*[本の話] 『かりあげクン』の鞄

 

もうひとつの代表作『かりあげクン』というのがあって、
連載開始が1980年代初めからだから実に40年以上に渡って続いている。
僕が小中学生の頃はマイナーな漫画だと思ってたのが
(叔父の家に置いてあったのをよく読んだ)
最近はJR東日本ViewカードのCMで使われたり、実際はけっこうな知名度なのだろう。
 
そのかりあげクンは「ほんにゃら産業」という商事会社に勤めるぐうたら社員ということになっていて
いつもチェックのスーツを着ている。
通勤時は鞄ではなく、書類封筒と言うのか、A4サイズの。
蓋部分とそれを折り曲げたところの近くと2か所に平べったいボタンがあって
紐を渡して何回か巻いてかけることで封をすることができる。
その何も入っていなくてぺったんこになったのを持ち歩いている。
 
青森に住む中学生だった僕は、
そうか、東京のサラリーマンはそういう封筒を抱えて
会社に行き帰りするものなのだなとずっと思いこんでいた。
もちろんそんなことはない。誰も持っていない。
なのに今『かりあげクン』を読んでも何の違和感もない。
この漫画の中ではそういうものなのだと受け入れることができる。
長年親しみすぎたからか。
他の人はあの書類封筒、どう思っているのだろう。
 
以前、植田まさしのインタビューをどこかで読んだことがあった。
あの書類封筒の出どころは何かと聞かれて、
会社勤めをしたことがなかったのでサラリーマンが何を持っていれば様になるのかよくわからず、
苦し紛れに持たせてみた、というようなことを言っていたと思う。
でもあれに妙なリアリティがあったのだから面白いもので。
植田まさしは「らしさ」の天才なのだろう。
あの書類封筒に実際に書類が入っていて厚みを持たせて描いていたら逆におかしなことになる。
何も入ってなくてぺったんこ、というところにサラリーマンの仕事なんてそんなものという風刺を持たせていて、
そのことを僕らは無意識のうちに受け入れてしまっている。
 
そもそもが「ほんにゃら産業」自体何をしている会社なのかわからない。
そこに大勢の社員が働いていて、机の上に山のように積み上げた書類を前にしてせっせと何かを書いている。
あれもまたどういう仕事なのかよくわからない。
ただその書類が右の人から左の人に移るだけっぽい。
最近のは読んでないけど今はそれがパソコンになってるのだろうか。
その書類を“持ち歩かない”ための封筒を手にしてかりあげクンたちは日々家路につく。
なんだか深いような、そうでもないような。

11/11-11/17

11/11(月)
 
昨日川崎ラゾーナのホールではテントが並んでて、そのうちのひとつではポッキーのイベント。
ポッキー型のプラスチックの風船を子供たちがもらっていた。
 
『女盗賊プーラン』という文庫を読み始める。
朝から大雨。会社に着く頃止んだ。
後輩が先に出社していて、始発で来たという。
 
いくつか打ち合わせ。
そのうちのひとつが顧客PMへの毎月の状況報告で、特に問題なく終わる。
次フェーズ要件定義の現状を報告する打ち合わせも別途。
 
帰ってきて掃除機、洗濯物を畳むなど。
明日の弁当のためパックの味付け豚ロースを焼く。卵焼き。
夜は蕎麦を茹でて昨日の金子半之助の天かすを乗せる。
上品な味になっておいしい。
昨晩のプロシュートの残りもレタスと共に食べる。
酒場放浪記。
逆転人生は冤罪がテーマ。
受けていない暴行を受けたと主張した女性警官に胸糞の悪くなる思いが。
『犯人はそこにいる』を読んだ後だったのでなおさら。
町中華で飲ろうぜ』は大井町。この日は番組の都合上前半のみ。
 
仕事で妻の帰りが遅くなる。午前0時ごろ。
サラダを作り、蕎麦を茹でる。天かすを乗せる。
0時半頃寝た。
 
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11/12(火)
 
しばらくの間、朝は PowerCenter であれこれ試してみるかと。
ファイル出力のワークフローがエラーなく実行できるところまで来たが、
どこに出力されたのかがわからず……
周りのPJに聞いて解決する。
クライアント側に出力されるのではなく、サーバ側に出力されるのだな。そりゃそうか。
 
昼、弁当。昼寝。
定時で出て LIVIN で買い物をして帰ってくる。
先日解体した室外機カバー、木材をひもで縛って出しておいたが回収されなかった。
粗大ごみで出してくださいなどのシールは無し。
長かったり重かったりしたか。
むき出しにしていたのでごみとは思われなかったか。
のこぎりで半分に切ってゴミ袋に入れて金曜にもう一度出してみようと思う。
 
『Love Not Money』『Worldwide』のデラックス・エディションがイギリスから届く。
商品はクレジットカード払いで、送料は代引だった。
 
弁当の用意。鮭を焼く。
他のおかずはということで海苔弁当風にしてみようと
LIVIN で竹輪の磯辺焼き白身魚を探すが
前者は売り切れ、後者は最後のひとつ。
49円のキャベツメンチカツを2枚買って1枚ずつ、白身魚フライは半分ずつとする。
ご飯の上に醤油につけた鰹節を敷いて、その上に海苔を。
夜はみそ汁を作って納豆ご飯。
鑑定団を見る。
小豆島旅行のためのレンタカーの予約。
 
ニノ結婚のニュース。ニノが口火を切って
これから続いて何人か嵐メンバー結婚のニュースが続くかもしれない。
23時過ぎに布団に入る。
八戸で女児が切られたというニュースを聞く。
帰ってきた妻が、LIVIN のホールにクリスマスツリーが飾られていたという。
 
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11/13(水)
 
4時半ぐらいに眼を覚ましてトイレに行く。
みみたも起きてきてボール投げをせがむ。
寝たふりをすると顔をペタペタと叩く。
 
行きの地下鉄で『女盗賊プーラン』の上巻を読み終える。
インドのカースト制度がいかにひどいものかを知る。
女性は夫に従属するものであってどれだけ暴力を振舞われても耐えなければならず、
家に戻ってくるということが何よりも恥。
有らぬ罪で逮捕されると男性警官たちから恥辱を受ける。
一家は隣の家に土地を奪われ、尊厳を奪われ、村八分を受け……
凄惨すぎて読むのがつらい。
これが下巻となると盗賊の頭となり復讐するのか。
 
PowerCenter続き。
実際のマッピングを試しにひとつ作成してみる。
簡単なようでいてあちこちひと工夫が必要なことがわかる。
元先で形式が異なるので日付の型を変換しないといけない、など。
 
帰ってきて、庭の水撒き。
新宿方面は夕方雨が降ったようだが、光が丘は降らなかったようだ。
明日の弁当。自分の分だけだったので簡単にウインナーの卵とじ。
夜は LIVIN で買ったカツオの叩き。オニオンスライスを作ってレタスを敷く。
妻が半額になったとり天を買ってきてくれる。
缶ビールを1本だけ飲む。本来休肝日なので後は飲まず。
街録を見て寝る。23時半。
新庄が現役復帰宣言。
 
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11/14(木)
 
朝起きるが、なんだか眠い。疲れがたまり始めたか。
飯田橋に着いて、ぽつぽつと小雨。
青森は今日明日雪だという。
昨晩母から電話。
 
朝地下鉄に乗っていて本を読んでいるうちにウトウトする。
はっと目が覚めて何を思ったのか鞄の中のバナナの皮を剥き始めた。
そこでまたハッとして剥きかけのバナナを中にしまった。
 
PowerCenter続き。条件式の書き方もわかってきてだいぶ形になってきた。
一本出来上がる。あとは量産していくだけか。
 
昼、弁当。昼寝。
高校の同級生たちと忘年会の相談。もつ鍋にする。
要件定義の打ち合わせ。
少し残業。
 
妻の方が先に帰ってきていて、ピエンロー鍋を作っている。
この日は誘惑に耐えられず、休肝日ではなく酒を飲む。
缶ビールに焼酎お湯割り。
鑑定団の再放送。
お笑い演芸館。ヒロシ、銀シャリU字工事、ねづっち、林家たい平など。
マルセイユという若手は今年のM-1決勝に出るかもしれない。勢いとセンスがある。
町中華で飲ろうぜ、後篇のみ。
アメトーークグレープカンパニー芸人が面白そうだったが、我慢して寝る。
 
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11/15(金)
 
ようやく金曜。眠い。
でも今週は頑張ったかな。いろいろ形になってきた。
メインの開発は遅れてるが……
1日の合間合間に PowerCenter を。
うまくいかずに悩んで解決できたものと、解決できなかったものと。
後輩の担当している結合テストケースのレビュー。
入れず週明けに持ち越し。
待ちながら PowerCenter をやってて、明日の土曜も来ないとまずいかなと考えていたけど、
いくつか問題が解決できて目標としていた分ができた。明日はまあいいかとする。
 
昼、弁当。昼寝。午後打ち合わせなど。
『女盗賊プーラン』を読み終える。
20時半にオフィスを出て駅に着いて妻と待ち合わせ。
上の階のリンガーハットで夜食べるのを買うつもりがラストオーダーを過ぎている。
LIVIN で総菜のちくわの磯部揚げ、カボチャの天ぷら、イカの天ぷらの半額になったのを買って
蕎麦を茹でて食べる。
猫歩きはチェコ。おんな酒場放浪記は2本のみ。後半は他の番組になっていた。
タモリ倶楽部もなく、午前0時前に布団に入った。
金曜日なのに缶ビール1本のみ。
 
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11/16(土)
 
疲れきっている。
何度か目が覚めて朝になっている。
Amazon を見たら、最近探し回っている Everything But The Girl の Deluxe Editon のうち、
『Walking Wounded』が4,000円で新品がひょっこり出ていた。
いつもなら1万を超えている。
これは買いだとオーダーする前に DiskUnion の中古で出てないか探す。出ていない。
ウォントリストに登録してずっとウオッチしているが全然出てこない。
よし買いだ、とオーダー。
同じくこのところ探している King Record の「World Roots Music Library」シリーズの
ベトナムのブルース キム・シン』も。やはりこのぐらいの値段。
ボーナスが近いからまあいいかと。
しかしその後昼にまた習慣のウォントリストを見ていたらなぜかこのタイミングで
DiskUnion で出品されていた……
しかも1,500円。なんとも間に合わない。Amazon でもキャンセルできず。仕方がない。
 
ジョギング。JAの農業祭り。
始まってないのに早くもお年寄りたちの行列が。
 
昼を食べに行こうと車でバーミヤンへ。
汁なし冷やし担々麺にしたらタレがピッと来ていた服に。
しかも買ったばかり、初めて着たばかり……
その後ずっとどんより。
ニトリ、島忠、旬で夜の寄せ鍋用の魚を、コムギノホシでカレーパンを食べて、やまや、ライフと回る。
その後歩いてクリーニング屋へ。さっきのを染み抜きに出す。
しかし妻が出したのと合わせて5点以上となってドライ品30%OFFキャンペーンの対象に。
しかもくじを引いたら1,000円のクリーニング券、2等を当てる。
運がいいんだか、よくないんだか。
 
IMA まで歩いて『深夜食堂』の最新刊を買い、ユニクロへ。
農業祭りもこの日の分は終了。
夕暮れの中を帰る。
イタリアを見て、風呂を沸かして入り、ブラタモリ男鹿半島
母が送ってくれたスチューベンが届く。
夜は妻が寄せ鍋をつくる。
鱈、牡蠣、鰯のつみれ、蟹の団子、鶏肉、白菜、マイタケ、ネギ。
豆腐がないと気づいてセブンイレブンに買いに行く。
旬で買ったアゴダシのスープで。
たくさん食べて腹いっぱい。残りは明日雑炊にする。
 
もう一度風呂に入り、きじまりゅうたの小腹を見て、
『Songs』がオザケンだった。
見終わって寝る。
 
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11/17(日)
 
起きられず、ジョギングに行けず。
9時に起きて常備菜づくり。
ブロッコリーを茹でて、きんぴらごぼうをつくって、
昨晩のよせ鍋を雑炊に。残った白菜、ネギを加えて冷凍ご飯を入れて卵を。
妻はAT賞の選評会議。雑炊を少し食べて出て行く。
コーヒーを沸かし、昨日の昼、コムギノホシで買った塩パンも。
洗濯物を干す。今日もまた晴れていて陽射しが出ている。
イタリアを見て、Lazy Sunday を。
僕もまた雑炊を食べ、新聞のクロスワードパズルを解く。
 
Lazy Sunday が終わって『深夜食堂』の22巻を。
缶チューハイを飲みながらCDの解説を読んでいるうちに日が暮れる。
庭に水をやる。米を炊く。鯖を焼く。ウインナーを焼く。
晩飯はうまかっちゃんに武田ハムのチャーシューを。
モヤモヤさまぁ~ず2は調布。
以前録画した酒場放浪記とケータイ大喜利を見る。
妻が帰ってくる。
23時過ぎには布団へ。

オザケン『Songs』

昨晩テレビをつけたら『Songs』がオザケンこと小沢健二
どこかの焼き鳥屋の個室の中で焼き鳥を焼いてもらう。
カウンターに iMac を置き、日本に帰ってから最近 twitter にはまっていると
リアルタイムに tweet していく。
生放送だったのだろうか。
事前に収録してオザケンのスタッフがタイミングを合わせてアップしていったのかもしれない。
そんなカタカタとその場でキーを打っていたようには見えない。
 
このまま30分焼き鳥屋で語って終わりかと思いきや、途中に演奏シーンが挟まった。
新しいアルバムからラストの「薫る」と1曲目の「彗星」
その間に「強い気持ち、強い愛」が挟まる。
相変わらず下手なのかどうかというのは変わらず。
 
童顔なのも変わらず。
でも老けたなあ、と思っていたら51歳になったと。
そうかあ。『LIFE』が1995年。あれから四半世紀。
あの当時の音源を聴き直し、ミックスし直したというような話になた。
その直後、あるミュージシャンが気になって
武道館の公演を見に行ったらタイトルに「1995」とあって、何の偶然なのか驚いたと。
音楽というものや言葉というものはそんなふうに巡っていくものなのだなという思いが、
「彗星」という曲を作るきっかけになった。
(ネットでは早々にそのミュージシャンがあいみょんだと特定されていた。
 まあヒントがあったので難しくはないか。
 焼き鳥屋も特定されていた。京橋にある「伊勢廣本店」とのこと)
 
オザケンの魅力ってうまく言えない。
東大大学院に進んだほどの優れた知性、なのだろうか。
それをもっと言うと時間とか生命とか世界というものに対する
パースペクティブ、つまり視野の広さや深さということなのだろうか。
洞察力。それを言葉にするときの的確さ。
どんなラブソングも突き詰めるとその人がどんなふうにこの世界を捉えているか、
それが他の人と異なるから、一致することはないから、ぶつかり合う、
ということを言っている。
そのことにこの国で最も自覚的なのがオザケンなのだと思う。
 
他者とは世界観が重なり合えない存在のことを言う。
ほんの少しでも触れ合えたらいいのか、ぴたりと重なり合えないといけないのか。
僕はあなたとひとつになれないということ。
その悲しさ、切なさ、もっと言うと絶望に対して自覚的になって
やぶれかぶれな衝動を思いっきり逆噴射させてポップに塗り替え切ったのが
『LIFE』という一世一代の大傑作となった。
25年後の今、僕はそう思う。
 
でも、素の暗いオザケンが聞けるということで
1枚目の『犬は吠えるがキャラバンは進む』の方が今も僕は好きかな。
僕もまたずっと暗いまま、ここまで生きてきた。

そんな一日

仕事でやることがあって土曜、出るかどうか迷う。
昨晩残業してここまでやれば大丈夫かというところまで来た。
帰ってきてぐったり疲れて、缶ビール1本だけで早々に寝た。
 
朝起きて「大草原の小さな家」を見る。
毎週楽しみにして見ていたが、来週からこの枠から韓国ドラマになると。残念。
 
ジョギング。
公園ではJAの農協祭り。広場にたくさんテントが並んでいて、早くも行列が。
10時オープンで、9時半に通りがかった時点で結構な人だかり。
ほとんどがお年寄り。
一番並んでいるのは例年通りまんじゅうのもので、
アコーディオンカーテンのように何重にもなっている。
 
2周走ってまたその前を通るのだが、全然列が進んでいる様には見えない。
売ってるのはまんじゅうだけ、値段も決まっているが、
前の人が財布をしまってそこを出て行くのにゆっくり時間がかかって、
次の人が前に進んで財布を取り出すのにまた時間がかかるのだろう。
「先に小銭用意しとけや!」と言うわけにもいかず。
僕ならこの列に並べない。
 
帰ってきて11時近く。
久々に2人そろって何も予定のない休みの日で、ニトリや島忠にあれこれ買い物に行く。
その前にどこかで昼を食べようということになる。
ファミレスっぽいものが食べたくなってバーミヤンに行くことにする。
和光市のはずれにあって車だとすぐ近くにある。
さすがに土曜の昼、家族連れで賑わっている。
目に留まった汁なし冷やし担々麺を頼んだ。
 
しばらくして運ばれてくる。
箸で持ち上げた時、ピッと担々麺のタレが飛んだ。
慌てて見てみる。あ、しまった、ここについたと思っていたら
妻が別なところを指さしてここについてるよと。2カ所。
しかもこれ、博多で買って送ってもらったのを初めて着たばかりで30分も経っていない。
えー………… なにやってんだ、オレ。
けっこういいのを買ったので、クリーニングに出したらそれなりにする。
その後ずっとどんより。
 
一通り買い物が済んで一度家に戻って荷物を片付け、食材は冷蔵庫にしまって、
歩いてクリーニング屋へ。妻も出したいものがあるので一緒に行くという。
妻は紙袋にたくさん抱えている。
持っていったらドライ品5点で30%OFFの日で、妻がたくさん持っていったので僕の分も安くなった。
しかもキャンペーン中でくじを引くことができて、2等が当たった。
1,000円分のクリーニング券。だいぶもとが取れた。
なんだかついてんだか、ついてないんだか。変な一日だった。
 
そのまま駅前に出て本屋で『深夜食堂』の最新刊を探す。
1軒目になくて2軒目にあった。
朝、洗濯物を干しているときに最近妻が着ている
クルーネック、ワッフル地のTシャツがいいなと見てみたらユニクロだった。
じゃあってんで上の階についでに見に行く。
まだあるなら僕も買いたい。
しかし見つからず。季節商品で今はヒートテックなのか。
妻が店員に聞いてくれる。今あるのは処分のワゴンセールにあるだけだという。
 
駅ビルを出て公園へ。
農業祭りはこの日の分は既に終わってテントも閑散としている。
白菜の段、大根の段、キャベツの段など積み上げてつくられた大漁船が広場に展示されている。
明日の午後広場に集まった人たちに無料で配布するのだという。
多くはお年寄りたち。
 
家路につく。夕暮れ。
西の方に広がるオレンジ色の光。
何の予定もないはずの一日。
 

プラモデル、ラジコン

昨晩は寒い日で、先に帰った妻で鍋を作って待っている。
なんでも鑑定団の再放送を見ていたら
70年代、80年代の未開封のプラモデルを鑑定に出している方がいた。
プラモデルの歴史となる。
そういえば僕は子供の頃、特にプラモデルにはまらなかったな。
というか、違う。そんな裕福ではなかったので買ってもらえなかったのだ。
でもまあそれでよかったと思う。
急いで雑に作ってそれっきりになる。
実際3つか4つは作ったことがあるが、どれも大体そんな感じ。
 
もうひとつそう言えばで言うと、ラジコンもない。
コロコロコミックでそういう漫画を見て憧れても
プラモデル以上に買う余裕がなかった。
当時はしっかりした製品ばかりだったので
誕生日に買ってもらう、という額ではない。
 
何もすることのない午後、部屋の中に差し込む光があると
小さな鏡で天井や壁に反射させて自由自在に動かす。
だけどそれが楽しいかというとそんなことはない。
 
手先の器用な叔父があるとき、車に乗って山の中に連れていってくれた。
冬の近い、秋の日だったように思う。
山奥にひと気のない広場があって、ラジコンのヘリコプターを取り出してエンジンをかける。
両腕でようやく抱えられるか。けっこうな大きさがある。
ブーーンという音がして浮かび上がり、
空中を少し進めては戻してまた別の方向へ、というのを繰り返す。
小学校の低学年だったら「わー」と思いながら見ていただろう。
高学年だったら「やらせてやらせて」と無理やりせがんだろう。
中学生でしかも1年生だったので、微妙な、複雑な気持ちで眺めていた。
僕ももう、大人だからさ、というような。
実際叔父が僕に「やるか」と声をかけることもない。
 
叔父が日々大事に手入れにしているのだから仕方がない。
なんで僕をここに連れてきたのかもわからない。
ただ、視界の隅を行き来するヘリコプターをポケットに手を突っ込んで眺めるだけ。
一緒にいた従兄弟も触らせてもらえない。息子だからなおさら。
四人か五人で、無言で、眺め続けた。
終わってヘリコプターが草地に下りてきて叔父はケースにしまい、僕らは車に乗って帰った。
叔父も無口な方だし、帰りの車では特に誰も話さなかったと思う。

トランプ、あるいは

小学生の高学年、トランプの一人遊びを覚えてからは
真冬の吹雪のひどい外に出られない日は居間のコタツでずーっとトランプをやって過ごした。
「ピラミッド」であるとか。
(1段目1枚、2段目2枚と裏返しに並べて6段まで。
 7段目は表向きにして2枚の組み合わせが13になったカードを取り除いていく。
 足元のカードがなくなったら次の段を表にする。
 手詰まりになったら残っている手札を1枚ずつ表にして同様に。
 ピラミッドを崩せたらよいが、なかなか難しい)
 
他にもうひとつかふたつ、よくやってたのがあったんだけど思い出せない。
飽きると別のをという具合に延々やってたと思う。
あの頃は時間がいくらでもあった。
 
家にファミコンがなかったということもあるだろう。
もしかしたら今の若い子はトランプは一人でも遊べるということを知らないのではないか。
トランプ自体やったことない、という子もいるのではないか。
親の世代でもやらない、ずっとやってないとか。
 
今は正月に親戚が集まってもトランプはやらないのかもしれない。
やってもババ抜きぐらいで。
ちはやふる』のように漫画となってカルタがブームになることはあっても
トランプでそういうのはないか。
流浪の大富豪、七並べ、ババ抜きの天才が主人公の漫画とか。
なんかこう緊迫感のある設定が思い浮かばない。
(『アカギ』にトランプの札を使ったギャンブルがあったように思うが、
 あれをトランプのゲームと呼ぶのはためらわれる)
 
UNO はどうなんだろう。
80年代末から90年代初めにかけて、
僕が中学生、高校生の時に大ブームになってその後も何度かリバイバルしているのか。
修学旅行や合宿というと必ず誰かが持ってきた。
部室という部室には必ず置いてあったのではないか。
 
UNO は世界大会があるけど、トランプはどうなんだろう。
ポーカー、ブラックジャックはあるとして、
大富豪、七並べ、ババ抜きは実は日本だけの遊びなのか。
だとしても国内大会の頂上決戦ともなると
ババ抜きはブラフをかましたり大変なことになりそうだけど。
深夜のテレビ局が企画にして取り上げたら案外人気が出るんじゃないか。

置き配

Amazon が数カ月前から「置き配」を選べるようになった。
置く場所を車庫とか自転車のカゴとか選んで荷物を置いていってくれる。
不在時に限らず、インターホンを鳴らすことなくそのまま置いていく。
日中受け取れず再配達を頼むにしても19時までには帰らないといけない。
そういうのが解消されるのだから画期的なサービスだと思う。
 
日用品がなくなりそうになったときがちょうどいい。
この前はボディシャンプーを、その前はとある飴を頼んだ。
どちらもコンビニでは見つからず、
ちょっと大きめのスーパーなりホームセンターに行かないと買えないもの。
で、平日は行く暇がない。
かといって受け取れなかった時にわざわざ再配達のため
やりくりして早く帰るほどのものでもない。
かつ、たいした値段ではないので万が一盗まれても困らない。
 
とはいえ今のところ人目に付くところに晒されることはなく、
物陰に隠して置いてくれている。ここ、重要なポイントだと思う。
 
CDなんかは置き配にしたことないな、
というか選ぶまでもなくポストに入るからか。
置き配にするか聞かれることもない。
 
では全ての日用品が置き配可能かというとそういうことはなく、
猫用の爪とぎ板を頼んだらなぜか置き配指定できない。
なんでだろうと思っていたらその時の配送業者がヤマト運輸で、
ヤマト運輸では今のところ置き配指定ができないからだった。
(踏み切れない気持ちはよくわかる)
ヤマト運輸Amazon の配達から部分的に撤退して取り扱い量が大幅に減ったときに
代わりに入ってきた中小の配送会社が対応しているようだ。
 
そのうちドローンでバルコニーやベランダに置いてほしい、
というのも対応できるようになるのだろう。
プライバシーの問題を気にしなければ。
 
こういう置き配も日本だからこそできることなんだろうな。
飲食店の前に野菜の箱を積んだままにしていても誰も持って行かない。
僕らからすれば当たり前のことだけど、
そんなの考えられないという国もまたあるだろう。
置き配可能な仕組みを作るというよりも、
置き配可能な社会を作るということが何よりも大事ということか。