何度か目を覚まし、夢を見る。
明け方寒いかと思いきやそんなことはなく。
今日の最高気温は31℃らしい。
7時半、朝食。海苔、みりん干し、生卵などの民宿らしいもの。
昨晩残した刺身が醤油漬けになっている。
これを卵かけごはんと共に食べるとおいしかった。
昨晩わざわざ無理してたくさん食べなくなってもよかった。
窓の向こう、遠くの沖合いに漁船が固まっている。
魚がいるのか。
食べ終えて玄関の壁を見ていると
K-1の武蔵が釣り上げたという大きな魚拓が。
チヌ。お母さんがこの島の出身とのこと。
御嶽山の噴火は犠牲者が30人以上に増えていると聞いた。
8時半。宿を出て、海辺まで歩いていく。
朝7時には引いていたという潮がだいぶ満ちてきて
堤防から階段で下りていくとすぐ足元まで波が来る。
向こうを見ると海の色が違う。深さが違うのか。
民宿に戻って、車に乗って坂をひとつ上っていく。
「五和歴史民族資料館」へ。
高台から島を見下ろす。全長4kmの小さな島。1時間もあればぐるっと回れそう。
がっしりとした白い橋が結んでいる。
こちら側も向こう側も小さな漁師の町。
産業としては塩を作ったり、牡蠣の養殖なども行っているか。
漁船や釣り客を乗せた舟がゆっくりと水面を切っている。
空は雲ひとつなく、海もまた鮮やかに邪念のない青。
無人の神社があってお参りをする。大漁祈願のためのものか。
祭壇には戦時中の砲弾が備えられている。
資料館の中に入る。朝8時半から開館している。
係りの女性の方が出迎えてくれるが、訪れる人が少なく暇そうだ。
ここもまた本渡の民族資料館同様、テッドのぬいぐるみの写真が飾られている。
入館無料。天草は観光客に優しいな。収支はどうなっているのだろう。
ここで獲れる貝や釣りの疑似餌が廊下や展示室のあちこちに飾られていた。
正直民俗資料そのものよりも興味深い。
この通詞島二江地区が日本のふるさと百選に選ばれたというポスターが
誇らしげに何箇所か貼られている。
イルカの見える展望室にはバンドウイルカの骨格標本。
海に潜ってあわびを獲る原始人の人形は
熊本を代表するローカルタレント:英太郎が「ほんだくん」と命名。
などなど。大漁旗は魚が上下反転していた。
なんらかのジンクスなのだろうか。
車に戻って、富岡町の富岡城へ。
海岸線沿いに西へと進む。真っ青な海がキラキラと眩しい。
天草市から苓北町に入る。
平成の大合併でもここは天草市に編入されず、苓北町のままであり続けた。
火力発電所があって独自の経済運営能力を持っているからか。
その発電所が遠くからも見える。
「味千ラーメン」の店舗はあるが、「ひらい」はない。
自転車に乗って本格的にツーリングをしている若者たち3人組。
交互に先頭に立って風を避ける。
富岡半島に入る。細長い砂州が島を結んでいる。
両端を海に囲まれ、砂州にも家が建つ。
しかしこの苓北町は漁師町特有のせせこましさはなく、道路が広く家々も新しい。
ゆったりしている。天草全体としても概してそうだ。隙間が多い。
丘の上に富岡城があって、円を描くように車道を上っていく。
お堀の水が抹茶のようにトロッとした緑色に染まっている。
城の建物は10年前に復元されたばかりで、今も資料館など工事中。
階段となった坂道をゆったりと一段ずつ。椎の実が落ちている。
石垣が灰色ではなく、黄色っぽい茶色やオレンジ色の岩を使っているのが特徴的。
スペインの城のようだった。
見晴らし台に出て半島を見下ろす。
狭い砂州に家々が立ち並ぶ。津波が来たら逃れられないな、ということを思う。
櫓がビジターセンターになっている。やはりここも無料。
3Dで海中公園の映像を上映している。
海底の植物たちが突き出し、魚たちがこちらに向かって泳いでくる。
見終わった後の3Dメガネを係りの初老の男性がさっそく拭いていた。暇なのだろう…
その他、この辺りの貝殻や甲殻類の殻を使って作った龍の飾りなど。
資料室には漂着物というか注射針などの廃棄物を展示して注意を喚起したり、
海草の標本を分類して並べたり。
天草観光に関する俳句の募集を求めたりして、なんだか全体的に趣味性が高かった。
係員の特性によるものなのだろうか。
車に戻って反時計回りに島を南下する。
火力発電所は見学可能だったが中には入らず。駐車場から全貌を望むだけ。ほんと大きかった。
海を眺めるのに眺めのいいスポットがあって停車する。
周りにも何台か停まっていて、海を見るのではなく波打ち際まで下りて釣りをしていた。