「モナリザ・オーヴァードライヴ」

このところ会社の行き帰りに
ウィリアム・ギブスンの「モナリザ・オーヴァードライヴ」を読んでいて、昨日の夜読み終えた。
これは面白かった!!!
手に汗握る、スリリングなストーリー展開。とんでもない疾走感。
一気に読みきってしまった。
ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」もそれなりに面白かったが、
あれはあくまでSFの中のサイバーパンクとしての面白さだった。
モナリザ・オーヴァードライヴ」は普通に小説として優れている。
ニューロマンサー」「カウント・ゼロ」を読み返してみたくなったが、
この人生にそんな暇あるだろうか?


つーか、この2作がどういう話だったか、思いっきり忘れた。
モナリザ・・・」には前作までの重要人物が何人か登場してることになってんだけど、
何一つとして思い出せず。だめだなあオレ。
かろうじて、かつての主人公ボビイしか記憶にない。
アンジイ?モリイ?それって誰?ケイス?フィン?
ファンからしたら噴飯ものだな。
3作続けて読めばよかった・・・
学生時代に読んでたら一生モノだっただろうな。惜しいことをした。
(「ニューロマンサー」だけは学生時代に読んだ。「カウント・ゼロ」は2年前??)


改めて思うに、この小説何がすごいかって
妙に生々しい、ジャンクな未来社会の描写なんだよな。
88年というインターネットも一般化されていない時代に、
ネットの向こう側に広がるバーチャル・リアリティが入り組んで
虚構の世界が築かれてるってのを予見してるのはやっぱすごい。
10年後の98年ならばまだネットの世界は黎明期みたいなもんだったけど、
20年後の08年にはもしかしたらネットの情報量は
現実の世界の情報量を上回って覆い尽くして一人歩きしてるのではないか?
どっちかというとグレッグ・イーガンお得意の
ネットの中に独立した人格が住んでいるってのも
2018年には実現しているかもしれない。


ウィリアム・ギブスンを語るときの話で僕が好きなのは、
ニューロマンサー」があれほどまでに未来的な予感と手触りに満ち満ちた作品であるのに
これは古びた旧式のタイプライターを打つことで書かれたものなのだということ。
マッキントッシュを利用した、とかいうような(当時の)最先端な作業ではなかった。
ウィリアム・ギブスンは自らの生み出す未来の中にどっぷりと浸かって
その中で呼吸していたのではなくて、
割と自覚的に小説を小説として書いていたわけだ。
自分をその雰囲気に導くような小細工は不要だった。自らを「騙す」必要がなかった。
3部作が妙に冷めているのもきっとそこにあるんだろうな。


ウィリアム・ギブスンってのは80年代の寵児って印象があるんだけど、
90年代以後の作品ってどうなんだろ?
ハヤカワじゃなくて、確か角川から出てる。
SF作家としての旬は過ぎてしまったのだろうか・・・