眼球の裏側

仕事も落ち着いてきて、昨日は午後休。
床屋へ。こんな話を聞いた。
 
マスターは8年前に目の手術をしている。
目の裏側の部分を衝撃で損傷、
眼球がレンズとなって像を結ぶ焦点のところなのでぼやけてしまう。
しかも片目だけ。これでは商売にならないと思い切って手術を受けることにした。
予備的な手術が2回あったのだろうか、都合3回。
 
麻酔はもちろん眼球に対して行う。
「針が目の前に近づいてくるんですよ。あんな怖いものは無いね。
 だけど2回目には慣れたかな。
 3回目の本格的な手術のときには裏まで突き抜けたんじゃないかってぐらい痛かった」
 
主治医の先生曰く、手術よりもそのあとが大変ですよと。
まさか、とマスターは話半分に聞いていた。
「体力が戻るまでベッドで寝ててリハビリするだけでしょ?
 あたしゃそう思ってたね」
 
麻酔が切れて目が覚めるとおかしな体勢になっている。
そして言われる。
「これから3日間、足のつま先をずっと見つめていてください。
 目をそらしたり、上を向いたらいけませんよ」
 
目の裏側の手術をした箇所に組織を修復するためのガスを入れていて、
横を向いたりすると空気より軽いのでガスが漏れてしまう。
だからずっと俯いていないといけない。
夜も専用の枕と寝具で体育座りのような姿勢になって寝る。
トイレに行くときもずっと下を向いたまま。
 
僕もこれまでいろんな刑罰や拷問について書かれたのを読んできたけど、
これより辛いものは無いんじゃないかと思った。
とにかく下を向いたまま頭を動かしてはいけない。
どんなに首が痛くなろうと。
 
マスターはどう乗り切ったか?
「あたしゃね、若い頃、山やってたでしょ?
 ビバークって言うんだけど、冬山で訓練するんだよね。
 雪の中に人一人うずくまれるだけの穴を掘って、その中で一晩過ごす。
 凍傷にならないように手足の指を動かしながら。
 あれだと思いながら過ごしたね」
 
マスターは息子さんの iPod に音楽を入れてもらって、
それを聞きながら3日間寝ないでうずくまって過ごしたのだという。
「私も長いこといろんな患者さんを診てきたけど、
 こんなことできたのあなたが初めてですよ、と先生に驚かれましたね」
 
世の中にはいろんな病気があるし、いろんな治療法があるし、
それに対するいろんな向き合い方がある。
人間どんな時に過去の経験が活きるかわからない。