PMの孤独

有能なPM(プロジェクト・マネージャー)は孤独だ。
プロジェクトの規模が大きくなればなるほど、孤独になる。
シェークスピアで言えばリア王のようなものだ。


皮膚感覚で現場を把握するなど無理というか無駄。
数値と理論でプロジェクトの状況を把握するしかなくなる。
どれだけのタスク量があって、スケジュールが何日遅れているのか。
遅れの兆候が見られたら早いうちにキリキリと締めないといけない。
クールに、ドライに、束ねているチームに対してにらみをきかせていく。


そうすると何が起こるか。
各チームはさも遅れていないかのように日々の進捗報告を行うようになる。
実際はここに問題があるのに、
こういう見方をしたらそれは見えなくなるというような報告となる。
知らぬはPMだけ、
オフィシャルには何の問題もない、何の遅延もないということになる。


嘘はついていない。
物はいいよう、というだけ。
年次の上がったSE(システムエンジニア)はその辺の引き出しが増える。
トリッキーな報告が積み上がり、あるときそれは破綻する。


それはどこに責任があるのか?
誰がいけないのか? 本来どうするべきだったのか?
PMはキーマンを捕まえてサシで酒を飲みに行けばいいのか?
全ての打ち合わせに出ればいいのか?
少し離れた部長席に座るのではなく、席替えをするべきなのか?
僕も20年近くこの業界にいるけど、はっきりとした答えは出ていない。
それはただ単にケースバイケースだから、というような単純なことではない。


システムって目に見えないんですよね。触れるものもない。
画面やメールと言ったUI(ユーザーインタフェース)はあるものの、
つくっているときにそのプロセスが具体的に見えない。
プログラミングした結果の行数だとか、そのうち不具合がいくつあったとか、
そういった数値で抽象化するしかなく、さらにそれを何かに置き換えて想像を働かせるしかない。
橋やダムをつくるというのとは違う。
一目見て仕事が雑だ、というものがない。
相当入り込まないとそれは見えてこない。誰かの報告を聞くしかない。


大事なことは、報告する側・される側の関心は表に現れた数値という一点に集約されるが、
その周りにあるものがなんとも人間的な微妙なものに左右されるというところにある。


じゃあ何で替わりに報告するか、というところで
適切なものが今のところ他に見つかっていない。
そこが人間の知性の限界なのかもしれない。
比ゆで状況をイメージさせるというのもあるだろうが、それを受け入れられる人は少ないだろう。
今、我々の住む社会はそこまで文化的に豊かではない。というかそういう方向に向かっていない。


ある意味、PMとはこの世界の不確実性を誰よりも引き受ける仕事だ。
孤独であるのも、当然のことだ。