青森帰省その3

okmrtyhk2009-05-05


7時半に目を覚ます。母は朝の支度をしている。
着替えて、布団を畳んで、朝ごはんまでの間にダンボールに本を詰める。
帰省するたびに少しずつ、青森に置いてある本を東京に移しておこうと。
いつの日かまとめて行うか、今から小まめに行うか。
今回もまた、一箱分。イカの燻製だとか、母の食べないもらいものも一緒に。
宅急便に集荷に来てもらって、明日の夜東京で受けとる。


朝食の後、家中に掃除機を掛ける。
その後、「海辺のカフカ」の続きを読む。


タクシーに乗って、三内霊園へ。叔母の墓参り。
岡町の方に差し掛かると、以前田んぼの広がっていた一帯に細長い大きな建物ができている。
新幹線の整備場だという。
いつもだと新城の方から三内へと向かうのに、今日はいったんバイパスへと合流する。
いつのまにかバイパスと垂直に交わる大きな道路ができていて、その中へ。
新幹線の走る高架に覆いかぶさるようにして、新青森駅が建設中だった。
ちゃくちゃくと町が生まれ変わっていく。
母と運転手の方と話す。ようやく新幹線が青森まで伸びると。
今からはもう何十年か前のこと、なぜN市長は青森に新幹線を伸ばすときに判を押さなかったのか?
その当時判を押していれば、工事費用が、一部とはいえ膨大な金額が、
今のように市の負担となることもなかっただろうし、
そもそもここまで青森が寂れることもなかっただろう。
運転手の方が解説する。
新幹線推進派のT知事に対して、N市長が犬猿の仲だったから判を押さなかったのだとか。
当時の青森駅前、新町の商工会議所のトップがK百貨店の××で、そいつもまたN市長派だったという・・・
「たかがそれだけのことでこんなことにまでなってしまうんだから、責任は大きいさね。
 新幹線通したいって全国の市区町村がリストに並んでて、一度はそのときが来たっていうのに、
 白紙撤回してリストの末尾に戻されて。
 それからもう何年、何十年と陳情のためにいくら使ったことか。
 あの頃は東京の企業も青森に支社をたくさん持ってたんだよ。
 それが新幹線が盛岡までと決まってみんな引き上げて盛岡に移転して。
 それからは青森で高校や大学を出ても職がなくてさ・・・」


墓地に着いて、花を買って、叔母の墓を探し、線香を供える。
バス停まで長い距離を歩く。
今日もまた日差しが強く、暑い。
僕はTシャツ1枚になる。最高気温25℃、夏日。


バスに乗って古川へ。バイパスに出る。
途中、小学校の頃に通っていたヤクルトのスイミングスクールの前を通る。
今はもう、スイミングスクールをやっていないようだ。看板がなくなっていた。
しかし、敷地の中に屋外のプールは残っていた。


古川からバスを乗り換えて市役所前で下りる。
母が小さな花屋で、紫色の花を買う。
本町の、閑散とした飲み屋街を歩く。
小さい頃に遊んだ細長い公園に差し掛かる。
中年の男性がベンチに座っている以外、誰もいなかった。子供たちは遊んでいなかった。
自販機が設置されて、きれいなトイレもできた。
しかし、昔と何も変わっていないように思えた。
あの頃もまた、人気が少なかった印象がある。


昨年9月同様、ワシントンホテル2階の和食の店ですき焼き御前を2つ。
それだけでおなかいっぱいになる?刺身とかステーキとかいらない?と母は言う。
でも僕は何も頼まず。母のすき焼きをほんの少ししか食べないし、
その残りを僕が食べることになるからだ。


隣の席で食べていた2人連れが気になった。
40歳ぐらいのよく喋るけどさえないおっさんと、20歳なったぐらいの女の子。
おっさんはつい今日の朝車で関東地方のどこかから青森に来て、
「AOMORI春フェスティバル」のよさこいのパレードを見たらまたすぐ帰るのだそうだ。
去年もこのフェスティバルを見に来ている。
で、分からないのがこの2人の関係。
親戚のおじさんが来たから家族を代表して1人食事に付き合ってるのか、
かつての教え子と教師なのか、風俗嬢となじみの客なのか。
女の子は今風の口調で今風の笑いかたなんだけど、
適度に距離感を保って、要所要所で丁寧な受け答えをしている。
いったいなんだったのだろう。


帰り、新町を通って帰ろうとするとその、「AOMORI春フェスティバル」が。
通りの両側にビニールシートをひいて、家族連れが座り込んで待っている。
司会の女性がマイクで今日のタイムスケジュールを説明する。
パレードが始まる。まずは自衛隊の楽団。
母曰くとてもレベルが高くて、定期演奏会を行うとなると
チケットは容易に入手できないのだという。
次にサンバパレード。
昨晩の様子を写真に撮ったものを今日の朝の東奥日報で見た。
ブラジルから2人ダンサーが来ているようで、赤や緑に華やかな衣装を着て車の上で踊っていた。
その後ろから日本人ダンサーたち。
肌も露な衣装を着て身をくねらせているが、よく見ると若くてかわいい子はいない。
そして最後にねぶた。
ハネトの集団の先頭にはカラスっぽい服装で、茶色い髪を結って突き上げたヤンキーたち。
にこやかに笑っている。作られた「カラス」?
その後ろにはよさこい節の踊り手たち。にわかハネトとして、飛び跳ねていた。
新町の交差点は大混雑。
テープではない、本物のねぶた囃子を聴く。
5月のゴールデンウイークに聞けるなんて・・・
ものすごく大勢の人たちが集まっていたけど、
一歩通りから離れると人通りは全く無くなって、寂しい限り。
でも、このフェスティバル、やらないよりはいいだろう。
目的が何なのか、よく分からないけど。


母がデパートの地下で買い物をしていくというので、1人先にバスに乗って帰る。


15時を過ぎて、銭湯に入りに行く。
午後のまだ早い時間帯なので空いている。
帰ってきて、「海辺のカフカ」を読みながら缶ビールを飲む。


すき焼きを2人分食べて腹いっぱいなので、夕食は食べない。