アラフィフ、49歳。
40代最後の歳を過ごしている。
とっくの昔にどこかで折り返し地点を迎えた。
直接的に「死」を意識するわけではないが、
この1年ほど、
「ここに来るのはこれが最後となるかもな」
とふと思うことが多くなった。
昔からよく訪れていた町や店を久しぶりに訪問したとき、特にそう思う。
次はいつになるだろう、次は案外ないのかもな……
それもあって、新しい店を開拓するよりも
昔馴染みの店を選びたくなってしまう。
年を取って保守的になるというのは、そういう理由もあるのだろう。
飲食店選びで失敗している余裕もなくなってきた、というのもあるか。
自由が丘に週1度か2度通うようになって、
昼を食べる店を開拓するのは楽しい。
しかし、もう一度行きたい、他のメニューを食べたい、
通いたいという店がなかなかなく、
ここはうまいなあと思う店があった時、どちらを選ぶか。
「ここに来るのはこれが最後となるかもな」
と同様に、
「これらの積読の本、読まないままとなるかもな」
「台湾(白川郷でもどこでもいいが)、行ってみたかったけど行かないままになるかもな」
という諦めもどこか出てきた。
これだけ時間があったのに、これからもあるのに、
できること・できたことはほんのわずかなんだな。
金と健康と時間の制約に、知らず知らずのうちに絡めとられている。
いや、もちろん知っている。意識している。
なのに手が出せずにいる。
それができる人が、人生の勝ち組になるのだろう。