ディスコミュニケーションというもの

先日、facebook に書いたところ反響があったので
こちらにも残しておく。

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コミュニケーションが取りにくく、仕事しにくい人の共通点を考えてみた。


文脈に関係なく、無意識のうちに、あるいは思いつきで
・ひとつの物事をいろんな言葉で言い換えている
・ひとつの言葉でいろんな物事を言い表している


結果として、その「場」の理解よりも「自分」の理解を優先させる。


早い話が、人の話を聞こうとしない。「自分語」しか話さない。
周りの人に共通の翻訳をしいる。
そのコストの積み上げがバカにならない。


時々用語の定義をするんだけど、こういう人こそその重要さに気づかない。
言葉に無頓着というのはとても怖いことだ。


打ち合わせをしているといつのまにか
こういう人たちに理解させたり、誤解を正したりといったことに
目的が落ちていく。


打ち合わせで決まったことが自分の望む通りじゃないと機嫌を損ねる。
打ち合わせで決まったことが自分の望む通りじゃなかったときに
話を聞いてないから自分の通りに決まったとすら思い込む。
そんなまさか、と思う人もいると思うけど、
僕はそういう人に何度も出会ってきた。


そんなことをツラツラと考えていると
「AとはBのことであると理解すること」と
「この場ではAはAとして話して、
 Bとは呼ばない方が皆が理解しやすいと慮ること」とが
世間ではごっちゃになっているというか、
前者ができれば後者もできると思われてるフシもあるんじゃないかと。


世の中にはコミュニケーションに見えているだけの
ディスコミュニケーションしかないのではないか。
なんて、ときに思う。