「一橋大の新入生 コンパ後死亡」
http://www.jiji.com/jc/zc?k=200804/2008042800228&rel=m&g=soc
このニュースを昨晩見たとき、ショックだった。
時代は変われど、
名前や建物や運営ルールが微妙に僕らと違えど、
一橋寮のことかと思うと。
で、僕らも新勧の時期ともなると
(っつうか新勧の時期に限らず、年中)
記事にあるように
「寮内で、1、2年生11人とビールや焼酎などを飲んでいた」
これ、平たく言うとまあこんな感じなんだろうけど、
僕らみたいな無茶苦茶なイッキをやってたんじゃないかな。
お立ち台に立って、自己紹介してビールを何杯も飲まされた挙句、
最後は「コップにスリキレでポンシュ10杯でしめろ」みたいな。
それが寮の「伝統」ってことになってて。
そうか。
遂にこういうことになってしまったか・・・
確率やタイミングの問題だったのか。
それとも。
僕らの時代は同じ部屋・同じブロックの先輩が
吐き方をマンツーマンで指導したり
介抱して、あれこれ世話してくれた。
(そう、喉の奥に自分の指を突っ込むことまでしてくれた)
自ら切り込んで行って酔っ払ってつぶれてる先輩もいたが、
酒が飲めなかったり、強かったりで冷静さをきちんと保っている先輩もいた。
これが一橋寮の個室化に伴って
人間関係が希薄になったのではないか。
かつての伝統が形骸化したのではないか。
いや、彼らもまた人として、人生の先輩として、
酔いつぶれた後輩をなんとかしようとしたはずだ。
そう思いたい。ほったらかしにしなかったと信じたい。
現状を知らないまま書いて、ごめんなさい。
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これまで何度も何度も書いてきたけど、僕らの寮はすごかった。
キチガイだったと思う。
今もよく覚えてるのは
同じブロックの友人が他のブロックで飲んでるところに
誘われて、というか連れて行かれて
「カクテルつくってあげるよ」って言われて
宝焼酎「純」の原液にちょっとだけオレンジジュースを足したものを
「じゃあイッキしろ」みたいな。
友人はそれを一瓶飲み干して、飲んでる途中でトンでしまって
向かい側、南側のブロックの廊下で騒いでた、というか暴れてた。
たぶん、ロケット花火に火をつけてところ構わず発射したんじゃないかな。
僕らはそれを北側のブロックの、
カーテンのかかってない部屋で麻雀を打ちながら見てた。
「あいつら好きだなあ」なんて言いながら。
僕らは僕らで朝まで打って、勝とうが負けようが
駅前の立ち食いそばに行って牛丼を食べた。
そんな毎日だった。
あまりのうるささと品の無さに
付近の町内会の会長が竹刀持って怒鳴り込んできたこともあった。
地方から上京してきて、18か19か20歳。
地元では成績優秀な優等生と呼ばれていた連中の成れの果て。
家が裕福じゃないから寮に入って、そしてその大半が寮に染まって。
授業に出ないで単位をたくさん落とすと、かっこいいともてはやされて。
人というよりは動物。猿、あるいは豚。
過酷な受験戦争を勝ち抜いてきた受験エリートが自分を貶めたくなったのだと
自堕落な生活を送ってみたかったのだと僕は思う。
だからそれが永遠に続くこともなく、3・4年で普通に戻って
結局は一橋なのだからほとんどのものが大企業・有名企業に就職していく。
(もちろん誰も彼もがこうだったのではなく、
流されず普通に生活して勉強をしていた人も地味に多かった)
僕としてはこれまでの人生で最も楽しかった。黄金時代。
人生で最も多感な頃にそんなふうにして過ごした仲間なのだから、結束は固い。
昔ほどではないにせよ、今でもことあるごとに会っている。
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今となってはいい思い出ばかりなんだけど、
というか皆いい思い出に変換されてしまったんだけど、
寮の「酒は吐くまで飲むもんだ」みたいな文化に僕はいまだ毒されていて
今も時々やらかしてしまう・・・