「ハウルの動く城」

この前の月曜、会社を休んでようやく「ハウルの動く城」を見た。
いろいろ話題になってるんだけど、
世間の評価はどういうところに落ち着いたのだろう?
公開当初に新聞に載ったレビューを読むと
「うーむ」と首を傾げてる感じのが多く、手放しで絶賛しているものは少なかった。
これまでとは違う芸術的に深いものを感じさせるが、その分難解だ、という意見もいくつかあった。
ファンの声として、これまで通り面白かったというのももちろんある。
どうなんだろう?
どういう映画なんだろう?


はっきり書くけど僕としてはちっとも面白くなかった。
映画としては十分面白かった。2時間あっという間だった。
凡百の下らん映画を見るぐらいなら
ハウルの動く城」を見た方がよほど娯楽として良質な時間を過ごせる。
だけどこれを宮崎駿監督の最新作としてみたとき、
「果たしてこれでいいのだろうか・・・」と暗い気持ちにならざるをえない。
魔女の宅急便」「紅の豚」「もののけ姫」を見ていないので
宮崎駿を語る資格は無いのかもしれないが
(特に「もののけ姫」を見ていないのはきつい)
これまでの宮崎作品は見た後にものすごく大きな穴を心の中に開けて
そしてその穴を作品自らそっと埋めてくれるような、そういう不思議な存在感があった。
「満たされる」という感覚。
宮崎駿のファンタジーで、メッセージ性で、そもそものアニメーションの面白さで。
いろんなものが複雑に絡み合った有機体として、見た人を包み込むような感覚。
今回はそれがちっとも感じられなかった。
これまでの宮崎作品のエッセンスを寄せ集めてつなぎ合わせたようなもの。
どこが中心でどこが枠組みなのか判別できないし、
ストーリーも非常に分かりやすい反面、なんのことなのかちっとも分からなかった。
はっきり言って宮崎監督が遂に到達した「深い芸術性」って言われてるのが
果たしてどこのことを指しているものなのか、僕にはピンと来なかった。
その「深い芸術性」ってのをひたすら捜し求めて
スクリーンの前に座ってるのも味気ないものであるが、
どこかに何か別の世界へと突き抜けてしまうとんでもない瞬間があるのではないかと
待ち続けていても、遂にその瞬間は訪れなかった。
少なくとも僕には。
ナウシカラピュタの凡庸な焼き直しとしか感じられなかった僕は感受性が鈍いのだろうか?
宮崎駿の作品の読み込みや鑑賞回数が足りないのだろうか?


おおそろそろクライマックスかと思っていたら
実はそれがクライマックスで物語りは唐突にハッピーエンドで終わってしまった。
余りのご都合主義で唖然とした。
だったらこれまでのストーリーはなんやねんと突っ込みたくなった。
表面上のストーリーなんて実は大事じゃないんですということなら
それ相応の語り方があっただろうし、
あの終わり型は僕の中ではかなり消化不良。尻切れトンボ。
見た人にとってはどうですか?納得がいきますか?


この辺りの表層的なストーリー展開に頼らない何か
(今の僕には「何か」としか呼びようが無い)が宮崎駿の新しい芸術性なのだろうか?
だとしたら僕は完全に置いていかれた。
この世に存在する無数の小説や無数の映画というものが相互に侵食しあって
「標準的なストーリー」「かっこいいストーリー」というものの輪郭が
社会の総和として描かれるとしたとき、
そこをはみ出して新しい規範足りえる地点を指し示したもの、それだけでなく、
実際にそこまで突然変異的に到達しえたものがあったとき、人は感嘆する。賞賛する。
そういうものに出会わないものかと鵜の目鷹の目で作品に接している読者や鑑賞者は
知らず知らずのうちに期待するストーリーの展開の方向性や複雑性が心の中で定まっている。
その作品を読み始めたとき、見始めたとき、絶えずその方向性を軌道修正していって
読み終わったとき、見終わったとき、
それが最終的にどこまでずれていったか測ってみることになる。
予想よりもかなりの距離を進んでいったとき、
思わぬ方角に進んでいったとき、人は「感動した」と称する。
僕がこの日「ハウルの動く城」を見ながら無意識的にしていたこともそれだ。
そしてその作品は距離は稼がなかったし、
とんでもない場所に向かって突き刺さることもなかった。
そんな僕は批評をするための軸がそもそも足りなかったのだろうか?
(スキーのジャンプで言えば飛距離ではなく、飛び方の美しさみたいなポイントが)
あるいは、こういう行為そのものが意味を成さないものなのだろうか?
そういう行為が意味を成さない作品が遂にこの世に登場したということで
人はこの作品を高く評価しているのだろうか?


なんだかよくわからないままで、
たぶんずっとこのまま。
僕にはこれからもわからないままだろう。
10年後、100年後のこの作品の評価がどうなっているか、
僕はものすごく知りたい。


あれだけの爆撃機が空を飛んで爆弾を落として町は炎に包まれ、
住んでいたたくさんの人が死んでしまいました。
そんなとき偉い魔女は「戦争を終わりにしましょう」と言って
いきなりその戦争を終わらせてしまいました。
ハッピーエンド。その後ハウルとソフィーはいつまでも幸せに暮らしまたとさ。
だけど死んでしまった町の人たちはどうなるんだ?
アニメの画面にすら登場せず、
描かれずに終わってしまった無数の人たちはどうなるんだ?
これまでの作品にはそういった無名の人たちの存在の意味を説明するような何かがあったと思う。
全てにおいて説明のつく、完璧に構築された虚構の世界があって、
言葉を尽くさなくてもそれはそこに厳然たる事実として存在していた。
今回の作品にはそれがごっそり抜け落ちている。
つまり、見ていてなんだか居心地が悪かった。