下北半島の夏

昨晩のNHK BSプレミアム『新日本風土記』は「下北半島・夏」
録画しようか迷って結局しなかったんだけど、見終わって後悔した。
例え1年とはいえ下北半島に住んだ者としてこれは永久保存ものだった。
 
尻屋崎の寒立馬から恐山へ。
イタコが霊を下ろして口寄せをする恐ろしい場所だから恐山というのではなく、
入江を意味するアイヌ語の「ウソリ」であって、恐山にある宇曽利湖がまさにそう。
その恐山を夏の開いている時期に訪れて先祖を供養する。
お堂の裏手に林が広がっていて、その枝に亡くなった方の名前を書いたタオルをかける。
タオルは新しいもの。人によっては衣服も。
そうか、亡くなった人たちにあの世で使ってもらうものなんだな。
 
マグロで有名な大間ではお盆の墓参りのとき、夜にまた訪れて皆で花火を行う。
線香花火とかそういうのだけではなくドラゴンやロケット花火も。
夜の墓地のあちこちで賑やかな光が上がる。
初めて見る光景。これ、日本でもここだけなのだろうか。
 
大湊には大間に至る軍用鉄道を敷設する計画があって、
アーチの連なる橋までつくられたというのに
昭和18年、太平洋戦争の状況が厳しくなった時に中断。
以後再開されることはなかったという。
(今、JRのローカル線はここ大湊まで。
 むつ市の中心部、田名部まで通っていない。
 僕の住んでいた小さい頃は大湊線の田名部駅があったが
 大人になって再度訪れた時には廃止されていた)
 
仏ヶ浦や田名部祭りも取り上げられていたが、
もうひとつ印象に残ったのは小川原湖の辺り。
かつては米農家だった人たちが原子力関係の施設ができるからと田んぼを売り、
漁業権を売り。再処理施設が出来上がった。
下北半島原子力半島」だという。
(観光資源もなく、細々と農業、林業、漁業で暮らしていた地域は財政が立ち行かなくなり、
 原子力発電に関する施設を受け入れざるを得なかった。
 その代わりに高額の補償金を得た。
 しかしその使い道もなく、東通村も六ケ所村もカラフルな役場を建てただけ)
 
下北半島は最果ての地。何もない。
田名部祭りもまたねぶたの系譜に連なる山車を引く。
短い夏を焦がすような夏祭りの終わったときの若者たちの笑顔。
それが唯一の救いだったように思う。