「ハワーズ・エンド」

先日の続き。『ハワーズ・エンド』について。


E・M・フォースターの1910年の原作をジェームズ・アイヴォリーが映画化。
原作は池澤夏樹の世界文学全集にも選ばれている。
舞台は19世紀末のイギリス。階級の異なる人々の恋のから騒ぎ


同じフォースター原作、アイヴォリー監督の『眺めのいい部屋』はとてもいい映画だった。
ダニエル・デイ=ルイスが主演ということもあり)


でも、この『ハワーズ・エンド』は全然ピンとこなかった。
どっちも異なる境遇の若い男女の恋愛がテーマなんだけど、
眺めのいい部屋』は恋愛の要素が強くて、『ハワーズ・エンド』は階級の要素が強い。
理論的には理解できるけど、それが面白いかどうかで言ったら、全然興味が持てない・・・
イギリス人には面白いんだろうか?面白いんだろうな。
たぶん、アメリカ人にはかなりつまらないだろう。


日本にも昔は、階級の差が恋愛における重要なファクターとなる時期があった。
源氏物語の頃がそうだし、明治時代だってそうだ。
しかし、今は全然そうじゃないよね。
階級というよりは貧富の差であって、それは階級とは全然違うものだ。
いや、そりゃお金を持ってる人と持ってない人とでは生活様式や物の考え方は違うよ?
でも、そういうんじゃないんだよね。
越えられない壁の大きさ。流れてる血のようなもの。
種族や民族が違うと言ってもいいぐらいだと思う。
そう考えたとき今の日本は、なんつうか、とても平和な国だ。
(平等、と言いたいのではない)


なんでこうなったのか?
太平洋戦争で多くのものを失って、高度経済成長がその隙間を埋めたときに
あらゆるレイヤーで均一化が進んだんだろうけど。
金で買えるものが以前よりも増えた、
大概のものが金で買えるようになった、ってところがポイントだと思う。
今更僕が言うまでもない。


話変わるけど、その後カズオ・イシグロ原作の『日の名残り』を映画化したりして、
ジェームズ・アイヴォリーっててっきりイギリス人かと思いきや
調べてみたらアメリカン人だった。
ここまでどっぷりと英国に浸かって、ヘンリー・ジェイムズみたい。
フェイクなのに英国人よりも英国人っぽい。


最近、全然アイヴォリーの名前を聞かない。
21世紀に入ってからも作品を撮ってるみたいだけど、
作品名を見ても全然ピンと来ない。
2005年の最新作、『上海の伯爵夫人』もまたカズオ・イシグロ原作だった。


年齢を見たら81歳。かなりの年だった。
1928年生まれなので、
1972年の処女長編『野蛮人たち』が44歳。
1986年の『眺めのいい部屋』が58歳。
1992年の『ハワーズ・エンド』は64歳だった。
そうか、あの老獪な静けさは年齢そのものだったのか・・・