恐山ホテル

正月2日に弘前城近くの「ねぷた村」に行ったとき、
展示室をつなぐ薄暗い通路に、
蕪島の海猫であるとか昔の青森県の風景を映した写真が貼ってあった。
元々白黒だったのがさらに色あせていた。
その中に「恐山ホテル」という一枚があって、なんだこれは、と思わず iPhone で撮影した。
 
湖のほとりに砂浜が広がっていて、手前に木が一本立っている。
その奥の方に粗末な柵で敷地を囲って、二階建ての平べったい建物が建っている。
姉妹のように本館と別館がつながっているようだ。
さらにその奥は木々に囲まれた低い山並み。
恐山とあるが、賽の河原や風車はなく、静かな浜辺だった。
歩いたり佇んだりしている人の姿もない。
 
昔は観光地だったのか。
毎年7月下旬と10月上旬に恐山大祭が開催され、今もイタコの口寄せを体験することができる。
この時期は全国から集まって混雑するが、この期間を過ぎるとそうでもない。
入場はできるのでちらほらと好奇心で来てみた人がいるぐらいか。
年中営業するようなホテルが必要とされる場所ではない。
宿坊があると聞くので中で宿泊できるが、多くの人は近くの薬研温泉に向かうだろう。
 
写真があるということはかつて存在した。
少し調べてみるかと google 検索してみるが、何もヒットしない。
いろいろとキーワードを変えてみても大祭と周辺ホテルのことしか出てこない。
デジタルデータに変換されることのないまま
過去に取り残されて消えてしまった情報というのはいくらでもある。
これもまたそのひとつか。
人のいない風景の中に立つホテルは幻というか、幽霊のように思えた。
 
本気になって探せば、むつ市の役場や図書館の資料室で当時のことは何かしらわかるだろうけど。
東奥日報などの新聞を根気よく探してもいいかもしれない。
もしかしたら現地には跡が残っているだろうか。
さすがに廃墟となっていることはないと思う。だったら既に話題になっている。
建てたはいいが怪奇現象多発で客が離れ 経営者が夜逃げ、
あるいは不審火で焼失という結末を勝手に想像する。
 
恐山はむつ市に住んでいた小一のとき、新聞記者だった父に連れられて大祭へと出かけた。
取材があったのだろう。
20年ぐらいのち、大学の友人が当時三沢に異動になっていたので会いに行って、
そのとき下北半島を回って薬研温泉の前に立ち寄った。
確かに、あんな場所は他にない。
寂しくて、この世の終わりの入り口のような。
そんなところにホテルを建てるなんて、やはり幻か幽霊としか思えない。