『安井かずみがいた時代』

安井かずみがいた時代 (集英社文庫)

安井かずみがいた時代 (集英社文庫)


安井かずみがいた時代』(島崎今日子)という本を月曜から読んでいる。
だいぶ前に本屋で見かけてビビッと来て、ようやく読むことができた。
ジャケ買いに外れなし。やはりすこぶる面白かった。


安井かずみは作詞家。
小柳ルミ子「私の城下町」
沢田研二「危険なふたり」
郷ひろみよろしく哀愁
など、昭和のヒットした歌謡曲の数々を手掛けた。
横浜の裕福な生まれに育ち、英語とフランス語が堪能、
六本木の「キャンティ」に集まって
加賀まりこコシノジュンコらと派手に夜遊びする。
1960年代後半から1970年代前半にかけて
時代の最先端を行くセレブだった。


1970年代後半、
ザ・フォーク・クルセダーズ、元サディスティック・ミカ・バンド
加藤和彦と結婚してからはガラッと生活が変わって、
かつての友だちには会うことなく
夫婦二人だけの時間を大切にするようになった。
料理の好きな加藤和彦がつくって、夜は必ず着替えて食べる。
レコーディングがあっても抜け出してくる。
17年間の結婚生活の間に晩御飯を共にしなかったのは10日もないという。
作詞のペースも落として、夫の作曲のためだけに歌詞を書いた。
そんな二人は1994年に55歳で安井かずみが亡くなるまで
理想のカップルであり続けた。
多くの雑誌に載り、料理に関する本を共著で出した。
肺がんが見つかってからの1年間、加藤和彦は仕事を全て断って看護したという。


この本はその生涯を順序立てて追うのではなく
ムッシュかまやつ林真理子玉村豊男など
交友関係のあった人たちの証言を一章ずつ並べるという形を取っている。
同じ話が何度も繰り返される。
安井かずみのファッションセンスがいかに優れていたか。
加藤和彦がいかに優しく妻に尽くしたか。
結婚してからどれほど距離が遠くなったか。


その中で何度も何度もいろんな人が語るエピソードがあった。
あれだけ妻に尽くした加藤和彦安井かずみの死後、
六本木の家にあった服や写真や思い出の品を全て捨てて
一年もしないうちに再婚したのだという。
古くからの女友達はそんな加藤和彦に対して激怒し、
男友達はなんだかそれもわかる、という反応を示した。
あれだけ尽くしに尽くしたのだから
ぽっかりと空いた穴を埋めたくなったのだろうと。
僕にもなんとなくわかる気がした。
そうするか、そうしたいかというとそれはまた別だけど。


面白かったのは、皆が理想の夫婦だと言っている中で
吉田拓郎だけがあんなの嘘っぱちだ、お互い無理していた、
俺の知っている安井かずみ加藤和彦も結婚前はあんな人間じゃなかった
とキッパリ断言しているところ。
吉田拓郎の感性が尖っているというよりも
周りが皆美化しすぎていい思い出にしてしまっているのかもしれない。
吉田拓郎は変に正直すぎた。


加藤和彦の結婚は5年と持たず、
木村カエラがヴォーカルとなったサディスティック・ミカ・バンドの再々結成を経て
2009年に自殺した。
他の生き方がなかった、残されていなかったんだろうなと思う。
愛の究極なのか、極北なのか。
どれだけの証言を積み重ねても、もはや誰にもわからない。