国立駅舎の思い出

妻が見つけて、教えてくれる。
国立市が市政50周年で、3年後に旧国立駅の駅舎の建設。
ついては、国立駅の旧駅舎にまつわる思い出の作品を募集とのこと。
絵または作文。
「旧国立駅舎の思い出・イラストを募集します」
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/machi/town/town1/1496908228518.html


ほう、と思うが、考えてみるとなかなか難しい。
国立駅というと人身事故を思い出すが…
駅構内の思い出であって、駅舎ではない。
毎日のように電車に乗って国分寺方面、立川方面に向かったが、
利用したのは券売機、改札、通路、階段、ホームといった個々のパーツであって
取り立てて「駅舎」と呼ぶほどのものではない。
つまるところ、建築物として意識していない。


清掃員として毎日駅舎の掃除をしていたとか
定年退職後、小さなキャンバスを立てて四季折々の駅舎を描いたとか、
それぐらいの関わりがないと書けない。
あるいは、フィクション。


「前世が鳩だったのでかつて屋根に上ったことがあった」
というのをボツにした後で、こんなのを書き始める。

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あの日僕は彼女に渡せなかった手紙を
駅舎の壁がひび割れてできた穴の中にそっと隠した。


僕は部室棟を出て駅前通を歩いた。冬だった。
見上げると白いものがポツポツと舞い降りていた。
握り締めた手紙ごとポケットの中に突っ込んだ。


あの頃はまだ三角屋根の駅舎だった。
南口の改札をくぐって通路を歩き、北口の改札へ。
その手前にそのひび割れがあった。
気付いていた人はいるだろうか。


手紙をそっと押し込んで引き返し、階段を上ってホームに出る。
ちょうど来た中央線に乗って一駅。いつものようにアパートに戻った。


あれから20年。
取り壊された駅舎の欠片の中に僕の手紙も混ざっていただろう。


彼女と偶然再会したのは一年前の冬。
あの日のように雪が降り始めていた。


何年も来ない間に国立駅は真新しい駅舎に建て変わっていた。
町並みも、あの頃の面影を残すものはほとんど残っていなかった。

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ここまで来たところで、何気なく募集要項を見て気付く。
いかん。応募原稿は200字程度だった。


たぶんこういうのがいい。


「わたしの娘はちいさいとき、あの尖った屋根を見ては、三角パンが食べたいって駄々をこねて。
 でも小さい子にはあれは大きすぎるでしょう。
 駅前のパン屋で買って、家に帰ってから千切って半分子にして二人でよく食べたんですよね。
 あの子は、えき、えき、ってはしゃいでました。
 白くて甘いクリームがはさんでありました」