戻れない生活

会議がリモートだけとなり、
これまではノートPCで ZOOM や teams の会議につないで
顧客から支給されたヘッドセットで聞いたり話していたりしたのが、
今日は諸事情で会社支給の iPhone から入ってみた。
そのままだと音声を聞くのに不便だなと直前に気づく。
私物の AirPodsbluetooth で接続設定するのがめんどくさく、
支給された箱にそのままになっていたイヤホンを取り出して使ってみた。
 
何年ぶりだろう。
コードのない AirPods に慣れてしまうと
いや、ほんとコードがあるイヤホンに戻れないなと実感する。
(伸びたコードをみみたが引っ張って邪魔もしてくるし)
(というか、iPhoneを買い替えた時、
 イヤホン不要にしたら数百円でもいいから安くしてほしい)
 
薄型テレビに慣れてしまうと、ブラウン管のテレビに戻れない。
薄くて軽いダウンジャケットを着てしまうと
分厚くて重いコートはどんなにかっこよくても煩わしい。
 
コンビニの弁当もどんどん味やコスパやパッケージが改良されて
これが後戻りすることはないだろう。
 
便利な生活から不便な生活に戻る、
都会から電気の通わない山奥で自然に囲まれた生活に切り替える
というのとはちょっと違う。
生活を切り替えるに伴う価値観の切り替え、みたいなところまではいかない。
 
昨今はCDの売上よりもアナログレコードの売上の方が上回っているようだけど
CDからレコードへ戻るというのも、価値観の変化なのだと思う。
 
ちょっとした快適さというものは手放せない。
そして今、そういうものばかりに取り囲まれた生活。
そのためになされた努力の途方もなさのことを時々ふと思う。
名もなき人たちの苦労の積み重ねで、掃除機はコードレスになった。
ティッシュペーパーが破れにくくなった。
 
遠方でも雑誌が発売日に手に入るようとか、
宅配便がその日のうちに再配達に来てくれるとか。
 
明日はそういった積み重ねを感謝する日。
……と書いた今、ようやく気付いた。
それって11月23日であって、2月11日ではない。
似てるが違う。
明日は建国記念日か。
それはそれで誰か感謝を捧げよう。