10/28 CMFLG(TeamDoyobi/Bichi/Brokenhaze/テニスコーツとセカイ) 1/2

先週の火曜はデラ君の主催するイベント「CMFLG」に顔を出す。
テニスコーツがライブをやるというので、見てみたくなった。


場所は六本木の Super Deluxe で、5・6年前にも1度来たことがある。
そのときもまた音楽系のイベントだった。


神保町での打ち合わせを早々と終えると、歩いて日比谷まで行って、地下鉄で六本木へ。
始まりは19時で、2時間近く時間が空く。
そういえば国立新美術館サントリー美術館と共同でピカソのやつをやってたなあ、
でも国立新美術館は閉まってるだろうしとサントリー美術館へ。
「会社帰りにふらっと、そうだピカソを見に行こうと思うことのできる東京は偉大な街だ」
そんなことを書こうと思っていたのに、行ってみたら火曜は定休日だった。
青山ブックセンターで時間をつぶして、森美術館ミュージアムショップへ。
森美術館はゴールド展だったかで、特に興味は湧かなかった。


ミュージアムショップでマシュー・バーニーの「Cremater Cycle」のDVDを見つけて即買い。
(「The Order」ではないよ)
なぜ売れ残っていたのだろう?とっくの昔に廃盤になったはずなのになあ。
欲しい人なら倍の値段だろうと払っただろうに。得した。
「Cremater Cycle」そのものは大作なので、これは抜粋版。
どっちかというとドキュメンタリーに近いようだ。

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Super Deluxe へ。


最初の1組目が既に始まっていた。
エレクトロニカ系のDJに合わせて、ライブペインティングを行うというもの。
壁には大きなキャンパス(ダンボール?)が掛けられていて、
そこに最初はチョークで黒い線を描き、時間が進むにつれてペンキをぶちまけたりする。


正直、僕自身はライブペインティングというものが全然好きではない。
描いてる姿が見ててこっ恥ずかしくて。自己陶酔の極みというか。
普通、絵を描く人ってのは音楽に合わせて描くものなのだろうか?
思わせぶりな身振りをしたり、踊ったり。そういうの必要なのだろうか?
そうすることでより優れた、物事の本質に迫れた絵を描けるのだろうか?


絵というものはやはりアウトプットの作品が全てではないか。
全く同じ絵が出来上がって、こちらは椅子に座って淡々と描きました。
こちらは音楽に合わせて描きました。
どちらがより価値のある絵でしょうか?
そんな質問はばかげている。


プロセスが大事だというなら、ピカソマティスの製作過程が映像として残されているべきだ。
そして高校の美術の時間にそれを見るということになり、
美大でもみんながそれを定期的に鑑賞する・・・
もちろん、そんなことはしない。


昔、XTCのアンディ・パートリッジが「なぜライブ活動をやめたのか?」
という質問を受けて、こう答えていた。
「小説家がタイプライターを打つところなんて誰も見たくないだろ?」
これは音楽じゃなく、絵については正しいと思う。
パフォーマンスそのものがアートだ、という姿勢ではない限り。


そう、ライブペインティングはどっちつかずなのだ。
パフォーマンスとしては中途半端だし、
出来上がった絵について、人目に晒されながら音楽に合わせて描いたってのを
評価のポイントに入れるべきなのかどうか困ってしまうという点において。
というか高々1時間ぐらいでそんなたいしたものが出来上がるわけがない。
つまり、そこそこ絵のうまい人が行う「芸」に過ぎない。
そして、その「芸」をやってる人たちって、僕がこれまで街で見かけた限りにおいて、
その道を究めて、それ以上の何か、新たな次元に向かおうとする姿勢が見られない。


そもそも、絵というものは一人きりの部屋で集中して、
何日も何ヶ月も何年もかけて描くべきものだという僕の考え方が古いのだろうか?
グラフィティ・アートがヒップホップを聞きながら、というのはさすがに別だと思うが。
(というか、そこにこそヒップホップの革新性があるのだと僕は思う)

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長くなったので、続きは明日へ。


正直な話、描いてた彼がとてもうざかった。
他の人の演奏中も周り構わず大声で話してたし。
音楽に乗ってるのはいいけど、1人だけフロア中を我が物顔で闊歩して踊ってて。
見ててジャマでしょうがない。
静かに座って聞いてろとは言わない。
でも、周りの人がどんなふうにその音楽に接しているかを見て、感じ取って、
場をわきまえてほしいのだ。
その場に応じた盛り上げ方ってものがあるよね。ただ自分、自分と押し付けるだけでなく。


「ああ、こういう人の自己満足なんだ、ライブペインティングって」
そういう偏見を強くしてしまった。


ものすごく、腹が立った。