青森駅前

僕が小さい頃は青森市にも傷痍軍人を見かけた。
軍服の上に白衣を着ていたように思う。
新町の交差点、東映の映画館のある辺り。
青森市で初めてスクランブル交差点になった。あの頃一番の繁華街。
松葉杖をついて義足。痩せこけた頬。分厚い眼鏡。
何か白地に黒文字の細長い幕を背後に立て掛けていたかもしれない。
どこかで読んだようにアコーディオンを演奏したりはしない。
ただ黙って立っている。所在無げに立っている。
何かを声高に主張したりはしない。
そこには必ず誰かがいた。
何人かが入れ替わり立ち代わりだったように思う。
もしかしたらそれは昭和の時代まで、
駅前にりんご市場のあった頃までかもしれない。


あの頃にはいろんなものがあった。
りんご市場には角巻きを着た婆様(バサマ)たちが
ダルマストーブだったかその頃は白いのストーブだったか
背中を丸めて当たりながらじっと店番をしていた。
外は吹雪。○○商店、××商店。
淡い色をした津軽のりんごをびっしりと詰めた箱が積み重なっている。
その婆様に話しかける顔馴染みの爺様(ジサマ)がいる。
顔には白いタオルを巻いて、しなびた煙草をくわえている。


入り口を挟んで駅の反対側には木造の頼りない、
古びた黒ずんだ建物が寄せ集まって小さな飲み屋街を形成している。
あれはまだわずかに残っているように思う。
安酒を飲むのだろうか。今は誰が飲むのだろうか。
寅さんにもそういう場面があった。
青森駅前、カウンターしかない店でコップ酒を。
(そして北海道へと渡り、リリーと出会う)


僕が中学生のときに駅ビルができて
一般公募で「LOVINA」という名前になって。
線路に面した裏側の壁(駐車場になっている)にはいっぱいに
アラジンの魔法のランプが描かれていたが、それが最近消されて、
痕だけが残っているという。


LOVINAの5階のイベントホールにてあれは2年生の終わりだったか、
市内の高校の演劇部が何校か集まって上演した。
僕はその日なぜか司会の一人だった。
もっとなぜなのか、ホールがいっぱいに埋まっていた。
どうやって客を呼んだのだろう?


あのイベントホールは無名時代のスピッツが演奏したと聞く。
はるか昔のこと。
ライブハウスは「1/3」がバーになったのか、今は「Quarter」が残っている。
スケジュールを見たら今月後半は
怒髪天Base Ball BearThe Pillows いい面子だ。
6月はくるりガガガSPフジファブリック
しかし、ここを訪れたことはない。


なぜか今、感傷的な気持ちになる。
青森のことばかりを思い出す。
なんてことはない日々を。
僕の過去の中にしか存在しない青森が愛おしい。
それはつまり、僕には戻る場所がないということだ。