ダブというもの

このところ急に寒くなった。
日が暮れて外に出たとき、袖なしのダウンジャケットを着た。
先週末が最後の、サンダルにTシャツだった。


ふと聞きたくなって、iPhoneMute Beat のライブを聞く。
夏はカラッカラなレゲエ、Bob Marley & The Wailers であったり、
「Club Ska '67」といったオムニバス、
西海岸パンク系だと The Aggrolites や Sublime が入っているけど、
冬は Mute Beatフィッシュマンズといった和製ダブが聴きたくなる。
ウエットな質感。余白を水で埋めるというか。水の揺れ動くさまと言うか。


ダブという音楽はなぜあれほどまでに気持ちよいのか?
というかなぜあれほどまでに攻撃的な気持ちにさせるのか?
極端にリズムを強調し、楽曲の構造を反転させる。
隙間だらけになったところに
異常に低音を強調したベースが鳴り響いたり、
それが次の瞬間にはミュートされたり。
この何よりも隙間を聞かせる、それはどちらにも反転しうる
という従来にない発想が素晴らしいのだろう。
自由ということの本質を最も掴んでいるように思う。


そしてそれと同じぐらいに大事なのがリバーブやエコーによる浮遊感。
共鳴と残響。それをどこまでズシリと響かせるか、
何よりもそのための隙間:空間構造なんだろうな。


そんなこんなで聞きたくなってくるのは
エイドリアン・シャーウッド周りの ON-U SOUND あの辺。
冷たく醒めた狂気というか。パンク以後、最大の闇。
和製レゲエとは別に、こちらもまた冬に聞きたくなる。

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そして冬はタンゴでもある。
今年はエドゥアルド・ロビーラを聞いてみようと思って、取り寄せている。
ピアソラと並ぶ現代音楽派らしい。