世界戦争が始まるよ、今夜

今日の夜、この世界は終わってしまう。
ニュースではそんなこと言ってないけど、誰もが知っている。
隠してる、隠されてる。学校に行ってもみんなその話。
戦争が始まって、それは一瞬で終わってしまって、みんな死んでしまう。
何人かは登校してこなかった。
家族と、あるいは、一人きりでどこかに行ったのだと思う。
逃げだすために。可能ならば、この世の果てまでも行くつもりで。
そんなこと、できっこないのに。


父は帰ってこなかった。いつも通り残業続きで大変なのだろう。
私が朝起きたときには既に会社に出かけていた。
仕事をするためなのか、残された仕事を整理するためなのか。
今となっては何も意味を持たないのに。
それでもそうするしかないのは人間の悲しい性質によるものなのか。
それとも、今日が昨日の続きでいつも通りの一日だという幻想にすがりつきたいのか。
いや、幻想を抱くまでもなく、今日という一日はいつも通りの一日だった。
電車もバスも普通に動いていた。電機もガスも使える。
この世界は、何事もなかったかのように、続いている。続いていた。
電車の窓からは「真実を明るみに出せ」と叫ぶデモ隊の長い行列を見かけたけれど。


「母さん、戦争が始まるってほんと?」
母と二人だけの夕食。
私は今日になって初めて、家族を相手にこの話題を持ち出してみた。
それまで梅が咲いたとか桜が咲いたとかそういうことを一方的に話していた母が、
困りだして急に何も言わなくなった。
おかずに箸を伸ばす。ご飯を口元に運ぶ。
「死んじゃってもいいの?」
母は母で思うところのことがあったのだろう、あるいは何も考えたくはなかったのだろう。
そしてそれは例え私が一人きりの娘であったとしても、触れてはならない部分なのだろう。
そっとしておくにこしたことはない。
母も私も、テレビを眺めた。当たり障りのないバラエティー番組が大声ではしゃいでる。
全ての喧騒を振り払うかのように、くだらないことを精一杯。私はハハハと声に出して笑う。


食べ終わってダイニングを出て行こうとすると「皿、洗ってくれない?」と母が言う。
私の方を見上げるでもなく、テレビを見るでもなく。
「やだよ」と私は答える。
皿を一枚一枚きれいに洗って拭いて片付けようが片付けまいが
この世界は今夜終わってしまう。
それがこの人にはわからないのだろうか?
それとも父と一緒で、世界が終わろうが終わるまいが
例え皿の一枚であってもきちんとしていたかったのか。
だったら、自分で洗って片付ければいい。
とにかく私は、めんどくさいと思って、その場を立ち去った。


自分の部屋に戻って、ベッドに身を投げ出す。
携帯を眺める。メールが二通と着信が一つ。友達から。
読んでみる。だけど返事は返さない。
今さら一緒に過ごすわけでもないのに。
会ったところで、何がどうなるわけでもないのに。
もう何年も前、「世界の終わりには君と一緒に」ってマンガを読んだことを思い出す。
だけどどういう話だったのか、何一つ思い出せない。
世界が終わってしまう話だったのか。そんなこと、全然関係なかったのか。
今、この世界は、
最後の瞬間になって一緒に過ごしたい人がいて、実際にそれを果たしている人と
その思いがかなわない人と、そういう相手がそもそもいない人と
この三種類に分かれているのか。
でも、それって、だからなに?


私はすることもなくて、携帯の中のメールを一つ一つ消していく。
読むものもあれば読まないものもある。
なんだか悲しくなる、ような気がした。
でも、涙は出てこない。錯覚なのだと思うことにした。
友達のこととかメールを消すことが悲しいのではない。
もっと別のところにあるもっともっと形にならないものが悲しいのだ。
・・・疲れてしまった私は、携帯を閉じて放り投げた。


眠ってしまおうとした。
明日目を覚ますことがないって分かっていても、それでいいんじゃない?
目を閉じる。過去のあれこれをとりとめもなく、思い返す。


携帯が鳴る。メール?しばらくほっとく。
一応、見てみることにした。
父からだった。
交通機関がどこもパニックで、人が多すぎて乗れそうにない。
 何時間かかるか分からないが、歩いて帰ってみようと思う。
 間に合わないかもしれない。
 そのときのために前もって、さようならと言っておきたい」


私は立ち上がると、窓のところまで歩いていって、カーテンを開けた。
都心の方は高層ビルが聳え立ち、いつもと変わらない眩さを放っていた。
ヘリコプターが東の空を横切っていく。もう一台、上空で停止しているのが見えた。


カーテンを閉じて、私はまたしてもベッドに身を投げ出した。
眠ってしまおうとした。


私は呟く、
「世界戦争が始まるよ、今夜」


横になって目を開けて、斜めになった部屋の中を眺めながら、
私はもう一度だけ、呟いてみた。