「1Q84」 たぶんその1

会社の後輩から「1Q84」を借りたので読み始めた。
ハードカバー。とても分厚い。1冊500ページ以上もある。
会社の行き帰りに読む気になれない。
一昨日の夜、家に帰ってきてから第1章を読んで、
昨日の夜、第2章と第3章を読んだ。
今日は会社に持ってきていて、昼休みに第4章を読むつもりだ。


世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」や「海辺のカフカ」のように、
2つの並行する物語が交互に語られる。
奇数の章は「青豆」という女性の物語。
偶数の賞は「天吾」という男性の物語。
共に30になったかならないかで、時代はタイトル通り1984年。
ジョージ・オーウェルが例の作品を書いた、あの年だ。
そこに何かの意味があるのかどうかは、まだ分からない。


最初の3章だけを読んだ感想として:
もしかして、これ、面白いかもしれない。
本気で書いてるかもしれない。
いや、その他の作品がつまらなくて、手抜きだというわけではない。
いつだって面白くて、その時々において表現は研ぎ澄まされていた。
しかし、今回、何かがガラッと変わったように思う。


村上春樹は遂に、普遍的な文学へと向かい合ったのかもしれない。
村上春樹ワールドではなく、
この世界そのものを描こうとしているのかもしれない。


村上春樹の文体を特徴付けるものとして、
比喩や象徴の圧倒的な正確さ、豊穣さというものがある。
1Q84」では、言葉以外の何かでそれら、比喩や象徴を扱い、描こうとしている。
そんな印象を受ける。
何よりもそこのところが、深い。


…こういった印象を受けたのは、僕が、
いつものように遅れて文庫本になってから手軽に一気に読んでるのではなく、
ハードカバーで自分の部屋で少しずつ読み進めているから、というのもあるだろう。
文庫本とハードカバーというメディアの違いで、
受け取り方はかくも違うものなのか。

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とまあ、そんなわけで。
1000ページもあるのでこれから先長くかかりそう。


村上春樹を好きという人は多いですが、
僕が好きなのはなんといっても「ノルウェイの森」。
今度映画化もされますね。


よく言う話だけど、文学的にすげーと一番唸らされたのは
世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」ですね。
最も広い文学的世界がそこには広がっていて、
言葉によって描かれなかった闇もまたとてつもなく大きい。
その存在感に圧倒される。


1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 1