『ハンナ・アーレント』

火曜の夜、ようやく岩波ホールで『ハンナ・アーレント』を見た。
今週金曜で終わりなんだけど、各回完売がずっと続いていた。
11時に前を通ると、当日券を購入する長蛇の列。
「え、あの岩波ホールで?」と正直驚く。
これだけ当たったのって最近ないのでは。
僕の身の回りの人が多く見に行っていた。
このあと全国で上映するようだけど、首都圏ではこの後は今のところないのかも?
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/


いや、吉祥寺のバウスシアターで1月にありますよと教えてもらった。
ほんとかな。


見に行った日ももちろん、19時の回は売り切れ。
18:20 より開場しますというので 18:05 に来てみたら、
ホールは10階だというのに、階段に並ぶ最後尾が8階まで伸びていた。
その後7階よりさらに下まで伸びてるっぽい。
こんなに並んで映画を見るのって『少林サッカー』以来だ。


見終わって思うに、正義も悪もその人の見方にしか存在しなくて
人類共通の正義や悪というものは普遍的に存在しないのだということ。
アドルフ・アイヒマンにとっての悪やユダヤ人にとっての正義があるだけ。
その中で人間にとって、人類にとってという視点を貫いた
ハンナ・アーレントのすごさ。


あと、ハンナ・アーレントの人生なり人となりや思想の
要約の仕方、切り取り方がうまいなと。
あれだけの業績を残した哲学者のことならば
監督・脚本家として語りたいことはあれもこれもとあるはず。
それをアドルフ・アイヒマンの裁判のアトサキに焦点を絞ることで
くどくどしい説明なしに、むしろ多くのことが伝わってしまう。


それぞれのシーン編集のうまさであり、
全体としてのストーリー編集のうまさ。
どちらも物語の全てを語る必要はない。
どこを切り取るか、どこを流れとして見せるか。
切り取った枠の外にも物語がある、というのを感じさせるのが大事。
映画ではマルティン・ハイデガーとのロマンスをチラ見せしていたし。


それにしてもね、やはり実物のアドルフ・アイヒマンの裁判の映像。
役者では再現できないとして、潔くこれを使ったところが偉い。
登場シーンは少ないけど、
バルバラ・スコヴァ扮するハンナ・アーレントと互角の存在感だった。
というか逆に言うとバルバラ・スコヴァがすごいのか。