Second Life をやってみた

会社が暇なので(というか勝手にそう思いこんでいるだけなのだが・・・)
昨日も会社を休んだ。
午前中は小説を書いて午後はずっと「水曜どうでしょう」のDVDを見て(「サイコロ3」のやつ)、
夕方から Date Course Pentagon Royal Garden の昔のライブのを見て、
DVDにも疲れてきた頃、ふと「今話題の Second Life ってどんなもんだろう?」ってことを思った。
大きな本屋のコンピューターのコーナー行けば
最近は Second Life が結構大きくフィーチャーされてますよ。
図解式のカラーの入門書みたいなのがもう何冊も出てる。
新書もあった。その出てきた背景や意義を語るようなやつ。


招待制じゃないっていうから誰でも登録できるだろう、
そう考えて日本語版のサイトを検索して見つけてユーザー登録してみた。
専用のアプリをインストールするまでは簡単だった。
問題はそこから先。
日本語版のチュートリアルの島みたいなところから始まるんだけど、悪戦苦闘・四苦八苦の連続。
普段ゲームを全然やらない僕からすれば 3-D で
キャラクターを動かすってのはなかなか慣れないものであって。
スクリーンの上にメニュー、下にボタンがずらっと並んでて
「こんなん使いこなせるんやろか・・・」と不安になる。
というか、早い話めんどくさくなる。
「専用のコントローラーが欲しいなあ」とか「攻略本が欲しいなあ」なんてことを思った。
とにかく、あの島から出る方法が分からなくて、
出ないことには何も始まらないなんだろうなーと悩んで
あちこち動き回っているうちに飽きてやめた。
恐竜のアバターをただでくれる場所があって、それを買ってその場で着せてみたら
なんかイマイチで、でもそれを元に戻すにはどうしたらいいかわかんなかったり。


3-D のロールプレイングゲームをやってるようなもんですが。
往年の MSX を思わせるグラフィックで(もうちょっとマシか)
「えー?この中に新しい経済圏が生まれる?企業が進出するそりゃ嘘だろう?」って思ってしまった。
使いこなせない、楽しめない人間のひがみといえばそれまでだけど。
いやー、当分先じゃない?少なくとも今年ブレイクするようなもんじゃないだろう。


ログインして最初入った部屋にチュートリアル用のでっかいボードがあって、
何をどう操作すべきかごく基本的な動作が日本語で書かれている。
それに従って建物の中を進んでいく。
その最初の部屋に女の人が立っていて、
「なんだろう?」「バーチャルなインストラクター?」と思ってその人のところまでいく。
「話しかけてきたりするんだろうか?」とぴったりくっついてみるのだが、
その女の人はウントモスントモ言わない。
やがて、あたふたと逃げ出す。
取り残された僕は「あ、他のユーザーなんだ」ということに気付く。
いきなり恥ずかしいことをしてしまった。
ストーカーみたいで後味悪い思いをした。


まあそんな感じですよ。
僕としてはもうちょっと普及してから再度トライってとこかねえ。
リアルな世界にはもっともっとやるべきことがあるし。

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僕がコンピューターというものに出会った、
パソコンというものが普及し始めた80年代後半、
3-D のバーチャル・リアリティーの世界の中で人々が生活を始める
という未来予想図が盛んに語られていた。
小さかった頃の僕はその実現を熱心に待ち望んでいた。
その後実験段階が繰り返され、何度かサービス化されたが、消えていった。
(消えずに残っているかもしれないけど、正直僕には分からない)
Second Life は初めて、商用ベースで軌道に乗りそうな成功事例になりつつあって。
実現まで実に20年かかったわけだ。
それを長いと見るか、短いと見るか。


SNS の発展系、というか延長線上にあるんだよな。進化の系統をたどっていくと。
単なる 3-D のバーチャル・リアリティーという視覚的技術じゃなくて、
SNS って要素が核として必要だった。
結局 Second Life もその目的はネット上で友人同士になって
情報交換のためにコミュニティーを作るってことだし。
3-D はプレゼンテーション(見せ方)の手段でしかなかった。
そう考えるとものすごく興味深いんだよな。SNSってやつが。


20年前の人々で SNS の存在を予見していた人は果たしているだろうか?
インターネットが爆発的に普及し始めた10年前ですら、いなかったはずだ。
自然発生的に生まれ、多くの人々の潜在的な欲求に刺激されて
どんどん進化していく、その方向性が定まっていく。
たった数年の間に今や進化の最前線に到達した。


結局、人という生き物はネット上であろうとなかろうと、他の人々との結びつきを常に求めている。
テクノロジーの発展がもたらすものとは、極端に言うとその手段と見せ方の多様化でしかない。
そこのところを賢く具現化したものが SNS なのだと僕は思う。