公園というもの

昨日、練馬区内を・3時間ほど散歩。
住宅地の間に小さな公園がいくつもあった。
細かな砂利を敷いてわずかばかりの遊具とベンチがあるだけの。
そこで子供たちが遊ぶこともなく、お年寄りがゆっくりしていることもなく。
ポツンとして寒々しい雰囲気のところが多かった。
冬の寒い日だから、というのもあるんだろうけど。
 
一定の面積に対して一定の数の公園を造らないといけない。
そんな法律か条例があるのだと思う。
ただそのためだけに空き地を間に合わせの公園とした。
そういうところもあるのだろう。
 
昨日通りがかったとき、妙に引っかかる小さな公園があった。
三方を建物で囲まれてなんだか入りにくい。
周りの建物がそう感じさせるのか。間取りの問題なのか。
はたまた風水的に差しさわりがあるのか。
薄暗く、子供たちの遊んでいるイメージがわかない。
隅の方も真ん中も、重たい空気が吹きだまっている。
夕方、いつも暗い顔をしてベンチに座っている青年がいたら
自殺は思いとどまった方がいい、と声をかけるべきか迷うような。
 
三方囲まれているというのが圧迫感あるんだろうな。
家の近くの人がよく集まる公園、
子供たちが大勢来て遊んでいる公園や
お年寄りがいつもベンチで話している公園を思い浮かべると
開放的で、逆に建物に接しているのは一面だけだったりする。
そして緑がある。芝生だったり花壇だったり。
それを世話する人がいる。
そうか、昨日見かけた公園のいくつかは
人工的で生命感がなかったんだな。
 
そういえば、東京って空き地を見ないなと気づく。
何かしらの建物が建っているか、公園になっているか。
空き家はあっても空き地はほとんど見かけない。
あったところで個人の所有地だから入るわけにはいかなかったり、
廃材が剥き出しで置いてあって危険だったりで。
それぐらいならまだ殺風景でも公園の方がいいのか。
区や市が管理する形で。
なんかモヤモヤと都市ならではの問題がそこにあるのを感じる。