思い出したこと。
僕が中学生だった頃、バラックのように店が並んでいた青森駅前のりんご市場が撤去された。
屋根があるだけの粗末な空間にリンゴ箱が積まれて、じさまやばさまが店番をしていた。
今調べてみると、無くなったのは平成元年のことだったという。
新町の通りを歩いて国道に出て、古川の通りがまだ寂れていなかったころ、
行商のばさまたちが野菜や干したものを広げて売っていた。
しわくちゃの瘦せ細ったばさまたち。
地味な、粗末なものを上に羽織って、寒さに震えている。
背中を丸めて売り物を少し食べていたりした。
誰が買うのだろう? 買っている人を見たことがない。
買うとしても同じようなばさまたちか。
青森駅から夕方、津軽線に乗って帰ると時々行商のばさまを見かけた。
自分の背丈よりも大きな背負子を担いでいる。
席を譲ってもらって座れたならいい方だ。
背負子を床に下ろして立っているばさまもいる。
その背中がやけにさみしく、風雪に耐えて疲れきっている。
皆、小さかった。あの頃のばさまは皆、小さなかった。
少しは売れただろうか。どれだけ持ち帰ることになったのか。
全部売れたところで大した収入にはならないだろう。
恐らく「農家の嫁」なのだろう。行商のじさまは見たことがない。
朝早くから働いて、家事をして、2時間に1本の電車に乗って町まで出てきて、
一日過ごしてまた帰る。
毎日ではないだろう。そう信じたい。畑に出られない冬の間、来ている。
駅前のりんご市場が無くなってからも何年かは行商のばさまたちがいた。
僕が高校の頃までは確かに。その後どうなっただろう。
皆年老いて廃業したか。
体力的にはまだ続けられるとしても、売れなくなってやめたという人もいるだろう。
いや、売りに来ていたのは夏だったか。
元気に笑っているばさまもいたか。
今となっては記憶が定かではない。
青森も変わった。
駅前のりんご市場は名物であったし、建物として形があったから記録に残りやすかった。
行商のばさまたちのことは記録に残っているだろうか。
その店は敷き物を広げただけで形がない。
今生きている人たちの記憶と共に消えてしまうのか。
撮られた写真も数少ないだろう。