス編集学校の応用コース「破」(守破離の破)に
クロニクル編集術というのがあって、こういう自分史の年表を作成します。


自分が4年前に学んでいたときに一度作成して、
教える側に回ったとき前回のコースで試しにまたつくってみたのでした。
見本ってほどじゃないけど、こんな感じになるよと。
今回のコースでも少しアップデートして教室に展開しようかなと考えたのですが、
まあそうしなくても大丈夫そうだったのでこちらにこっそり。


自分史といっても、あることないこと全部網羅するのではなく、
あの年にフラれたとか跳び箱が跳べなかったとか
人生のダークサイドには特に触れず。
自分のやりやすいところってことで映画、音楽、文学、アートを中心に。


まあこんな講座です。
http://es.isis.ne.jp/ha.html


XXXX_XXX_☆★□□□□*□□□□■□□□□*□□□□■□□□□*
1975 S50  ★[0歳]1月1日、東京都東久留米市で生まれる。誕生日
       が同じの豊臣秀吉にあやかって名前に「豊」の字をもら
       う。


1976 S51  ★[1歳]父の転勤に伴って青森県青森市に引っ越す。当時
       は知るよしもなかったが、住んでいた「本町」は裏通り
       のネオン街だった。


1980 S55  ★[5歳]生まれて初めて人形劇を見た。青森市文化会館
       て「くるみ割り人形


1980 S55  ★[5歳]生まれて初めて買ってもらったマンガは『ドラえ
       もん』の15巻。最もSF色が強いですね。以後、価値観
       の根っこにはドラえもんとSFが宿ることになる。


1981 S56  ★[6歳]小学校入学。父の転勤に伴い、2ヶ月で転校。青
       森県むつ市田名部へ。


1982 S57  ★[7歳]2年生の終わりに青森県青森市油川に引越し。以
       後、高校卒業までを過ごす。


1983 S58  ★[8歳]生まれて初めて映画を見た。「E.T.」当時空前の
       大ヒット。最初の出会いなので、その後もスピルバーグ
       監督の映画が、夢があって好き。


1984 S60  ★[10歳]この頃図書館から借りて読んでいたのは四次元と
       かUFOとか謎の古代文明とか超常現象系ばかり。外で遊
       ぶのが嫌いで閉じこもっていた子ども。


1986 S61  ★[11歳]叔父から『映画暦』をもらう。映画が生まれて
       100年を記念して、古今東西の名作の写真とセリフを日
       めくりにしたもの。映画の魔力に引き込まれる。


1987 S62  ★[11歳]中学校に入学。昼休みはゴムボールで野球をやっ
       てた。あとは友達の家でドラクエ。2や3の頃。今思う
       と成長の物語を求めていたのか。


1987 S62  ★[12歳]歌番組を見始める。「ベストテン」や「トップテ
       ン」など。ラジカセに録音する。生まれて初めて買って
       もらったアルバムはC-C-B。カセットテープの時代。


1988 H1   ★[13歳]ドラマに使われた「TRAIN-TRAIN」をきっかけに
       ブルーハーツにはまる。寝ても冷めてもそればかり。他
       には、レベッカバービーボーイズレピッシュ


1988 H1   ★[13歳]星新一のSFショートショートを片っ端から読む。
       奇抜なアイデアが好き。しかし筒井康隆であるとか他の
       日本のSF作家には広がらず。自分でも不思議。


1989 H1   ★[14歳]青森市文化会館にてブルーハーツのライブ。友だ
       ちと見に行く。初めて、子どもたちだけの遠出だったか
       もしれない。


1989 H1   ★[14歳]The Beatles に出会って、以後洋楽しか聞かなく
       なる。小遣いでCDをレンタルしてはテープにダビングす
       るというのが高校卒業まで続く。


1989 H1   ★[14歳]レンタルビデオ青森市にも増えて映画を借りま
       くる。「死霊のえじき」「バタリアン」であるとかもっ
       ぱらホラー、ゾンビ映画


1989 H1   ★[14歳]たまたま本屋で見かけた『キャッチ=22』が生涯
       No.1の小説となる。第2次世界大戦をシニカルなブラッ
       クユーモアとして描く。人はなぜ生きるのか、と思う。


1990 H2   ★[15歳]高校入学。片道1時間半かけて自転車通学。1年
       生のときは帰宅部で昼休みはトランプで大富豪の日々。
       映画部にも入るが活動はなし。


1990 H2   ★[15歳]ノートに詩を書き始める。けっこうな分量になり、
       秘密のファイルとして今も手元に残している。


1991 H3   ★[16歳]ひょんなことから演劇部に入り、音響担当となる。
       市の予選を勝ち抜いて県の高校演劇大会へと進出。目標
       の全国大会は手が届かず。初めての合宿が楽しかった。


1991 H3   ★[16歳]NirvanaNevermind」発表。アメリカはグランジ
       オルタナティブの時代となり、のめりこむ。The Stone
       Rosesの1枚目に始まるマンチェスター系にもはまる。


1991 H3   ★[16歳]高校の友人たちはメタルばかり。Whitesnake
       Mr.BIGなど。それはそれで貸してもらって聞く。ジャン
       ルの壁というものを意識する。


1991 H3   ★[16歳]本格的に映画が好きになってきて、この頃から見
       る映画は名画や話題作にシフト。青森市名画座で「七
       人の侍」のリバイバル上映を見て感銘を受ける。


1992 H4   ★[17歳]上京する機会があって、たまたま渋谷のHMVに足
       を踏み入れる。輸入盤の存在を初めて知り、テンパる。
       世界は広い、と思い知らされる。


1992 H4   ★[17歳]太宰治人間失格』を読む。打ち震える。と言い
       つつも青森県民として、一番好きなのは『津軽』ですね。


1992 H4   ★[17歳]演劇部の部室に転がっていた岡崎京子の『Pink』
       を読んで、東京に出よう、出るんだ! と固く心に誓う。
       志望校を変えて猛勉強。


1992 H4   ★[17歳]受験勉強の合間に、高校の友人たちと初めて映画
       を撮る。そのときの僕は監督ではなく、ビデオカメラで
       撮影。


1993 H5   ★[18歳]東京の大学に合格。手続きに向かう新幹線の中で
       『ライ麦畑で捕まえて』を読む。自分の人生にシンクロ
       する。アメリカ文学、映画、音楽に傾いていく。


1993 H5   ★[18歳]多摩地区の西の方でそれほど華やかではないキャ
       ンパス・ライフが始まる。4人部屋の寮で麻雀と体育会
       系飲みの日々。この時代の仲間とは結束が固いですね。


1993 H5   ★[18歳]寮の先輩に引っ張られて自主映画製作サークルへ。
       のめりこんで大学6年間は映画の撮影に明け暮れる。後
       に部長も務める。この仲間ともやはり深いつながりへ。


1994 H6   ★[19歳]選考という名のジャンケンに勝って、大学の短期
       留学生に選ばれる。8月の1ヶ月をモスクワで過ごす。
       ロシア文学ロシア映画にも惹かれてゆく。


1994 H6   ★[19歳]寮の公衆電話を数人で占拠し、「ちけっとぴあ」
       の電話予約にかけまくってU2来日公演のチケットを入手。
       東京で初めて見にいったライブ。


1994 H6   ★[19歳]高校の演劇部の友人から声がかかって、とある大
       学の演劇サークルの公演を手伝う。このときもまた音響
       係。


1994 H6   ★[19歳]寮の友人と2年続けて、シンディ・ローパーの来
       日公演を見に行く。「Hole In My Heart」といった大好
       きな曲が聞けなかったのが残念。


1995 H7   ★[20歳]小説家になろう、と心に決める。『カラマーゾフ
       の兄弟』であるとか、夏休みはひたすら現代文学のあれ
       これを読んで過ごす。初めて100枚の作品を書く。


1995 H7   ★[20歳]映画サークルにて初監督作品を完成。学園祭で上
       映。潜んでいたSF趣味が表に出てきて、宇宙人と出会っ
       て海辺に行く話。


1996 H8   ★[21歳]就職したくないなあ…、と大学院へ行くことを決
       める。ミハイル・バフチン言語哲学をテーマに選んで
       哲学・現代思想関係も読み始める。


1996 H8   ★[21歳]この頃少しバンド活動にも手を出すが、あまりの
       練習しなさっぷりに早々にクビ。Metalica のカバーで
       パートはベース。


1997 H9   ★[22歳]大学院には入ったものの、勉強はほとんどしない
       でバイトと映画撮影と小説のコンテストに応募する毎日。
       このときの不完全燃焼がのちに編集学校へ。


1998 H9   ★[22歳]新宿のリキッド・ルームでBoredomsのオールナイ
       トやSonic Youth、渋谷のクワトロでYo La Tengo、Arto
       Lindsey、Lounge Lizardsなど。行きまくってた。


1999 H10  ★[23歳]池袋の名画座ジョン・カサヴェテス監督の回顧
       上映。この頃にはかなり映画の趣味がアート寄りになっ
       ていた。シネマライズとか単館上映系ばかり。


1998 H10  ★[23歳]修士論文を書く。地下文学の大家ベネディクト・
       エロフェーエフ『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』
       と現代ロシアのポストモダニズム文学について。


1999 H11  ★[24歳]学生時代最後に作った映画は自分自身に関するド
       キュメンタリーとフィクションが入り交じる構成。自分
       でも手ごたえがあって、周りにも評価された。


1999 H11  ★[24歳]IT関係の会社に入社。給料をもらって、お金に余
       裕ができ始めてからは毎月何十枚とCDを買うようになる。
       それが今に至るまで果てしなく、…


2000 H12  ★[25歳]出張でアメリカ、フォートワースへ。人生2回目
       の海外。巨大なショッピングモールと郊外の風景に何の
       違和感も感じない。自分の中のアメリカ好きを確信する。


2000 H12  ★[25歳]この頃に見たクストリッツァ監督の『アンダーグ
       ラウンド』が生涯No.1の映画となる。号泣。旧ユーゴの
       悲劇的な歴史が途方もない想像力で語られる。


2001 H13  ★[26歳]この年から3年連続、フジロックを見に行く。こ
       の年は渋さ知らズオーケストラにぶっとぶ。渋さにはま
       ってあちこち見に行く。大所帯で毎回編成が変わる。


2001 H13  ★[26歳]1週間の休暇でノルウェーの小さな村へ。オーロ
       ラを見に行く。一人旅で大変なことばかりだったけど、
       海外旅行に目覚める。以後、毎年の休暇は海外旅行。


2002 H14  ★[27歳]入社して4年目。この頃が一番仕事してた。終電
       帰り、休日出勤。完全に自分というものを見失っていた。
       SFしか読まなくなる。それが5・6年続いた。


2003 H15  ★[28歳]学生時代、みんなでワイワイ集まって映画を作っ
       ていたのは楽しかったよなあと会社の周りの人たちを集
       めて、短編映画を撮る。


2004 H16  ★[29歳]なぜかこの年、バレエや舞踏ばかり見に行く。詩
       の身体性とでもいうか。アイーダ・ゴメス、モーリス・
       ベジャールピナ・バウシュ…。野田秀樹の演劇も。


2004 H16  ★[29歳]30歳を前にして小説家になりたい、ともう一度熱
       い気持ちになる。土日は小説を書いて過ごす。しかし、
       コンテストに応募しても全く認められず。


2004 H16  ★[29歳]長期の休みを取ってモロッコとドバイに旅行。サ
       ハラ砂漠の広さに圧倒され、異文化としてのイスラム
       触れる。後にこのときのことを自費出版する。


2004 H16  ★[29歳]かつての映画サークル仲間が集まって、同人誌を
       出すことになる。短編を載せる。しかしこの同人誌は1
       号だしてそれっきり。


2005 H17  ★[29歳]青森に帰ったときに友人と下北半島津軽半島
       車で回る。三沢では寺山修司記念館へ。小泊では『津軽
       に登場する太宰治の乳母タケの記念館へ。


2005 H17  ★[30歳]年末年始返上のプロジェクトで29歳最後の日と30
       歳初日を迎える。この年最初の仕事は上司のFAX誤送信
       の回収。この頃からやさぐれ社員に。


2005 H17  ★[30歳]会社に映画部を立ち上げ、部長となる。3本目の
       映画を完成させる。世界の終わりを海辺で過ごす人たち。
       これが今のところ最後の作品となる。


2006 H18  ★[31歳]相変わらず土日は小説を書く毎日だが、芽が出ず。
       大学の後輩が訳したジム・ジャームッシュのインタビュ
       ー集に音楽関係の註を書く。


2007 H19  ★[32歳]ツテがあって、見習い音楽ライター。原稿がWEB
       サイトに掲載される。その後うまくいかず。世渡りの下
       手さ加減を思い知る。


2008 H20  ★[33歳]1週間の休みでニューヨークへ。メトロポリタン、
       グッゲンハイムにMoMAと美術館周り。アメリカの画家で
       はエドワード・ホッパーの孤独に惹かれる。


2008 H20  ★[33歳]Rockin'onの「ロック六畳一間」という読者の部
       屋を紹介するコーナーにて、CD7000枚という触れ込みで
       採用される。今も部屋は足の踏み場もない。


2008 H20  ★[33歳]なぜ自分は小説家になれなかったのだろう? と
       考える。人に習ってもいいのではないかと思う。このと
       き『物語編集力』に出会って、編集学校の門を叩く。


2009 H21  ★[34歳]2007年、2008年、2009年と3年連続でサマソニ
       見に行った。この年はSoulwaxや2 Many DJ'sがベスト。
       ソウルもクラブ系も聞く、いつのまにか雑食な自分。


2009 H21  ★[34歳]夏休みにマドリードバルセロナへ。20世紀の記
       録として「ゲルニカ」と「サグラダ・ファミリア教会」
       を見てみたかったんですね。


2010 H21  ★[35歳]物語講座2綴を全力で駆け抜ける。初代グランプ
       リを獲得してそりゃやっぱ嬉しかった。ヴァージニア・
       ウルフの評伝30枚はしんどかったけど充実してた。


2010 H22  ★[35歳]大阪でレオパレスを借りて2ヶ月間出張。その途
       中で六離が始まる。特攻隊長となるがケチョンケチョン
       の日々。最後に燃え尽きてたいした結果は残せず。


2010 H22  ★[35歳]数ヶ月、貪るように映画を見る。DVDを借りて土
       日は7本イッキに。月100本ペース。「ブレックファスト・
       クラブ」「がんばれ!ベアーズ」チョイスは無作為。


2011 H23  ★[36歳]2月にベルリン旅行。「ベルリンの壁」に触れる
       と、吸い込まれそうなぐらいにひんやりとしていた。芸
       術家コミューン「タヘレス」よ、永遠なれ。


2011 H23  ★[36歳]25[破]津軽アロハ教室でやりたい放題。ターミネ
       ーターと呼ばれる。離へ、師範代へ、物語講座へと巣立
       っていく。今も月イチで会って飲んでる。


2011 H23  ★[36歳]震災後、来日アーティストのキャンセルが相次ぐ
       中でシンディ・ローパーの公演決行は嬉しかった。この
       年は冬、鬼束ちひろを見に行った。


2012 H24  ★[37歳]ふと思い立って、2月、中上健次の文庫を片手に
       熊野古道をひとり歩く。それまで海外旅行ばかりだった
       のが国内にも目が向くようになる。


2012 H24  ★[37歳]書くスピードが早いってことで編集工学研究所の
       依頼でスマホ向けアプリのシナリオを書く。10−12月の
       3ヶ月で400枚書いてた。これが転機となるか。


2012 H24  ★[37歳]LADY GAGAのチケットに当たったり、EP-4を見に行
       ったら校長とばったり会ったり。この年最もよかったの
       は、N'夙川BOYSでした。


2013 H25  ★[38歳]28[破]師範。カラメル狂言教室、合接前線教室。
       この僕が破の師範となっているとは…。20守破の頃には
       全然思いも寄らなかったですね。


2013 H25  ★[38歳]4月に見たジョセフィン・フォスターがすごかっ
       た。灰野敬二と共演。その他、My Bloody Valentine,
       BOY, Buffalo Daughter, Ke$ha など。


2013 H25  ★[38歳]29[破]師範。アタリ磊々教室教室、吹寄せ峠教室。
       AT賞の発表も終わって、今は物語編集術へ。