オノクラ汁講その6

(2/17(日)朝)


07:00 目覚ましが鳴る。Kさんは既に起きている。
Cさんも布団の中で半ば起き上がってぼんやりしている。
僕は寝る前にシャワーを浴びたから髪が思いっきり寝癖。
07:30 隣の貸し別荘へ。お茶を入れてもらって
「昨晩は何時まで起きていたんですか?」などとぼけーっと話して外に出る。
朝食のために尾道渡船のフェリーに乗る。
車掌のおっちゃんが昨晩と代わっている。
尾道で仕事なのか、年老いたおじさんたち、おばさんたち。


日曜の朝。空は晴れているのに今日も寒い。
昨日の朝倉敷の美観地区の入口の倉造りのお土産屋の店先で
揚げたかまぼこを売っていて1本「たこしょうが」を買ったとき
お客さんどこから来たの? という話になり、今の倉敷は4℃だと聞いた。
日は出てたけどそれほど気温は上がらなかったのかもしれない。
尾道もまた、そう。


昨日Mさんから聞いた「しみず食堂」は
朝から魚が食べられるとのことだったが
昨晩食べたばかりだしなあとのことで、
もう一軒お薦めの「パン屋航路」へと。「暗夜航路」のもじりか。
http://tabelog.com/hiroshima/A3403/A340302/34014537/
朝8時になるかならないかのアーケードは人通りがほとんどなく、
どこもかしこもしまっている。
かろうじてここ「パン屋航路」が明かりを灯しているだけ。
小さな店内にできたての温かなパンが並ぶ。
選んでいる間にも「○○できあがりましたー」と次々に運ばれてくる。
僕はベーコンと枝豆のクロワッサンのようなもの、
チマッとした丸パンに挟んだサンドイッチを
タンドリーチキンと玉子でひとつずつ。
木次乳業のコーヒー牛乳。


店を出て歩く。どこかコーヒーの出る店で食べようと探す。
と言ってもドトールやスタバがあるわけでもなく。駅前へ。
林芙美子の旧家跡というのが商店街の中にあって、
アーケードを出ると林芙美子像があった。
足元には「放浪記」の有名な一節。
「海が見える 海が見えた 五年振りに見る尾道の海は懐かしい」
http://www.ononavi.jp/sightseeing/literature/detail.html?detail_id=333


途中にローマかどっかから来たという触れ込みの占いマシーンがあった。
「真実の口」の中に左手を入れて20秒待つと
手相を観た結果がプリントアウトされる。
前に利用した人が使い方分からなかったのか、
持ち帰らずにそのままにしていたのが千切られずくっついたまま出てきた。
とても古い機械でメッセージは全てカタカナ。1980年代半ばのPCを思い起こす。
LA BOCCA DELLA VERITA 曰く、
「シンジツ ノ クチ ガ ウラナウ:
 アナタ ハ アタエラレタ シゴト ヲ ナガイ ジカン ツヅケテ
コナシテ イク コト ノ デキル ジョウブ ナ タイシツ を モッテ
イル ヒト デス.
 (中略)
 アナタ ニ トッテ ハ オコリヨウ モ ナイヨウ ナ ジコ ニ アウ
カノウセイ アリ, コウテン ワ ノゾメナイ ノデ ヨウ チュウイ.
 モシ イマ, アナタ ノ セイカツセッケイ ヲ ハジメ ナケレバ
ロウゴ ヲ ヒンコン ナ ジョウタイ デ スゴス コト ニ ナリマス.」
ひー。結構怖いことが平気で書かれていた。


駅前でミスタードーナツが営業していたものの
さすがに持ち込んで食べるわけにはいかず。
駅の中のベンチでという案もあったけど
結局宿に戻って食べようということになる。
寒いので日当たりのいい海辺の道を歩いていく。
フェリーに乗ろうとして待っていたら
NHKの朝ドラ「てっぱん」のロケ現場にこの渡船が使われたとあった。
撮影風景が大きく何枚か貼り出されている。
よく見たらNHKに入ってディレクターとなった映画サークルの先輩だった。
一瞬何の違和感もなく「ああ、××先輩か」と思って
その直後「えぇっ? こんなところに?」と驚く。
渡った反対側には大きな掲示板に立てられ、
大林監督の作品が向島のどこで撮影されたかのマップになっている。
その脇には「あした」を撮ったときにセットとして建てられた
バスの停留所がそのまま残されている。


宿へ。とりとめなく話しながら食べる。
09:30 チェックアウト。
戸締りして所定の場所に鍵と代金を置いておく。勝手に帰るでいい。
今回の旅で最後のフェリーに乗って尾道に戻る。
駅でCさんと別れ、Hさんと合流。
この日来るはずだったUさんは来れなくなって、Mさんもこの日はパス。
近くに住んでいて車で来るSさんが遅れて来る。
この日の観光は古寺巡りの小道を歩きながらロープウェーに行って
千光寺公園の展望台へ。
三原在住のHさんが三原の観光ガイドと名物の「たこせん」をくれる。