親子丼をつくる日

あ、今日親子丼をつくったらおいしくできそうだ。
そんなインスピレーションに素直に従ってつくったときは間違いなくおいしくできる。
竹輪を薄く切って入れたらいいんじゃないかと思いついたらそれがうまくいったり、
いつも通りつくっても塩加減がちょうどいい。
 
食べたいときにつくる、ではなく、つくりたいときにつくる。
特にそういうことなく、今日何をつくるか悩んだときにつくったものは
ちょっとしたさじ加減でうっかり味付けが濃くなったりしてしまう。
不思議なもので。
 
自分の中からスッと出てきたものをそのまま形にしていく。
そんなとき、今自分のしていることはどこに向かっているのか
無意識のうちにはっきりとしているのだろう。流れというか。
そこに従っていれば無駄がなくなっていく。
 
それがないと逆に、無意識のうちに迷いが出てしまう。
実際、余計なことを考えてしまう。
全然比べられるレベルではないけど
スポーツ選手のゾーンに入るというのもこういうことなのかと思う。
 
そういうインスピレーションを要しなくても
長年毎日繰り返していくうちに同じように無駄がなくなっていくというのもあるだろう。
考えなくても手が動くというよりも、流れに入りやすくなるというか。
主婦が家事を行うというとき、そんな余裕はないという事情からも生まれるのかもしれない。
 
これは何も考えずにやるのではなく、考えつつ手を動かすうちに身につくのだと思う。
考えるということと手を動かすということがぶつかり合うのではなく、ひとつに溶け合う。
そのうちに手が考えるようになる。頭が動くようになる。
そういうことなんじゃないか。