7時に目が覚める。
妻の携帯から PC に写真を移すのがうまくいかず。
ケーブルをつないでも反応しない。
300枚か400枚ある。
全部認識するのに時間がかかるのだろうかと夜のうちにつないで朝見てみるが変わらず。
いらないのを消していって残ったのをメールで送ると言うが、それもかなり手間がかかる。
SDカードをこのためにかなりの容量のを買うというのもお金がかかる。
結局のところ dropbox を一か月だけプレミアムにするのが一番安上がりか。
そこまでして二階に上がって二度寝


このシルヴァーウィークというか入院までにやりたかったこととして
自転車で多摩川を下ってどこまで行けるか!?
川崎まで行ってラゾーナで食事を、という案も出たがここは羽田まで行ってみましょうと。
11時に家を出る。
二子玉川の駅から多摩川沿いのいつものジョギングコースに出る。
対岸には武蔵小杉の高層ビル群が見えてくる。その手前にとどろきアリーナ
第三京浜道路を超えて東京都市大学のグラウンドへ。
子どもたちが野球の試合で歓声を上げている。
多摩川沿いのチームが集まってリーグになっているようで
その横断幕が金網に広がっていた。
多摩川河川敷はこの先、何キロと野球場が点在する。
ここから先その全てでリトルリーグの試合が行われていて、
その周りで父母がテントを広げていた。
バーベキューをやっている親もいた。フリーダム。


大田区と世田谷区の境界を超える。
その後大田区をひたすら東へ東へと走っていくことになる。
どこまで行っても大田区。その広さを思い知る。


河川敷を離れて上の道に出て一般道へ。
こんもりとした木々に囲まれた多摩川台公園。古墳があると妻が言う。
交差点で丸子橋を渡って、また河川敷沿いの砂利道へ。
東急多摩川線に沿って進む。
巨大な構造マンション群が続く。城壁のよう。
何から守るのか? ここでマンションが買えなかったらサラリーマンの暮らしは…、というか。


ガス橋を渡って多摩川緑地。
次は第二京浜の橋。川崎ラゾーナまで行けるがどうするか? となって初志貫徹で羽田へ。
この先、多摩川は右に左に曲がりくねる。
東海道本線京急本線の線路の下をくぐる。
河川敷の公園が広くて立派になる。その周りを高層ビルが取り囲む。


六郷土手。第一京浜をくぐる。
この辺りから住宅地ではなくなり、町工場が増える。兼用とか。
水門も増える。背後に船着き場。
上半身裸でベンチに寝そべって日焼けする男性が増える。
30代から60代まで幅広い。


いよいよ住所は羽田へ。佃煮の店があった。
釣り舟・屋形船の店が看板を出している。
まだもう少し先まで行ってみようとなる。
それまで河川敷沿いだった道が羽田空港を目の前にして大きく迂回。
弁天橋の鳥居をくぐった。


羽田空港の敷地に入ると空き地が増えた。
ふと見上げるとモノレールがすれ違う。
川べりにで釣りをしている人がいる。
ジョギングやを散歩をしている人もいる。
国際線ターミナルが一番近かったので入ってみる。
駐輪場を探すのに苦労する。


国際線ターミナルは初めてかもしれない。
外国人観光客向けなのか、和のテイスト。この季節は紅葉がテーマだった。
4階の江戸小路へ。ひとつひとつの店のつくりが茶屋のようになっている。
そういうところで昼を食べようとしても高い。しかも行列。
これじゃあかんとフードコートの普通の店でカツカレーと肉うどん。生ビール2杯。
どちらも案外おいしかった。この国の玄関口。適当なものは出せない。
食べ終えて5階の日本橋を渡る。 二分の一の大きさで復元したのだという。
渡った先に絵馬の奉納。国際線オリジナルで1枚500円と高い。
ジンクスなのか「CA受かりますように」「JALの内定もらえますように」
というのが多かった。


帰り道は河川敷ではなく、堤防の上を通る。
砂利じゃなかったからか70分で二子玉川まで戻ってきて家に着いた。
行きは90分近く。結構かかった。


近くの銭湯に入りに行って疲れをいやす。
その後バスで渋谷へ。
学校関係の飲み会。前期知り合った音楽好きの青年と。
一軒目に入ったバーはカウンターだけの小さな店。
ジンフィズが名物だというので頼んでみる。
最初はグラス一杯に。途中まで飲んだところで氷を入れてくれる。
気遣いがありがたい。
おつまみにあったタコを煮たのもおいしかった。
二軒目はヒカリエの沖縄料理。
もう一人合流して4人で。沖縄音楽のことなど話す。


帰ってきたのは午前0時過ぎ。
明日の入院の準備をして眠る。