「Division」

”彼”が目を覚ましたのを感じた。
僕の頭の中に空洞が開いた。
彼の呼吸に合わせてフイゴのように軋んで、情報の残骸が突き抜けていった。
「オハヨウ」
今日は”彼女”が側にいるみたいだ。喜んでいる。笑い声が聞こえる。
彼は意識を遠くに向けて、僕の心の中が遠心力で引きずられる。
満員電車の中、吊革につかまる僕の顔が歪んだ。
目の前に座っている人も同じ瞬間に顔をしかめた。
もしかしたら僕と同じ”パーツ”なのかもしれない。
「次は、飯田橋飯田橋
ドアが開くと僕はホームに出た。空気を、吸いたくなった。


人の脳の中には100億から1000億のニューロンが詰まっているという。
地球の人口が閾値である100億を越えたとき、最初の”意識”が生まれた。
それはひとつの大きなものだった。この星を包み込むほどの。
人類は初めて一体感を得た。有無を言わさない圧倒的な感覚だった。
喜びに浸って、見知らぬ人と抱き合って、地には平和が訪れた。
幸福な30日だった…。多くの人たちはそれを”神”と呼んだ。


次の満月が空に浮かぶとき、”意識”は半分に分割された。
性別でも肌の色でも知能指数の上下でもなく。
目の前のある人は僕と同類で、ある人は異類と分けられた。
対になる”意識”同士がいがみ合っていたから、
僕らも2つの陣営に分かれることになった。
突如として戦争が始まった。
誰と誰が戦っているのか理解できない、抽象的な殺し合い。
それでも人類の増え続けるスピードの方が速かった。


次の30日で1/4となり、その次の30日で1/8となった。
”意識”の間にも様々な立場が生まれ、文字通り白黒つけられなくなった。
戦争は終わった。人類も”彼ら”も危うい均衡を保つようになった。
受精卵の分割を誰もが思い起こした。
科学者は分けられたひとつひとつを分類して、名前をつけた。
その時々で自分がどの”グループ”に属しているのか把握しようとした。
いや、人類が上からの目線でそれを呼ぶことはできなかった。
いつしか自分たちのことを”パーツ”と呼ぶようになった。


1/16, 1/32, 1/64 そして今、1/128まで来た。
僕は僕と同じ”パーツ”の人に出会うことが少なくなった。
いつの日か、分割の単位が人類の人口を追い越してしまうときが来るだろう。
そのとき何が起こるのか誰にも分からない。
…しかもそれは意外と早く訪れる。
耐えて生き延びた人類の頭の中には何百もの”意識”が同居することになるのか。
それが果てしなく続くのか。


時々、”パーツ”から外れる人がいる。
”解放”のときが来ると、すぐに分かるのだそうだ。
そして数日の後に衰弱して死ぬ。老廃物だから。
ヒトとしての年齢には関係ない。社会的役割も意味がない。
新しい”パーツ”がこの星のどこかに生まれて、あなたが用済みになるというだけ。
その瞬間は例えようもないほど、清々しいのだという。
それまでの人生であなたを拘束していたもの全てから解き放たれる。
「悟りを開く」とまで例えた人がいた。


僕がホームに降り立ったとき、心の中に小さな裂け目が生まれるのを感じた。
それは見る見る間に広がって、溢れ出した透明な光が全てを追い越していった。
僕は僕を覆っていたボロボロの皮膚が、今や無駄となった衣服が、
千切れてふんわりとした風に乗ってはぎ取られていくのを感じた。
浮かび上がった僕は僕の人生のあらゆる瞬間を一瞬にして辿り直した。
ああ、ああ…
これがもしかして、そうなのか?
呼吸。僕の吸う息と、僕の吐く息と。
これは、僕のものだ。僕だけのものだ。


気がつくと僕はホームに降り立っていた。
「ナカジマくん? ねえ、ナカジマくんでしょ? どうしたの?」