辺境の惑星のことを考える。
遠心力で飛ばされて銀河系の端の端の端というか、
もはやどこにも属してないというか。
何百万光年と周りに他の星はなし。
その惑星は恒星をひとつきり持つだけ。
兄弟となる惑星を持たず、もちろん衛星もなし。
そこで生まれ育った人たちは
夜空に星を見上げるということを知らない。
そこにはかすかにモヤモヤと豆粒のような銀河系が
ものすごく視力のいい人に見えるだけ。
見えてもそんな面白いものではないから、
誰も関心を持たない。
星がなければ星座もないし、言い伝えもないし、星占いもない。
地動説ではなく、天動説を信じるだろう。
真昼の空も夜の星空も単なる透明なドームに過ぎず、
その向こうに何があるのかと探究心がムクムクと沸いて
ロケットを作って宇宙に飛び出そうとすることもない。
そもそも、「宇宙」という概念すら生まれないかもしれない。
孤立していることにも気づかない。
今、ここにそんな惑星がひとつある。
とてつもなく科学技術が発達している。
瞬間移動、不老不死、時間旅行。
なんだって実現してきた。
食糧危機、成長限界、最終戦争。
なんだって乗り越えてきた。
なのに閉じこもったまま外の世界を知らずにいる。
そして彼らは何も知らないまま、幸福であり続ける。
探検隊は宇宙船をつくって宇宙に飛び出す。
何年、何十年、何百年かかってもどこにも辿り着かない。
絶望的な気分になって戻ってくるか、
何のために航行しているのかを忘れて飛び続け、いつか難破する。
ワープ航法を見出しても同様。
どの方角にジャンプしていいのかが分からない。
そんな惑星が、ひとつぐらいはあるのだと思う。
そして、生命を持つ星が地球とその星だけ、
ということもありえるのだ。