8mmフィルムの現像のことなど

昨日の続き。
学生時代の出来事を書くことになるので、いくつか思い出してみる。
(…が、細かいことの多くが曖昧に。もっと前に記憶を残しておけばよかった)
 
・当時、1990年代半ば、8mmのフィルム代と現像代を足して、
 1本3分ちょいが2,000円ぐらいだっただろうか。3日ほどかかったか。
 国立に富士フィルムのシングル8が現像できる店があった。
 カメラは「ZC1000」が部室に3台ぐらいいあったかな。2台は確実にあった。
 先輩たちがヨドバシとかで見つけて中古で買ったのかな。
 フィルムもヨドバシで買ってた。
(そういえば俳優・監督の鈴木卓爾氏がぴあフィルムフェスティヴァルで入賞した作品
「にじ」っていうのが自撮り映画で、ヨドバシでフィルムを万引きする場面があったと思う)
 
・その国立の店でも富士フィルムの現像ができなくなって取り次ぎのみ、
 遠くの現像所に出すので戻ってくるまで1週間以上かかるようになった。
 僕が卒業するころには現像代が上がって、3,000円ぐらいになっていたような…
 いつかその日が来るだろうなと思っていたら、90年代末だったか、
 富士フィルムが国内での現像の受付を終えた(か、学生には手が出せない金額となった)。
 この辺り、はっきりと覚えていない。
 先輩の一人はハワイの現像所に送っていた。
 あれは富士フィルムではなくコダックだったか。
 
・ちなみにフィルムは同録と、
 サイレントで撮影して現像したときにアフレコ用の音声トラックを足すのとがあった。
 前者の方が楽なようでいて、カメラにマイクを挿して撮ると音があんまりよくなかった。
 カメラの回転音が入ったり、ノイズが多い。
 なので技術力のある先輩たちはアフレコしていた。
 映写機にマイクを挿して録音できるんだったか。
 でも、映写機の回転する音も入ってしまうのでそれを防ぎつつ…、
 といういろんなテクニックが当時あったように思う。
 
・主な上映の場は「中野ZERO」といったホールを借りての自主上映会か、学園祭。
 学園祭は教室のひとつを借りて。
 学園祭の実行委員会を通じて暗幕を倉庫から借りて教室の窓という窓を全部覆ってガムテープで固定する。
 ガムテープは撮影所用語なのか「ガバチョ」と呼ばれていた。
 机は事前に調整しておくと実行委員会が運び出してくれていたんだったか。
 それとも僕らがどこかの部屋に運んだのか。教室の後ろの方に積み上げたのか。
 長椅子だけが並んだ状態をつくる。
 部屋のまんなかに机を置いてそこに映写機を置き、黒板のところにはスクリーンを。
 ビデオでの上映の場合は隅の方にビデオデッキ。映写機の代わりにプロジェクター。
 
・学園祭の前は各監督が部室に詰めて徹夜で編集を。
 一部屋に最大で4・5人ぐらいが同時並行ということがあったか。
 とはいえ機材が限られているから、一人がぶっ倒れて寝ている間に
 一人がスプライサーというフィルムをテープでつなげる機材を使ったり、
 つなげたフィルムを映写機で試しに上映してみたりと。
 学園祭当日の朝、部室に用があって行ってみると何人か死んでて
 その周りにはコンビニの弁当箱やペットボトル、丸めたティッシュペーパーが散乱している…