那須へ その1

チケットを頂いたので那須のリゾートホテルへ。
本当は南房総にしてたんだけど、先日の台風で修復工事の休みとなってしまい、
系列で代わりに泊まれるとこありますかと問い合わせして振り替え。
夫婦そろって有休を取得していたので、せっかくだから日付をずらさず行こうと。
 
7時起き。明け方から大雨。
母からこの時期いつも戸籍謄本を取得するよう頼まれていて、荻窪の区民センターに取りに行く。
その間妻は修理に出した車を受け取りに行くことになっていた。
工場の最寄り駅が井荻で、荻窪から近かったので帰りにピックアップしてもらう。
 
中野坂上で乗り換えて丸の内線。
荻窪駅に着いたときは降っていたが、
戸籍謄本を受け取って駅に向かう時には晴れ間が見えて雨も上がっていた。
平日朝イチの区民センターはガラガラですぐ発行してくれた。
 
妻がまだ家を出ていないとのことで地下鉄を乗り継いで帰ることにした。
荻窪駅はJRの改札から丸の内線の改札に向かう人多数。
人身事故か何か起きたようだった。
 
光が丘に戻ってくる。
せっかくなので猫砂を一袋買って帰る。結構な重さなので一袋だけ。
家に着くと妻はペットシッターさんを受け入れるための準備が終わってなくてまだ家にいた。
入違いで外出。
僕は戸籍謄本と母から頼まれた榮太郎の塩飴を段ボール箱に詰めてセブンイレブンに持っていった。
 
11時、妻が工場から戻ってきて出発。
先に近くのガソリンスタンドへ。
ガソリンを入れている間、併設のプロントでアイスカフェラテとアイスレモンティーを買う。
高速に乗るのでタイヤ圧を計って空気を入れていくという。
しかしこの車の場合どれぐらい入れたらいいのかよくわからずで店長に来てもらう。
丁寧に対応してくれて、せっかくなので入れ替えたを覚えてくださいと。
僕も妻もタイヤ一個ずつ試してみた。なかなか角度がうまくいかず、すぐ抜けてしまう。
店長の方はタイヤの裏に油のようなものが見える、
1か所だけならばオイルがも漏れている可能性があると調べてくれた。
結果4カ所とも濡れていて、工場で修理した後で洗車してくれてそのときついたのだろうと。
いい人だった。こういう方がいるとまた利用したくなる。
 
練馬ICを過ぎて大泉学園ICで乗る。
すぐ外環道と関越道の分岐にぶつかって、外環道に乗るべきが
うかうかしていたら関越道の方に入ってしまった。
仕方なくナビが進める通り、関越道を所沢ICまで行っていったん下りてまた乗り直した。
大泉学園まで戻って外環道に入り直し、川口ICから東北道に乗った。
外環道は混んでいて平日の朝だろうと関係ない。
巨大な土管のようなものを積んでいたり、建築資材を運ぶダンプが多かった。
東北道に入ると道は空いて、物流のための大型トラックが増えた。
 
12時半、東北道に入って最初のサービスエリアである蓮田SAで昼を食べることにする。
大型車も普通車もいっぱいでなかなか駐車場の空きが見つからない。
平日でこれだけ混むなら土日はもっとすごいのだろう。
レストランに入って僕は人気3位のロースかつ定食を、妻は1位の五目あんかけ焼きそばを。
「松村牧場」というとこの「香り豚」というブランドの豚肉。
お土産売り場に焼売の串が売られていて気になったけど、腹いっぱいだったのでやめといた。
「北本トマトカレー」という最近話題らしいB級グルメのルーでつくったという
ポテトのスナック菓子を買ってみた。
 
車に戻って北上再開。緑の割合が増える。
田んぼは稲刈りが済んだとことまだのところと。
那須ICで下りるとすぐそこに那須の町並みが。
小さなミュージアムとあばら家のような骨とう品店と瀟洒なカフェやレストランとが
木々の隙間にまばらに続いている。
その風景に統一感はあるが、ひとつひとつの店の間に連帯感はなさそう。
道の駅があったので入ってみた。
工芸品、産直野菜、土産物、観光案内所、
どの建物も大きく建物と建物の間が広々としているが、何かどこか暗くて寒々しい。
那須に入って雨がまた降りだしたというのもあるのだろう。
 
テディベアミュージアムが見えてきて、ああ、結婚前に那須を訪れた時に来たなー、と思い出す。
ホテルはそのすぐ近くにあった。
15時半。車を停めてチェックイン。フロントで働く従業員は欧米人の男女が一人ずついて、
ハロウィンの格好をしていた。
子供連れにやさしいホテルということになっていて大勢の若い家族連れが泊まっていた。
一階のフロントの前がそもそもキッズスペースとなっていて大勢の子供たちが遊んでいた。
 
12階の部屋となった。荷物を置く。森の中。窓から外を見ると煙っている。
ホテルそのものは以前別の名前だったのを買い取ったようで、
建物そのものとしては古く、それを隅々までピカピカときれいにする余裕はないようだ。
壁やソファーのあちこちにシミがあって穴が開いていたり。
でもこれをリゾートホテルと呼んでるんだよな。ま、いいかと思う。
 
卓球場があると知ってフロントからラケットを借りて妻と二人、30分ほど。
いい汗をかいて1階の大浴場へ。
露天風呂に入るとやはり若い父親と小さな子供たち。
妻の方では洗い場を走って泣き出した子供を親がなだめたりと大変だったようだ。
そして体を洗わせて並ばせて体を拭かせてと。
父親の方は風呂の中でバタバタさせたりして気楽なものだ。
横目で見つつ、まだ明るいうちの風呂はいいものだと思う。
 
出てきて17時半。
ホテルの外に出て近くのイタリアンレストランへと歩いていく。
外は既に暗くなっている。
マルゲリータのピザ、わさびの入ったクリームソースのパスタ、
アンチョビとポテトのグラタン。何を食べてもおいしかった。
ピザは店のオリジナルのホットオイルをかける。
オリーブオイルにハラペーニョを漬けたもので、
聞いてみると独自の調合を見出すのに一年かかったという。
一瓶買って帰ることにした。
 
向かいに大きなアミューズメントパーク「那須りんどう湖レイクビュー」があって、
この時期は園内全体がイルミネーションで彩られる。
せっかくなので入ってみた。
傘を差すほど雨が降っていて広い園内に他には10組もいない。
実際、巡回する鉄道もメリーゴーランドもクルーズ船も他に客はいなくて貸切。
贅沢な時間だった。もちろんクリスマスの時期は大変な混みようとなる。
 
クルーズ船ではガイドのおじさんが20分の乗船時間の間、つきっきりで熱心に解説してくれた。
りんどう湖人造湖であるとか、
一度だけ湖の水を抜いたことがあって鯉が多かった、ブルーギルブラックバスの類はいなかったとか、
そういう話。あの時計台の裏には本物の馬車があるとか見どころも教えてくれた。
建物4階か5階分はある大きな噴水が光に照らされて色が変わる。
遠くの通路を光の群れが走る。
小さな島に花火のようにイルミネーションが打ちあがる。
そういった色と光の風景を船の中から見る。これで1,000円は安い。
 
クルーズ船を下りてからは離れた場所から眺めたイルミネーションの中を歩いた。
2人乗りのゴーカートを楽しめる場所があって、最後に僕の運転でサーキットを一周した。
この夜、お客さんがほとんどいなかったのに皆、きちんと営業してお客さんが来るのを待っていて、
通りがかるととても喜んでくれる。とても気持ちの良い場所だったな。
最初は子供向けの遊園地だろ? と見くびっていた。ほんとすみません。
 
帰ってきてまた温泉に入り、新日本風土記を見る。比叡山
ブラタモリ比叡山だったな。
あとは缶ビール、缶チューハイを飲みながら
猫歩き、おんな酒場放浪記、タモリ倶楽部を見て寝る予定。

『Abbey Road』50周年記念エディション

ビートルズAbbey Road』の50周年記念エディションが先週金曜に発売されて、
2枚目のデモ音源集と合わせてさっそく聞いてみた。
 
一昨年の『Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band』
昨年の『The Beatles (White Album)』同様、
当時のプロデューサー、ジョージ・マーティンの息子である
ジャイルズ・マーティンが新しくミックスし直している。
ベースとドラムの音がほどよくズシリと来て、
アコースティックギターやオーケストラの弦楽器が美しく流れる。
目の前で演奏して、その場で同時進行でミックスしているかのよう。
あの日アビーロード・スタジオで聞こえた音はこういう音だったんじゃないかと思わせる。
 
来年は2020年ということでいよいよ『Let It Be』のニューミックスが登場するはず。
一年に一度届く絵葉書のようで毎年この時期楽しみにしている。
2021年以後は遡って昔のアルバムも出してほしいなあ。
『Magical Mystery Tour』や『Rubber Soul』をこの音で聞いてみたい。
 
よく言われるように解散が決まって、
最後の一仕事とポール・マッカートニーがまとめ役に徹したアルバム。
大半の曲を提供して(主に後半)存在感たっぷりだけど……
Maxwell's Silver Hammer」「Oh! Darling」「You Never Give Me Your Money」
と佳曲揃いではあるものの、ポールの代表曲ではない。
一方でジョージ・ハリソンは「Something」「Here Comes the Sun」と
自身のキャリアを代表する名曲を打ち出して
ジョンとポールに並ぶ作曲家へと成長したことを印象付けた。
 
ジョン・レノンはもう興味無くしてたんだろうなあ。
オープニングの「Come Togher」のとげとげしさ、「I Want You」の緊張感、
後半の「Polythene Pam」の潔さに全てが現れている。
リンゴ・スターは楽しく愉快な「Octopus's Garden」を提供、
この曲がA面のあの位置になかったら
Abbey Road』というアルバムはかなり味気ないことになっていた。
 
後半の「Because」から「The End」を経てアンコールのように「Her Magesty」を。
これら短い曲が矢継ぎ早に繰り出されメドレーのようにつながっていくパートが評価高い。
若い頃は全然その良さがわからなかった。目立つ曲がないなと。
今聞くと楽器の弾けない僕であっても
「これ、どうやってつくったんだろう?」と狐につままれたようになる。
ただ短い地味な曲を並べればいいというのではない。
他の誰にも作れない。ビートルズの底力を感じる。
 
でもやっぱ。
「I Want You」の重苦しいベースとシンセサイザーのノイズが無機的に繰り返され、
高まり続ける中で突然音がブチっと切られる。
一瞬間を開けて「Here Comes the Sun」の瑞々しいアコースティックギターの音が流れだす。
いつ聞いてもここがたまらない。
どんな苦しみに対しても救いはもたらされるのだ、というような。
ビートルズが最後残したメッセージってそういうことなんじゃないかなと。
レコードだと「I Want You」がA面最後なので自分でひっくり返さないといけないですが……
 
青森の実家には高校時代にビートルズのCDかレコードを買った時にもらったポスターを
母が額に入れてくれて今も部屋に飾っている。
『Abeey Road』のジャケットを拡大したもの。
30年近く前のものなので少し色あせているが、
ビートルズの4人は今もアビーロードの交差点を歩き続けている。

猫と宇宙

時々みみたが壁に向かって、何もないはずの宙をじっと見つめていることがある。
蜘蛛や虫がいるのかというとそうでもなく、前脚を伸ばすことはない。
ただ見つめている。そしてニャアと鳴く。
そこに何かがいるかのように。
 
猫や犬にとっては死後の世界がごく近いところにあって、
既に亡くなって霊体となった猫や犬が見えるのではないか。
時々、気まぐれにこちら側にやってくるのではないか。
そういうことを考える人たちがいつの時代もいた。
僕も、そういうことなんじゃないかと思う。
人類は進化の果てに多くを失ったため、見ることができない。
いや、人類のうちのごく限られた人にしか見えない。
 
系統樹上下等な生物ほど向こう側の世界が近いとしたら。
向こう側とこちら側の世界の違いがなく、
生きるものと死せるものとが混ざり合って生と死を送っているのなら。
それが豊穣な自然界を形作る。
 
人類はこちら側の生と向こう側の死という概念を生み出し、はっきりと分けてしまった。
その人類が死者の場を奪っていくと自然界のバランスが崩れていく。
なんだか宗教がかった話になったが、そういうことなのかもしれない。
 
(そして最後に何かが崩壊して、この世界は死者だけとなる)
 
みみたは誰に会っているのか。
この土地にいた先輩猫なのか。
みみたを産んだ母猫や野良となって若くして亡くなった兄弟たちなのか。
 
……いや、ただ単に食べたばかりのカリカリをおなかの中で落ち着かせるために
立ち止まってるのが思案気に見えるだけなのか。
そっちかな……

「トリムラン」のこと、青森の平井堅のこと

お盆に帰省した時に成田本店で目にして買った『めご太郎』という手作り感覚の青森市ガイド。
いろいろ発見があったんだけど、
一番「へー!」「そうだったんだ!?」となったのが、青森市は実はソース焼きそばの町なのだと。
四角くて極太の「角打麺」が特徴で原田製麺、大谷製麺が2大メーカー。
僕は全然知らなかったんだけど
「しおや」「しょう太」「すずき」「後藤食堂」「小鹿焼きそば店」といった店が紹介されていた。
そうか、あの四角いモチモチした麺はもしかして青森の隠れた名物だったのか……
 
……ということを思い出したのは、昨日高校の演劇部のことを書いたから。
学校の裏に「トリムラン」という弁当屋があって、ここの焼きそばが僕ら世代の思い出の味。
いつでも誰でも食べられるわけではない。
昼休み、学校の外に出て食べることは校則で禁じられていた。
なのでちょっと悪ぶってる奴らだけが食べに行く。学食なんて行けっかよ、みたいな。
ある日連れてってもらう機会があったんだけど間の悪いことに後者の外に出た途端、
「こらっ おまえらどこさ行くんだ!?」と先生に見つかってしまった。
夕方のホームルームで「報告あったぞ。行ったの誰だ? 手ぇ上げろ」ってことになり……
 
その頃の学校はまだ週休二日制ではなく、土曜は午前まで。
時々友人たちと自転車に乗って遠出して食べて帰った。
「じゃあトリムラン行くか」となって一度だけ入った。
でもそんなときに食べてもドキドキワクワクはしないわけで。
いたって普通の焼きそばを普通に食べて帰ってきた。
小中大、特大とあって小は100円ぐらいだったように思う。
特大が330円で50円の目玉焼きを乗せても380円。とても安かった。
こういう店って全国どこの高校にもあるんじゃないか。
探せばホームページがまだ出てくるので、店は健在なのかもしれない。
今も高校生たちは食べているのだろうか。
 
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おまけ。先週青森帰ったときのこと。
 
青森駅前の「A-FACTORY」におしゃれなハンバーガー屋があって、
そこに平井堅似のイケメンな男性が働いていた。
50代手前ぐらいか、白髪交じりで他の店員は女性ばかり。異彩を放っていた。
それが3年前の正月。
「A-FACTORY」を訪れる度に「平井堅いるかな」と妻と言いあって、いるねとかいないとか。
 
この前お盆に帰ってきたとき、「このところ見かけないね」となる。
「A-FACTORY」はJR東日本の運営なので、彼は実は青森に流されてきた鉄道マンで
3年のお勤めを終えて東京に戻ったんじゃないか。
妻とはそんな結論になった。
 
先週帰ったとき、昼は青森駅前に出てあちこちでラーメンを食べた。
本町を経由して新町へ。
小さい頃通った幼稚園が今、教会になっている前を懐かしくて必ず通る。
本町は飲み屋街でその中に内装工事中の店があった。
業者が働いている側で毎日、通りがかる友人と楽し気に話し込んでいる男性がいる。
どこかで見かけたことあるなあ、と思う。
 
ずっとモヤモヤしたまま東京に戻って来て、ハタと気付く。
「あ、平井堅だ」
そうか、夢を叶えて独立したんだな。あの風情はオーナーだよな。
内装工事の始まったばっかりで喫茶店なのかレストランなのかスナックなのか全くわからず。
正月帰ったときにはオープンしているだろうか。入ってみようかな。

「どんなときも。」

ときどき無性に槇原敬之が聞きたくなる。
CMや旅番組で「遠く遠く」のカバーが使われているのを聞いたとき、
この人は普遍的にいい曲を書くな、と思う。
初期のベストを中古で安く買って、iPhone に入れた。
 
「どんなときも。」を聞くと切ない気持ちになる。
いろんなことを思い出す。
1991年、高校2年生のときのヒット曲だった。
 
高校時代の多くの時間を演劇部の部室で過ごした。
ヤンキーでもないはみ出し者の集まりだった。
中心人物の女の子が全国大会に出ようという目的を掲げたとき、
僕らは何かに導かれるようにして一人一人また仲間に加わっていった。
 
全国大会に出るには東北地方予選で勝つ必要があり、
東北地方大予選に出るには青森県の予選で勝たなかればならなかった。
枠はふたつ。
全国大会常連の八戸北高校は今回も余裕で勝ち上がるだろう。
実際、完成度が別格過ぎた。
もう一校の常連校は弘前の女子高、聖愛。
ここならなんとかなるんじゃないか。
「打倒聖愛」を抱えて夜な夜な後者の片隅で練習を続けた。
青森市の大会で絶賛され、県大会へ。
聖愛の舞台が終わり、自分たちも力を出し切った。
これは勝った、と皆が確信した。
 
そこに思わぬダークホースが現れた。
確か八戸の定時制の工業高校だった。
出演するのは男子生徒3人だけ。
ジャングルジムが置かれ、夕暮れという設定だった。
その3人が日々の暮らしに嫌気がさすが、明日への希望を取り戻す。
そんな内容だったと思う。たいしたことはない。
なのに、キラキラと輝いていた。何もかもが輝いていた。
奇跡とはこういうものなのか。
実際、その後上京してあちこちでいろんな劇団を見たけど、
この時目にしたもの以上に感動した舞台はない。
 
部員たちだけでつくったものではなく、
演劇のできる先生がその年からついたのかもしれない。
(僕らは脚本も演出もその中心人物の女の子が担っていた)
だとしたら、その先生と生徒たちの結びつきそのものが奇跡だった。
 
その要所要所で「どんなときも。」が流れた。
ただ単にその時のヒット曲だから選ばれただけだろう。
だけど役者の演技とストーリーにぴったりとはまっていた。
ありもののの曲をここまで合わせられるのか、という点でも
僕にとってその後この時の体験以上のものはなかった。
そのサビにあるように、
どんなときであれ僕らは僕ららしく生きることが大切なのだと
力強いメッセージを語っていた。
 
負けた、と思った。
予想通り、八戸北高校とその定時制の工業高校とが予選を勝ち抜いた。
悔しくてホールの廊下で皆、押し黙り、何人かが泣いた。
 
その後この2校がどうなったか記憶にないし、
今はどの高校が強いのかという勢力地図はがらったと変わってしまっているはず。
畑澤先生が指導して全国大会の常連となった弘前中央や青森中央であるとか。
 
このときの思い出と一緒になっているので、
「どんなときも。」は僕の中で永遠にキラキラしている。
一生に一度出会うかどうかの曲。

夏休み最終日

早いもので夏休み、9連休も最終日。
今朝もみみたが横で添い寝。すぴーすぴーと。
昨日、一昨日と疲れが出てたので10時までダラダラと寝る。
『小さな村の物語 イタリア』を見ながら扇風機にたまった埃を取る。
 
『Lazy Sunday』を聞きながら常備菜を。
切り干し大根の煮物とレンコンのきんぴら。
昼は蕎麦を茹でる。ラー油をたっぷりかけてみた。
 
編集学校の後輩と、寿司を食べに行くことになっていたと
メッセンジャーでやりとりをする。
中野にいい寿司屋があるとのこと。
 
昨日の集まりで話題に出た来年5月の青森旅行をちょっと考えてみる。
1日目、新幹線で移動、三内丸山遺跡、県立美術館、ワラッセ青森駅前に宿泊。
2日目、弘前駅に特急で移動、弘前城へ、新青森駅に戻って新幹線で東京に戻る。
新幹線、ホテルは旅行会社で取ろうかと。
ゴールデンウィークが望ましいんだけどホテルがどれぐらい高くなるか。
青森市内は「ねぶたん号」で移動を考えたものの混雑して乗れないんじゃないか。
青森駅前で10人近く入れる個室となると予約が取りにくいんじゃないか。
荷物は持って移動することになるか。新青森駅が案外コインロッカー少ないんですよね。
案外あれこれ細々と難しそう。
 
『Lazy Sunday』が終わって、ライフに買い物。
帰ってきてブロッコリーを茹で、ほうれん草を茹で、
明日の弁当用に鯖を焼き、ミックスベジタブルとベーコンのスクランブルエッグ。
 
ラグビーのワールドカップ笑点はなし。
世界遺産を見ようとしたら庭で水やりしていた妻が悲鳴を。
大きな蛾が入ってきたと。
30分ほどかけてようやく窓の外に出す。
 
モヤモヤさまぁ~ず2は他局のラグビーフィーヴァーをよそに2時間半のスペシャル。
さすがテレ東。
小田原、横浜、箱根と回る。
最近は日曜の夜、このゆるさが心地よく1時間半では物足りないと思っていたところにこの尺。
毎回スペシャルでいいなあ。
 
終わってチャンネルを変えると高田純次のはしご酒。渋谷を回る。
頂き物の冷や汁を妻が作ってくれる。おいしいですね。〆にちょうどいい。
でもここで〆とはせず、またしばらくチビチビと飲む。
Song To Soul やってたら見て寝るか。
明日からまた仕事……
 

品川、神楽坂

昨晩はチコちゃんがなく、ワールドカップバレー女子を見た。
ラグビーの陰に隠れていて実はやってたんですね。
というか、ついこの間も見たような。毎年やってるのか。
新日本風土記は松山。猫歩きはバスク地方
おんな酒場放浪記。この辺りからチョイチョイ寝落ち。
頑張ってタモリ倶楽部を見て寝る。
 
明け方目を覚ますと横にみみたが寄り添っている。
腕を伸ばすと、腕枕にピトっとくっついて寝ている。
不思議なもので、日中妻の足の間に収まりはしても僕の足の間には入らず。
夜中僕の腕枕に収まりはしても妻の腕には近づかず。
 
8時半まで寝て、『大草原の小さな家』を見て洗濯物を干して家を出る。
12時から編集学校の以前担当した教室の集まり。品川のスペインバル。
神楽坂のブラジル・アルゼンチン音楽の専門店「大洋レコード」の存在を知って
これはぜひ行ってみよう、集まりの前に、と思っていたのだが、
改めて場所を確認しようとサイトを探したらオープンが12時からだった。
大江戸線を大門まで直行することにする。
 
その間嵐山光三郎『温泉旅行記』の続きを読む。
紀伊勝浦のホテル浦島、熊野本宮の冨士屋など
行ったことのある温泉が出てくるのが嬉しいというだけではなく、
この本は温泉、旅の視点から見た稀代の日本近現代文学史でもあった。
若い頃に担当編集者だったこともあって
山口瞳檀一雄深沢七郎らの思い出が軽妙洒脱に語られる。
人柄なのかつまらない人に出会わない。
有名であれ無名であれ魅力的な人ばかりが登場して、飽きない。
夏休みを締めくくる素晴らしい一冊と出会えた。
 
品川に早く着きすぎて e-cute を覗きつつ、
インターシティに移動してサンマルクカフェでさらに続きを。
12時前に店に移動。
2時間半ぐらいいたかな。飲み放題のサングリアをグイグイ飲みながら
皆の近況を話し、語らいあった。
来年青森旅行に行きたいという話になった。
インターシティでもう一軒入って白ワインを飲みながら2次会。
大人の集まりだったのでこの日はそこまで。
やけに盛り上がってるなと思っていたら帰りの大江戸線で号外が。
日本はアイルランドに買ったとのこと。
 
東京駅から東西線に乗って神楽坂で下りて「大洋レコード」を探す。
こじんまりとした店にCDが並んでいた。
これはやばい…
見るものみんな買ってしまいそう。
おすすめのCDのひとつひとつに店の方が詳細な解説を書いて貼っている。
廃盤で入手困難だった Florencia Ruiz『correr』の在庫があった。
彼女の日本公演行きましたか、という話になる。
店の中でかかっていた女性ヴォーカルとギターだけの
Duo Vieira 『Perolas Para Jobim』というジョビン作品集がよかったので買った。
 
飯田橋まで出て、職場のオフィスビルに届いたコンビニ受け取りの中古CDを。
ふと聞きたくなって槇原敬之の初期ベストを。
明後日は出社か……、見るとフロアによっては明かりがついている。
 
帰りの大江戸線で『温泉旅行記』を読み終える。
帰ってきて暗くなっている。
庭の水やり、洗濯物の取り込み。
ブラタモリ』は比叡山の後編。
妻が茹でてくれていた枝豆の残りで缶ビール。
青森に行っていた間の新聞をまとめて読む。
『お笑い向上委員会』を見て寝る予定。