『男はつらいよ』リリー3部作

先週末、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』を借りて観たら余りにも面白く、
今日の午後は『相合い傘』と『ハイビスカスの花』を2本続けて観た。
つまるところ浅岡ルリ子扮するリリーがマドンナ役の3部作。
リリーは売れない歌手で、全国を旅しつつ場末のキャバレーで歌っている。
寅さんと境遇が似ている。
忘れな草』で出会って、以後、お互い惹かれているのに
寅さんが不器用ですれ違って、毎回結ばれずに終わる。
うーん、寅さんとリリーには最後、幸せになってほしかったなあ。


恥ずかしながらこの年になるまで
男はつらいよ』ってちゃんと観たことがなかった。
こんな面白い映画がこの国にはあったなんて。
しかもそれがシリーズ化されて毎年夏冬2本も新作が観れたなんて。


人によってはマンネリだと言う。
確かにそうだ。学生時代の僕ならば拒絶したと思う。
相も変らぬ柴又のおいちゃんの家にて妹のさくらや家族がずっと待っていて
フラッと返ってくるとマドンナ役の女性に惚れて、でもうまくいかない。
話を要約して大筋の構成を書き出すと皆、同じ。
マドンナ役の女性が変わって、細部が違うだけ。
でもね、情緒ってモノは隙間からにじみ出てくるものであって、
それはむしろ毎回型や枠が決まっている中で
追い求めるからこそ味わい深くなるんですよ。
型や枠も熟成されてくる。


やっぱよくできてますよ。
役者の演技も演出も筋書きも、トータルな雰囲気も。
葛飾柴又の寅さんと周りの人たちの織り成す「場」の作り方。
普通渥美清と浅岡ルリ子が2人並んでいて、その外見だけ見て
互いに恋に落ちるなんて想像できないじゃないですか。
あっても「美女と野獣ですか?」みたいな。
それが見てるうちに寅さんってのが周りとの軽快なやりとりの中で
いつのまにかなかなか魅力的な人物に思えてきて、
浅岡ルリ子が惹かれるというのもまんざら嘘でもないなという気持ちになってくる。
その力学を正攻法でジワジワと描くという。
で、それってマンネリな構成とは何の関係もない話。
毎回似たような話の中でその作品ごとの違い、味わいを
ちゃんと生み出すことのほうがよっぽど難しい。
ギミックやトリックには一切、頼れない。


男はつらいよ 寅次郎相合い傘』の途中、
リリーが大きなホールで唄うのを夢みて寅さんが一人でそのショーを
おいちゃん・おばちゃん・さくらたちの前で演じるところは
日本映画屈指の名場面だと思う。日本的な「情」の光景。


『相合い傘』は冒頭、青森市で撮影されていて、
駅裏の場末の飲み屋街や青函連絡船が映っているのが懐かしい。
僕が生まれた年の映画。