孤独の話、続き

孤独の話、続き。


夜仕事から帰ってきてコンビニに立ち寄る。
雑誌の立ち読みをしている女性の姿を見かける。
コートを着て鞄を持って、会社帰りの装い。
以前どこかで、「一人の部屋に帰るのが寂しいから、
途中のコンビニで雑誌を立ち読みして帰る」女性のことを読んだ。
そういう人たちって意外と多いのだろうか。
「雑誌を読むことが好きだけどわざわざ買って読むほどでもない」
「そもそも立ち読みって行為が暇つぶしとしてとても好き」
という人の方が断然多そうだが。


でも、中には意識的に/無意識的に、
何の理由も無く立ち読みしている人だっているのだろう。
何かから逃れるために。
だとしたらそれは「ささやかな孤独」と言えなくもない。
そういう人がこの東京にどれだけいるのだろう、と思う。
彼らは、彼女たちは、日々何を思っているのだろう。
「孤独な心を抱いている」と感じて
ヒリヒリとした気持ちややりきれない重苦しさと
絶えず向き合っているのだろうか。

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先日孤独のことについて書いたら、
「孤独って自分で選ぶものですよね。ひとりぼっちとは違う気がします」
という書き込みがあった。
そうか、と思った。確かにそうだ。


だとしたら僕も自ら「選んでる」あるいは「選んだふりをしてる」ような気がする。
「孤独ってかっこいい」という憧れ。ただそれだけ。


それって孤独でもなんでもない。
自分や他人に対する甘え、なのかもしれない。