スロウライダー「Maggie」

3連休の初日、スロウライダーの新作「Maggie」を見に行った。
http://www.slowrider.net/index.html


場所は下北沢の駅前劇場。
去年頭の「わるくち草原の見はり搭」が
隣の「OFF・OFF シアター」だったことからすると順調なステップアップ。


前回の公演「トカゲを釣る」を見たときに
次回作はリチャード・ブローティガンの「西瓜糖の日々」を原作とするとあって、
そのときたまたま読んだばかりだったので内容も記憶に新しく、
「へーどんなんだろう?」と気になった。
まあでもたぶん原作の背景だけをパクって
いつも通りのスロウライダーの劇になるのではないかと僕はあっさり片付けた。


名前を持たない「私」が主人公。
ポーリーンやフレッドといった仲間たちと
ユートピア「iDeath」にて牧歌的な生活を送っている。
そのつまらなさをとことん憎んで出て行ったインボイル。
彼のところに入り浸るようになった、かつて「私」と愛し合っていたマーガレット。
「iDeath」の向こうには荒涼とした「忘れられた世界」が広がっていて
「iDeath」の人たちは誰も足を踏み入れようとしないんだけど、
マーガレットとインボイルの仲間たちはその「忘れられた世界」へと出かけ、
忘れられたものたちを見つけて戻ってくる。
それがどういう物語に発展してくるかはここではひとまず置いとくとして、
背景としてはこんな感じ。
全ての「物」が西瓜糖を煮詰めたものから作られているとか、
毎日違う色の光を放つ太陽であるとか、
言葉を話す虎たちの絶滅であるとか、
そういう世界観はスロウライダーの根底に共有するものがあるのだと思う。


なので換骨奪胎するのは楽な作業で、ところどころひねったりして、
見てる側としては「ああ、ここが西瓜糖なのね」「ハアハア、フンフン」となるのではないかと。
あるいは、「西瓜糖の日々」ってのはただの冗談であって、
それらしきものは何も出てこないのではないかと。すかしてみただけ。




見たら全然違った。
驚いた。驚かされた。


原作のある劇。
それをどういう構成・構造の元に形作って、展開するか?という意味において
「Maggie」はものすごい冒険だった。そしてその行程の果てに確かに何かを見出した。
他にこういう劇団の芝居を見てるわけではないのでなんとも言えないけど、
今回為しえたことはかなりのレベルのことではないか?
少なくともスロウライダーとしてはここ何作かの低迷を打破して、
新たな扉を開いたように思う。


物語の世界と劇の中でのリアルな世界の交錯のさせ方が見事だった。
それがどんどん変容して行って、その変容していく様が見ててものすごくスリリングだった。
劇中のさえないニートの主人公が居候先で「西瓜糖の日々」を片時も離さず読んでいて、
「西瓜糖の日々」の登場人物たちが舞台の上にも現われるようになる。
主人公と「私」はセリフを共有する。
それは主人公の幻想なのか?それとも現実なのか?
そういうところから始まって、
出てくる役者たちの役割がめまぐるしく変わっていって
現実と虚構の間の境界線が崩れていく。何度も何度も執拗なまでに崩れていく。


境界線を越える瞬間を描くってのは
これまでのスロウライダーでもいつもやっていたことだけど、
今回はこのきわどさが絶妙だった。
それでもそういう「作為」に溺れることなく、
クライマックスへと得体の知れない醒めたテンションで大胆不敵なまま突き進んでいく。
原作を読んでいた僕でもこの物語が
どういう展開を迎えてどういう結末を迎えるのか全然想像もつかず、
ハラハラしながら見守った。


きわどさが絶妙っつうか、これまではそういうラインのスレスレのところを
いかにかわすかってのが主眼だったのが、
今回はそういうレベルからあっさりと卒業してた。
何が虚構なのか何が現実なのか
そのこと自体を執拗に問い詰めるようになったというか。
なんか違うな。虚構も現実もなくて、
ただただ異様な物語がそこに成立していて、
それをドキュメンタリー的にあるがままに綴っていくというか。


いい脚本が書けたという自信があったのだと思う。
舞台美術もシンプルなものだった。
これまでスロウライダーと言えば、二階のある家を作るなんてのは普通で、
いかにディテールにこだわって
大掛かりなものを配置するかってのが醍醐味の1つだったんだけど、
今回はそういう要素は少なくて、むしろ抽象的なセットになっていた。
削ぎ落とす過程に入ったというのはとてもいいことだ。
目的、進むべき方向性がはっきりと見え出したってことなのだから。


次回作は出世作(に当たるのかな)「アダム・スキー」の再演。
これまでの路線で再演だったら
「ああもう悩みまくって、煮詰まって、することがなくなったのだな」ってことになるんだけど
今回みたいな新境地に達しての再演なのだから、これはきっとすごいはず。
(でないと再演の意味は、普通、ない)
たぶん演出の山中さんの頭の中には確固たるプランやイメージがあるのだろう。


楽しみだ。
非常に楽しみだ。