Can というバンド

 
Can のアルバムがまた紙ジャケ、高音質のCDで再発されるという。
再評価という段階はとっくに終わって大御所としてすっかり認知されたか。
 
1960年代末より活動開始。
ドイツ、ケルンの古城を改装したスタジオでセッションを繰り返し膨大な録音を残す。
その一部がアルバムとなり、今も未発表曲集が発掘、発売される。
 
ベースのホルガ―・シューカイ、キーボードのイルミン・シュミットはクラシック
(というかカールハインツ・シュトックハウゼンのもとで現代音楽)の教育を受けていて
ドラムのジャキ・リーベツァイトはジャズを演奏していた。
一世代若いギターのミヒャエル・カロ―リはホルガ―・シューカイから音楽を学んでいた。
そのミヒャエル・カローリがホルガ―・シューカイに
The Velvet Undergroundフランク・ザッパなど当時最先端のロックを教えたのだという。
彼らは元々の音楽的な出自がロックではなかった。
ロック以外の、様々なジャンルを混成させた玄人集団だった。
 
そこに加わるヴォーカリストは素人のヒッピーで
初代のマルコム・ムーニーがアメリカから流れ着いた黒人の彫刻家、
その次のダモ鈴木も日本人だった。
歌のうまい下手は関係なし。
フロントに立つ者が型破りな存在感で引っ張っていく。
バンド自体が強烈な異物となる。
『Monster Movie』『Soundtracks』『Tago Mago』『Ege Bamyasi』『Future Days』
70年代前半までのアルバムはこの世のならぬ奇跡的な磁場を放っていた。
 
僕も『Future Days』は生涯ベスト5にずっと居座っている。
当時の評論家は「空気より軽いアルバム」と称していた。
首謀者:ホルガ―・シューカイの音楽的好みを反映して活動初期から民俗音楽を取り入れ、
「架空の民俗音楽シリーズ」として模倣。
その集大成がこの世界のどこにもない音楽として『Future Days』に結実した。
 
ホルガ―・シューカイはその後期、興味がエディット・サンプリングへと向かい、
その時偶然流れていたラジオ音源を録音に取り入れるようになる。
日本でもCMに使われたソロ曲「Persian Love」もまたひとつの代表曲となった。
聞くと覚えている、という人がいるかもしれない。
 
その後のアルバムも求心力を欠きつつも力作が残された。
後期のアルバムだと僕は『FLow Motion』を推す。
ロック路線を推し進めた『Landed』から民俗音楽路線に戻って、
表題曲「FLow Motion」は虚無すら漂う異形のレゲエとなった。
 
もうひとつ、再結成後の80年代の作品『Rite Time』
マルコム・ムーニーが20年ぶりに合流。
独特の浮遊感は変わらず、むしろほんと向こう側に行っちゃってる感を感じるんだけど
評論家の評価は全然高くないですね。
個人的にはロックに興味を持ち始めてどんどんアングラなロックに傾いていた頃、
ようやくリアルタイムに聴いた Can だったので思い入れが強い。
ガイドブックにて『Monster Movie』がすごい、
Sex Postols / Public Image LTD.ジョン・ライドンが愛聴していたと読んでも
青森の片田舎では聴くことは叶わず、想像するだけだった。
 
この『Rite Time』が先だったと思うけど、
当時の日本盤の発売元だったアルファレコードが
Throbbing GristleCabaret Voltaire などいろんなアーティストのボックスセットを出してて、
Can も昔のアルバムを3枚ずつに分けたボックスセットで再発された。
当時高校生だった僕はその全てを買うことはできず、
『Future Days』『Soon Over Babaluma』『Unlimited Edition』のBOX3を唯一買うことができた。
しかしその衝撃たるや……
高3の夏、上京する機会のあったときに初めて渋谷の HMV を訪れて輸入盤の『Monster Movie』を買った。
半年後進学のため上京すると当時はHMV / Virgin / タワレコ / RECOfan / DiskUnion と輸入盤全盛時代、
新星堂も輸入盤に力を入れていた。
Can の代表的なアルバムはすぐ買い揃えたなあ。
 
僕が10代、20代の頃はまだ知る人ぞ知るだった。
今もまだそうなんだろうけど、日本盤も途切れず出てるみたいだしそこまで敷居は高くない。
映画化された『ノルウェイの森』のサントラを担当した
Radioheadジョニー・グリーンウィンウッドも Can の楽曲を3曲選んでいた。
あれは意外な、Can への光の当て方だった。