一松と白菜鍋

火曜の夜、一橋大学OB・OGの多く集まる facebook のグループに
「一松」のオヤジさんが今月一日に亡くなられた、という投稿が。
同じ頃、LINE の一橋寮のグループにも連絡が。
 
一橋学園駅前からすぐの路地裏にひっそりと佇む焼き鳥屋。
一橋大学ご用達、と言っても全ての学生に愛されたというわけではなく、
ごくごく少数だったと思う。
一橋寮生、おそらく小平祭や一橋祭の実行委員会、応援団、一部の体育会。
大学のコアな部分のネットワークに関わった人たちというか。
時代で言うと80年代、90年代か。
学生たちでうるさいから、
一般のお客さんが利用することはほとんどなかったんじゃないか。
 
享年87歳。
僕らが卒業した90年代後半には既に体調がすぐれなかったと思う。
一時は国立にも支店を出したけどそれもすぐ畳んで、
00年代のあるときから予約があった時だけ店を開けていた。
全国から卒業生がオヤジさん、おばさんを慕って訪れてくるから、
完全に閉めることはできなかった。
 
これまで何度も書いてきたことではあるが、
僕ら寮生はことあるごとに一松の二階で「コンパ」と称して
キチガイじみた酒宴を繰り広げていた。
ビールのケースを逆さにしてお立ち台を作るとそこに一人ずつ立って、
自己紹介や近況報告に始まってツッコミが入るたびにコールがかかって
紙コップに注いだ、あるいは場合によっては瓶のままビールをイッキ。
しかもそれが1回や2回ではなく吐くまで続けられる。
足元にメンキ(洗面器)とトイペ(トイレットペーパー)を置いて。
〆は日本酒で紙コップ10杯連続でイッキとか。
 
途中参加は「駆けつけ」と称して、
周りが応援歌「東都の流れ」を歌う中で瓶ビール1本をイッキ。
お立ち台に立った時には必ず
その時好きな女性の名前を言わせるというコーナーがあって、
周りはサザンの「チャコの海岸物語」を歌う。
「心から好きだよ~」と周りがコールすると「〇〇子~!!」と叫んで、
「〇〇子! 〇〇子!」とコールがかかって一気飲み。
進展があると飲まされ、進展がないと飲まされ。
とにかくうるさいので2階は窓がなかった。
 
そういうのを新勧期の4月はほぼ毎晩。
その後も月に数回はやってた。
お金があると一松で、ないと寮の集会室で。
うるさい!と町内会長が竹刀を持って怒鳴りこんできたこともあったとか。
それでもその頃誰も死ななかったのは、
それどころか急性アルコール中毒で救急車を呼んだこともなかったのは、
表向き無茶やりつつも先輩が酔っぱらった後輩を、きちんと介抱するようにしていたから。
トイレに連れて行って指を突っ込んで吐かせたり。
誤解を恐れずに言うと、いい時代だった。
 
お立ち台に立って飲まされ、汚したのは片付けて、
一松で飲んでいた時は最後、白菜鍋を運んでもらう。
白菜と鶏肉と鶏がらスープだけの簡単な鍋。最後は卵でとじたおじや。
これがほんとおいしかったなあ。
あるときオヤジさんに聞いたら、
「金がない学生さんに安くておいしいものを腹いっぱい食べてほしかったから」と。
 
レシピを探したらかつてバイトで働いていた片のが見つかって、
今も僕は時々作って食べる。
 
僕の学生時代の良い思い出の大半は一松と白菜鍋でできている。
ご冥福をお祈り申し上げます。