熊本へ その3(人吉へ)

昨晩は NHK を見ていたか。
食で平成を振り返る。
吉野家牛めしの復活、魚が売れない、未来食堂。
引き続き、「ゆく時代、くる時代」
爆笑問題が司会。
渋谷の駅前や大坂に復活したジュリアナ東京
午前0時を超えて令和になる。
テレビを消して寝る。川の音が聞こえる。
 
6時に目が覚める。皆起き上がる。風呂に行く。
雨は降ってないが、曇りのまま。
7時過ぎに朝食。バイキング。
スクランブルエッグ、ソーセージ、ベーコン・案の定食べすぎてしまう…
味噌も米も地元のもので、昆布ときくらげの佃煮といった
ちょっとしたものが気が利いていた。
最後もう一度風呂に入って、10時に宿を出る。
テレビでは天皇陛下の生い立ちや今日の儀式について。
 
雨がまた降りだす。
人吉城址を通り過ぎ、山の中へ。くま川鉄道終点の湯前へと向かう。
郊外の寂れた大型スーパーとホームセンターがあるだけの田舎町が続く。
途中、「おかどめ幸福駅」に立ち寄る。
幸福と書かれた切符を買おうと全国から鉄道ファンが集まる駅。
カフェや土産物屋もあるきれいな駅だった。
 
そのすぐ先、「松の泉酒造」を見つけて入る。
ウッチャンナンチャンウッチャンが生まれ育って、今も毎年必ず一度は帰ってくるという。
写真やその毎年のサイン色紙が飾られている。
ウッチャンを描いたボトルもあった。
妻が何本か小さなボトルを買った。
古酒をいくつか試飲する。「古蔵」や「水鏡無私」がおいしい。
 
多良木駅の道の駅にも寄っていく。
豚足が最近人気だという。
ジビエコーナーには鹿の竜田揚げや天ぷら。
古い蔵を活かしたイベント広場があった。
 
終点、湯前駅に着く。
駅の裏に「湯前まんが美術館」があるというので行ってみる。
那須良輔という漫画家がここの生まれで、町がその業績を讃えて建てたもの。
建物が3つに分かれ、それぞれの屋根が人吉地方の郷土玩具きじ馬の形をしている。
毎日新聞で政治風刺の漫画を描いていたというので、小さい頃僕も目にしていただろう。
なんだか懐かしい。
今は特別展として、那須良輔が生き物を描いた作品を集めて展示していた。
猫、蟹、蛙、鯰、鰻…
田舎の風景を一筆で描いた素朴な絵もある一方で、
現代的アートの手法を用いてどす黒い世相を描いたものもある。
市井の文化人は蛙を好んで取り上げるな、と思った。
美術館が製作した図録が1,500円と安く、一部買う。
義父も買おうとしたら僕のが最後の一冊だった。
館内には熊本ゆかりの漫画家やここを訪れた漫画家の描いた大きな額が飾られていた。
ここは以前、「ゲゲゲの鬼太郎」や「ONE PIECE」に関する展示を行っていたようだ。
 
駅前を出て少し進むと、苺の無人販売が。新鮮な1パック100円と安い。
その近くのレストラン「徳丸」というところがおしゃれな感じで、
広い駐車場も最後の空きがひとつあるだけ。
これはいい店かもと入ってみる。
ちゃんぽんが名物とあって皆頼んでいる。
僕も小チャンポンと小ヒレカツ丼のセットにした。
小でも十分大きい。
ほたて、いか、えび、あさりと海鮮もたっぷり入って、スープも上品でクリーミー
お土産に買ったカレーパンも注文を受けてから揚げる。こちらもしっとりと上品だった。
 
人吉まで引き返し、九州自動車道に乗って熊本市に帰る。
助手席に乗っていたが、疲れて何度もウトウトする。
お義父さんに一人運転させて皆寝てしまう。
帰り道もところどころ雨。
家に着いた頃ようやく、雨が止む。
夕方、お土産を渡すためにおばあちゃんの家など数件を回る。
帰り、祝日も営業の大きな郵便局に寄って東京に送る荷物を出す。
健軍神社の近く、工務店だったか、玄関に犬用の自動ドアのボタンを設置している。
ちょうど犬が散歩から帰ってくるところで、前脚をちょいと当てて中に入っていくところが見れた。

熊本へ その2(人吉へ)

午前0時前に寝て、何度も夢を見る。
関係のよくない人から言いがかりをつけられて、
こちらにも非があるというような。
そんな悪夢をひとつ見ては目を覚まして、また次の登場人物、背景でイチから繰り返す。
それを3つか4つか。
起きたのは9時前。雨が依然として降っている。
退位の日、朝からワイドショーでは皇室関係を。平成天皇と共に歩んだ30年。
先輩から LINE が届いて、映画サークルの後輩が病気で亡くなったことを知る。
朝は豆ごはんのおにぎり、玉子焼き。
 
この日は親子4人で人吉の温泉宿へ。
予約するときは特に考えずにいたけど期せずして
平成最後の日、令和最初の日を温泉宿でまたぐことになった。
10時に出発。南へ。
山の中をひた走る。緑が深い。
朝から雨。一日中雨。雲がすぐ目の前に下りている。
テレビをつけると平成を振り返る番組。
しかしトンネルをいくつも通るため、電波が入らず。
この日一番長かった肥後トンネルは6,340mで九州で一番の長さ、とのこと。
 
人吉インターチェンジで下りて、市街地に入る。
有名な鰻屋「上村」で食べようということになっていて、雨の中行ってみると
脇の駐車場がものすごい行列。
最後尾に加わってしばらく待つ。
入れ替わり立ち替わり交代して周りを歩いてみる。
初めては僕だけ。スナック街にあって、僕が小さい頃に育った青森市の本町に雰囲気が似ていた。
川に出る。球磨川。昨日の日田もそうだけど、大きな川に包まれた町はいい。
飲み屋の看板の多くに「繊月」のロゴが。人吉を代表する大手が「繊月」か。
 
1時間ちょい待ってようやく中へ。
座敷の小部屋になる。真ん中に囲炉裏がある。
うな重にする。席に着いてから焼くため、時間がかかる。それがいい。
創業110年余り。これまでにも多くの著名人が訪れている。
森繫久彌の額が鰻の煙で煮しまって飾られていた。
隣で鰻を焼いていて、ガラス窓で中が覗ける。
おばさんたちが大勢出入りする。
くまモンのイラスト共に「しーーーーっ」
「静かにしましょう、おきゃくさんからうるさいとクレームがありました」と壁に貼ってあった。
うな重が運ばれてくる。
身が厚く、歯ごたえがある。しかし、柔らかい。ああ、鰻って本来こういう味なのだな。
東京の鰻はもっと薄くて、そう、密度が薄い。上村の鰻はみっしりしていた。
これで2,900円は安すぎる。東京なら5,000円超えるな…
 
雨は止まず。
いったん駐車場に停めた車を取りに行って、宿に停める。すぐ近くにあった。
チェックインの時間はまだだったため、車だけ預ける。
町歩きへ。人吉駅方面に行くつもりが、方向を間違って遠ざかる。
そのおかげか、大正10年に設立された「大和球団」の石碑を見つけた。
「道具といえば捕手だけが擬革製のキャッチミットで、その他はほとんどが布製のグローブであった」
と書かれていた。そういえば人吉は巨人V9を達成した野球の神様、川上哲治の故郷。
 
鍛冶屋町の通りに入る。昨日の日田豆田町もそうだったけど、ここにも味噌醤油の蔵が。
世界一小さい美術館と称する、古い石倉を改装した町の文化・歴史を伝える展示室があった。
ステンドグラスやウンスンカルタ、臼太鼓踊りなど。
 
「上村」の通りにある「渕田酒造場」で試飲。
蔵を見せてもらう。紫芋の焼酎の仕込みが先週終ったばかりで、米焼酎の仕込みを始めたばかりだという。
ちょうど社長の方が大きな樽をかき混ぜていたところだった。
蒸した米を入れた樽に酵母を入れる。
1個の麹の菌が1昼夜でなんと2億個にまで分裂する。
その麹が米を食べて活発に生命活動を行う。
樽を見るとあちこちでプツプツと泡が生まれている。
この段階では麹が日本酒用、焼酎用と異なるが、できたものは清酒と同じであるとのこと。
ここに水と酵母を加えて、樽の中で15日間寝かせて、ときどきかき混ぜて、もろみができあがると蒸留する。
日本酒用の酵母は暑さに弱いため、鹿児島に近いこの地では作ってもうまくいかない。
なんで蒸留するのかというと発酵するときに生まれる酢の成分を取り除くためだったかな。
いろいろお話を伺えて、初めて知ることばかりだった。
夜飲もうとくまモンの描かれた小さい瓶をひとつ買った。
お義父さんにも一升瓶を買ってもらった。
 
これらを一度ホテルの駐車場まで持っていって、車の中へ。
また市街地を歩く。
人吉駅前に出ると黒い煙がモクモクと。SLが停車してるんじゃないか。
 
青井阿蘇神社脇の土産物屋に入る。
球磨焼酎のあれこれが売られている。
武者返し、六調子、豊永蔵…
「人吉」の3年物もの、5年もの、15年ものを試飲する。
裏側から神社に入ってお参り。
正門から出て写真を撮ろうとしたら、お寺の方が近づいてきて、
ここでこの角度で撮ると鳥居と門がきれいに収まっていいですよと。
続けていろいろと教えてくれた。
川を渡って向こうの永国寺に西郷隆盛の位牌があり、幽霊の掛け軸で有名。
林鹿寺には勝海舟の書があり、西南戦争のときの刀や鉄砲が飾られていると。
 
せっかくなので永国寺まで行ってみた。
建て替えたのか、とてもきれいなお寺だった。
幽霊となった女性を描いた掛け軸を見る。
先ほどの方のお話ではこれはレプリカで、本物が見れるのは年に一度あるかどうか。
奥の方にその幽霊の現れたという池が。雨に濡れた美しい庭だった。
西郷隆盛の書もあった。
 
繊月酒造がこの近く。蔵見学をする。
作り方そのものは先ほど見た渕田酒造場と同じだけど、こちらの方が規模が大きい。
発酵・貯蔵のための大きなタンクが並んでいる。
ここの試飲室は以前テレビで見たけど、広くてきれい。
テーブルに試飲用の瓶が並んでいて、蔵限定の古酒だろうといくらでも飲めて太っ腹。
10年以上樽で熟成させた「無言」がウィスキーのようにおいしく、
6本買うか1万円以上で送料無料とあってけっこう買ってしまった。
「川辺」の一升瓶も2,400円ぐらいだったかな。安かったのでこちらも1本。
 
宿に戻ってチェックイン。
川沿いにあって川の流れる音が聞こえる。
退位の儀式が行われるころだった。
僕は向かいのスーパーに酒を買いに行った。戻ってきて温泉に入りに行く。
洗い場が畳となっているのは熊本だからか。
いや、義父や妻に聞いても他に聞いたことがないという。
でも清潔感があるし、タイルのように滑ることがない。
200年近く前が創業で、天皇陛下与謝野晶子美空ひばりもここに泊まったことがある。
藤島部屋と懇意で、武蔵丸が泊ったこともある。稀勢の里の手形もエレベーターの前に貼られていた。
風呂から出て、皇室の番組を。退位の儀式の録画を見た。
広間に夕食を食べに行く。
鮎の塩焼きなど。鶏つくね鍋や鶏の陶板焼きなどどれもおいしかった。
 
部屋に戻ってきて、皇室の番組の続き。
皆腹いっぱいで疲れている。
20時過ぎだというのに布団に入ってぐったり。
僕はもう一度風呂に入りに行って、缶チューハイを飲む。

熊本へ その1

ゴールデンウィークは恒例の熊本へ。
今回は飛行機で、羽田発 08:10 と早い。
7時までに着くとなると家を出るのは5時半頃。
起きるのは4時半か。
 
22時には寝るかな、と最初は思っていたが…
夕方、『キャッツ』を見終わった後で
ドコモショップで妻の iPhone を交換しようとしたところ
結局3時間かかって思いがけない時間のロス。
家に帰ってきてバックアップから復元しようとするが、案の定うまくいかず。
iTunes が古すぎて iPhone を認識できず。
iOS が古くて、iPhone のバックアップから復元できず。
iPhone のバックアップにかけていたパスワードが思い出せず、探し回る。
・復元できたが、なぜかドコモのメールが復元されず。
 メールアカウントとパスワードを入れるだけ、と思いきや
 妻はいつもドコモショップで移行してもらっていたのでパスワードがわからず。
 MyDocomo から辿っていく。
などなどで気が付いたら午前1時…
 
4時起きがさすがに無理で、30分後に再度目覚ましを。
みみたは今日からペットシッターに来てもらう。
その間だせないからと、朝、この時間から猫缶を。
そういうときみみたは勘づいてしまうもので、プイと嫌って食べない。
いつもの朝のタイマーセットのカリカリで給餌器から出てきたのを夢中になってるときに家を出る。
「みみた元気でなあ」と声をかけても見向きもしない。
 
5時半過ぎに家を出て、大門でモノレールに乗り換えて7時過ぎに羽田に着く。
JAL の南ウイング。
最寄りの保安検査場に向かうが、どこが行列の最後からわからないぐらい混雑している。
ゴールデンウィークの賑わいがまだ続いている。
北ウイングの比較的すいている保安検査場に移動した。
 
飛行機では『ピーター・バラカンのわが青春のサウンドトラック』を読んだり、
うたた寝をして過ごす。時間通りに到着する。
義父母が迎えに来てくれていて、家には向かわずにそのまま菊池方面へ。
一度訪れたことのある親類のカラオケスナックに顔を出した後で、道の駅。
杵つき餅の饅頭と巻きずしを買って車の中で食べる。
モチモチで久しぶりにおいしいお餅を食べた。
いつも買っているという山奥の農家で玄米を二袋受け取る。
 
そのままドライブで大分県の日田市に行こうということになる。
山奥の中をウネウネと進んでいく。
オートポリス」という看板があって、
「自動警察」?「無人警察」? と思ったが、レースのサーキットだった。
そこに向かうのか、レトロな昭和の時代の車が群れを成して通り過ぎて行った。
蜂の巣湖と松原ダム。わさびが名物の村があり、梅が名物の村があり。
「木の花ガルテン」という道の駅っぽい施設でトイレ休憩。
梅干しが特産だという。
野菜の直売所、工芸品の店、カフェ、
梅干しを貯蔵していた蔵が小さなコンサートホールとなっている。
ビュッフェの建物は大人気で何組も入店待ちとなっている。
昼をここで食べようとしたが、諦める。
この頃から雨が強くなってくる。
 
中津江村を通り過ぎる。
2年前か3年前、鯛生金山を訪れたことがる。
日田市の市街地へ。
最近、日田焼きそばの店「想夫恋」の熊本店ができたという話が出て、
日田焼きそばを食べようということに。
調べてみると「みくま飯店」がよさそうで、車を駐車場に停めて行ってみる。
既に先に7・8組が待ち。名前を書いて待つ。
食べるメニューも事前に書いておくことで回転をよくする。
といってもほとんど人が焼きそばか、焼きそばの大か、焼きそばとごはんのランチセットか。
雨の軒先で30分ほど待つ。その間、妻と近くを歩いてみる。
三隈川の橋を途中まで渡る。対岸には屋形船が並んでいた。
和菓子の店の脇に温泉水が湧いている台があった。
手をひたしてみるとぬるかった。
名前を呼ばれて「みくま飯店」へ。
すぐにも運ばれてくる。小ぶりの餃子が食べやすい。
焼きそばはもやしとネギがたっぷり。麺がモチモチで、揚げた麺も混ざっていて面白い食感。
これはおいしいなあ! なんで日田焼きそば富士宮や横手のような全国区じゃないのか。
 
また少し車で走って、豆田町のレトロな街並みを歩く。
町おこしを始めた頃は味噌醤油の蔵があるだけだったという。
草野本家という旧家がひな段飾りを九州で広めた最初のところだと。
それが今改修中。
漆器の店、下駄の店、小鹿田焼の店、古道具の店などそぞろ歩く。
酒屋が多く、豚足の店というのもあった。
肉屋の軒先で唐揚を売っていて、1カップに4個入って150円。
これもまたおいしかった。
 
「咸宜園」跡があると知って、見に行く。
ちょっと縁があって、大分を訪れるときがあったらいつか訪れてみたいと思っていた。
江戸時代後期に広瀬淡窓が開いた私塾。高野長英大村益次郎らが学んだ。
今はその敷地といくつかの庵などが残るのみ。
 
その近くにあった「琴音庵」というカフェで一休み。
「ケーキやパフェを思わせる、ワンランク上の「創作ドルチェこおり」」で
かき氷界ではかなり名を知られた店であるという。
人気No.1だという、「サザン・フロマージュ」にする。
「キャラメル&ナッツと3種類のチーズを使ったかきこおりに
 オリーブ油・岩塩・黒胡椒をお好みでかけて召し上がりください」とある。
ふわふわのかき氷はこれまでも食べたことあったけど、確かにパフェのように滑らか。
しまもオリーブ油・岩塩・黒胡椒をかけておいしいかき氷なんて!?
これまで自分が常識だと思っていたものを数年ぶりに打ち砕かれた。
 
雨は止まず、土砂降り。
帰りの車の中は思わず寝て過ごす。
菊池市まで戻ってきて道の駅でトイレ休憩。
足湯があった。一日遊び疲れて、とても体に滲みた。
 
帰ってきて、玄米をコイン精米へ。初めて利用した。
なるほど。使い方が分かったということで義父は次、玄米で送ると。
NHK では紅白歌合戦の総集編を。その前篇。
晩御飯は焼肉。酒場放浪記を見て、総集編の後編。
見終わって寝る予定。

大井町でキャッツ

妻が友人から『キャッツ』のチケットを譲り受けたので
大井町劇団四季のシアターに見に行ってきた。
『ライオンキング』や『マンマ・ミーア』は
今から十数年前、竹芝にオフィスがあった頃、会社の懇親会的イベントの一環で
近くにできたシアターに見に行ったことがあったけど、『キャッツ』はなかった。
当時東京で上演していなかったか、『キャッツ』は別格で取れなかったか。
高校時代の演劇部の先輩が札幌か東京にわざわざ見に行って、
やはりすごかったと語っていたという話をまたぎきした。
この国の演劇界の頂点というイメージがずっと僕の中であった。
 
1年にわたるロングランを成功させることで
日本で初めて公演だけで劇団員が食っていけるようになったとか、
そのロングランのために貸してくれる大きな劇場がなかったので
当時国鉄がたくさんもっていた広大な空き地を借りてシアターを建てたとか、
チケットぴあの販売システムを国内で初めて利用してチケットを売ったとか。
そんな数々の伝説もある。
プログラム冒頭の浅利慶太の言葉にもあったけど、
キャッツは日本の演劇を変えてしまった。
 
シアターの中に入る。
ゴミ捨て場ということで雑多なものが投げ捨てられているという設定。
楕円形の観客席が舞台を取り囲むが、
その上には猫から見たサイズで描かれたオブジェ/ガジェットの数々が。
これを見ているだけでも楽しい。休憩時間にはその舞台の上を見学することもできた。
FRISK」ならぬ「PRISK」と書かれた大きな白いプラスチックの箱。
「SANY」と書かれたビデオデッキ。観客席後方には巨人用のプレステのコントローラ。
遊び心いっぱいで舞台芸術家冥利に尽きるだろうな。
 
肝心の内容はというと…
24匹の猫皆が主人公でメインのキャラクターが不在、それぞれ一匹ずつ紹介していく。
というのが大半を占めるためストーリーらしいストーリーがなく、前半のほとんどを寝てしまった…
後半はちゃんと見てて、ようやくストーリーらしいものが芽生えてくる。
もしかしてこれは面白くなるんじゃないかと思い始めた頃に終わってしまった。
それでも力づくの演出で持って行ってしまう…
これは2回3回と見ないと面白さが分からないな。
配役の違いで楽しむとか。
これは30年前の初演や20年前という手探りで全国公演を広めていった試行錯誤の時期の方が
生命力があって見ごたえがあったのではないか。
浅利慶太亡き今、今ある姿は拡大再生産なのかもしれない。
同じ問題をモーリス・ベジャールピナ・バウシュ亡き後の舞踏団が抱えているわけで。
 
見終わって、妻が iPhone を機種変更したいと。
目の前にちょうどドコモショップが。
待ち時間によってはここで変えてもいいかと。
待ち時間確認しますと言われて待ってたら若いのが出てきて機種を決めて料金プランを決めたら
そこからさらに2時間待ち。
お年寄りだとか、おばさんとか、
よくわからないので説明してほしいという人たちが長いこと話し込んでいる。
ああ、これは終わらないな…
しかもドコモ側も説明事項の冊子を全部読んで同意しなければいけなくなったとかで。
16時過ぎにドコモショップに入ったはずが、終わったのが19時。
ぐったり疲れ切る。
これならヨドバシに行けばよかった…
 
気を取り直して、前から気になっていた横丁の洋食屋「ブルドック」へ。
メンチカツカレーとハンバーグ。
ハンバーグは3つ縦に積み重ねているという。
マスターが面白い人でマジックを披露したり、あれこれと蘊蓄を。
バカの3要素とは「大食い・大声・蓄膿症」
これから儲かる職業とは「宗教・教育・健康 つまり、値段のつかないもの」
「これを女性に言われたら一発で男がコロッと言われる言葉があって、
 私それを言われたんですよね。それが、三越いったときに、「ねえ下着買って」」
「親の買ったギターで上手くなるわけがない」などなど。
隣の席に座った若者たち相手にまるで漫談かのように。
ドコモショップでの怒りが消し飛ぶぐらい愉快な時間だった。

04/22-04/27

04/22(月)
 
体を休めようと午前休。
7時半起き。久しぶりに公園をジョギング。3周。
10時、家を出る。
11時、数年ぶりに蒙古タンメン中本へ。西新宿の店は初めて。
五目蒙古タンメンに野菜とゆで卵を追加。
 
食べ終わって特に行きたいところもなく、飯田橋まで歩いていく。
最高気温24℃でおさんぽ日和。
途中、新宿御苑前あたりのクリエに入ってアイスコーヒーを飲む。
池波正太郎『食卓の情景』の続きを読む。
また歩き出す。靖国通り東京マラソンで走ったな。
四ツ谷の辺りに大きな建物。
Google Maps を見て、そうか、防衛省か。
…ということは、三島由紀夫が自決した市ヶ谷の、ってここ?
ようやくつながる。
市ヶ谷駅前から靖国神社を通って出社した。
新緑の季節、どころか既に初夏。Tシャツ1枚でちょうどいい。
 
夕方、金曜に提出した見積の説明。
自分がメインスピーカーではないが、それまで落ち着かない。
終わってまた疲れ切る。
定時過ぎに帰る。
妻をねぎらおうとショートケーキを買って帰るが、
食器の洗い方が雑だとか猫を外に出したとかあれこれ言われる。
 
夜は蕎麦を茹でてざる蕎麦。レタスとトマトのサラダ。
ライフの鳥皮唐揚げ。
21時から酒場放浪記。先週の22時はたまたまか。
お風呂を沸かして入る。
24時に寝る。
 
---
04/23(火)
 
見積後のベンダー選定待ちでまた落ち着かない。
昼、弁当。鯖、ほうれん草入りの卵焼き。
妻からLINEで、みみたの猫缶の皿に蟻が群がっているという。
ペット可となると「アリガード」がいいらしい。
天然成分のみで殺虫剤が入っていない。
ネットで検索するとシナモンも嫌がるとあったが、猫にもまた危険。
 
定時少し前に隙をついてオフィスを出る。
帰ってきて、「アリガード」を探す。イオンにも LIVIN にもなし。
帰り道を変えて、CREATE にもダメもとの OKストアにもなし。
家に帰って、自転車に乗って島忠へ。やはりなし。
殺虫剤しかない。せっかくだからアリの巣コロリと、
みみたにカリカリや猫缶を買って帰る。
アリの巣コロリ使い初めにシートを引っ張るとあって、
玄関でやってみたら思いっきり中の粉の薬剤がこぼれて…
そんなときにみみたが見ている。
舐めたら危険と慌てて掃除機をもってきてかける。
室内に置いたらみみたがひっくり返しそうで、家の外に置く。
帰ってきた妻がそれを見て、家の外なんて無限に蟻がいるのに…と。
今日は仕事で相当腹の立つことがあったようだ。
 
それでも帰りに池袋西部に寄って安くなった中華総菜を買ってきてくれる。
温めて食べ。缶ビールを飲む。「雪の茅舎」という秋田の酒も。さっそく飲んでみた。
ほどがよく、食事に合う酒だった。おいしい。
柏餅も買ってきたというので食べた。
弁当の用意。なつぞらを見て寝る。午前0時前。
三億円事件のドキュメンタリー。見たいが、寝る。
 
最近会社に尊敬できる人がいない、と話すと妻が
「何言ってんのよ! あなたがそうらなきゃ行けない歳でしょ!」と。
ハッとした。
 
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04/24(水)
 
朝、家を出てから雨が降りだす。
強くなってきて折り畳みの傘を出したらやんだ。
このところ空き時間に進めていた咳の周りの荷物の片づけ、
毎日せっせと持ち帰り、廃棄するものは廃棄してだいぶ片付いた。すっきりした。
新入社員時にもらった資料とか、社章の類は取っておくべきか。否か。
この日も見積後のベンダー選定待ち。
見積内容に関する問い合わせが来て、内部で調整して答える。
今晩には決まるかとやはり落ち着かない。
昼、弁当。昨晩焼いた豚肉の西京焼き。玉子焼き。
 
今週末、お客さんのところでは全社的な席替え。
夜、状況を聞くがベンダーは決まらず。
ゴールデンウィーク明けに持ち越す。
19時にオフィスを出る。
今日は先に妻が帰っている。
妻が昨晩買ったレーズンパンとクロワッサンがメイン。
ツナとコーン、レタスとトマトのサラダ。
武田ハムで買ったハム、LIVINで買ったチーズをレーズンパンにはさんで食べる。
風呂を沸かして入る。水曜どうでしょうを見る。
2000年、安田顕が拉致されて初めての海外旅行。
23時半過ぎに寝る。
 
小出監督亡くなる。
高橋尚子金メダルの直後、はしゃぎすぎて信仰している宗教の話をした直後、
中継をブチッと切られたのが忘れられない。
 
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04/25(木)
 
今日を乗り切れば…、と思うがぐったり疲れ切っている。
金曜休んで、7日も午前休にしようかと。11.5連休。
しかし確認しなければいけないものが残って明日も出社。午前休とする。
その分夕方1時間早くオフィスを出た。
 
午前中、下期の振り返りと上期の目標の面談。
最低の評価を覚悟していたが、案外そうでもなかった。
前回と同じぐらいのボーナスは最低限もらえそうか。ほっとする。
 
帰ってきてやけに腹が減っていて、日清の蕎麦。
ポストを新しくする件、以前取り寄せたカタログを見返して候補を絞る。
一本足のタイプの方が花壇を浸食しなくていいだろう、
取り出し口は正面から見て左側にあるといいだろう、
など考えて選んだが、帰ってきて妻が一目見て一言「これだとインターホンが押せない」
妻に対しても、自分に対してもイラっと来る。
 
夜は正月に母からもらった冷凍のロールキャベツ。
スープも添えられていたので一緒に煮る。
妻がフランスパンを買ってきたのでガーリックトーストにする。
なんとはなしにケンミンショーを見る。ウエストのうどんが食べてみたくなる。
長野県の人が寿司と言えばサラダ軍艦なのだそうだ。
なつぞらを見て、午前0時前に寝る。
 
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04/26(金)
 
午前休。7時起きで床屋へ。朝から小雨。
終わって、荻窪ブックオフを眺めた後で新宿へ。
西口ヨドバシの裏の「豚珍館」でとんかつ。
900円は安すぎ。なのに分厚くて肉が柔らかい。
11時のオープン直後に入ってすぐ満席。
食べ終わる頃には階段に行列。
しかし大将がなにかというと店員を怒鳴るので自然と私語厳禁でとても静か。
揚げるのが遅いとか、空のお椀を下げるときに落としたとかそういうの。
 
タワレコで取り置きのCDを買う。
DiskUnionで100円になっていたエンヤの国内盤と、
ポール・ウェラーのB面集3枚組を買う。
このところ、ポール。・ウェラーが気になっている。
午後出社。
問い合わせに答えるが、それ以外することがない。
フロアの引っ越しのため段ボールを詰める。
昨日に引き続き、16時にはオフィスを出る。
これでようやくゴールデンウィーク
 
チコちゃん、新日本風土記は伊賀、猫歩きはカナダ。
妻が帰ってきて夕食。サラダ、武田ハムのハーブソーセージ、
昨日の残りのフランスパンにツナ、玉ねぎ、チーズをのせて焼く。
おんな酒場放浪記を見て、ブラタモリは寝落ち。
金曜日のどっちで起こされて、見終わって寝る。
 
大型連休を前に、ATMが長蛇の列。
 
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04/27(土)
 
8時起き。隣の家の方とゴミ捨て場をどうするか話し合う。
少し離れたところに加えてもらうよりも、
自分たち2軒で出した方がいいだろうという結論になる。
口利きをしてくれたもう1軒隣の家の方にもお礼のあいさつを。
ジョギング。小雨のため2周だけ。
昨日に引き続きこの日もかなり寒い。
ポストをどうするか、妻と各社カタログを見る。
今立っているポールを活かした方がいいんじゃないかとなる。
上物だけ入れ替える。うまくいくか。
 
妻は外出。駅まで一緒に行って別れる。
妻の借りていた本を図書館に返しに行く。
そのまま散歩。なんとはなしに成増から下赤塚へ。
ブックオフをちょっと覗く。
帰り道、雨が降りだして傘を差して帰る。
公園の中を通っていく。BBQ広場が雨の中、2/3ぐらい埋まっている。
ゴールデンウィーク初日、行楽地はあちこち混んでいるとニュースでやってた。
 
帰ってきて、小腹が空いてセブンイレブンでカレーパンを買うつもりが、
フィッシュバーガー目に留まってそちらへ。
食べ終わってどうにも眠い。
ソファーで昼寝。
気が付いたら18時近く。イタリアの再放送を見る。
ブラタモリは熊野の続き。
 
夜は先日の鍋の残りの鶏団子でミートソースをつくってペンネを茹でる。
お風呂を沸かして入る。

8mmフィルムの現像のことなど

昨日の続き。
学生時代の出来事を書くことになるので、いくつか思い出してみる。
(…が、細かいことの多くが曖昧に。もっと前に記憶を残しておけばよかった)
 
・当時、1990年代半ば、8mmのフィルム代と現像代を足して、
 1本3分ちょいが2,000円ぐらいだっただろうか。3日ほどかかったか。
 国立に富士フィルムのシングル8が現像できる店があった。
 カメラは「ZC1000」が部室に3台ぐらいいあったかな。2台は確実にあった。
 先輩たちがヨドバシとかで見つけて中古で買ったのかな。
 フィルムもヨドバシで買ってた。
(そういえば俳優・監督の鈴木卓爾氏がぴあフィルムフェスティヴァルで入賞した作品
「にじ」っていうのが自撮り映画で、ヨドバシでフィルムを万引きする場面があったと思う)
 
・その国立の店でも富士フィルムの現像ができなくなって取り次ぎのみ、
 遠くの現像所に出すので戻ってくるまで1週間以上かかるようになった。
 僕が卒業するころには現像代が上がって、3,000円ぐらいになっていたような…
 いつかその日が来るだろうなと思っていたら、90年代末だったか、
 富士フィルムが国内での現像の受付を終えた(か、学生には手が出せない金額となった)。
 この辺り、はっきりと覚えていない。
 先輩の一人はハワイの現像所に送っていた。
 あれは富士フィルムではなくコダックだったか。
 
・ちなみにフィルムは同録と、
 サイレントで撮影して現像したときにアフレコ用の音声トラックを足すのとがあった。
 前者の方が楽なようでいて、カメラにマイクを挿して撮ると音があんまりよくなかった。
 カメラの回転音が入ったり、ノイズが多い。
 なので技術力のある先輩たちはアフレコしていた。
 映写機にマイクを挿して録音できるんだったか。
 でも、映写機の回転する音も入ってしまうのでそれを防ぎつつ…、
 といういろんなテクニックが当時あったように思う。
 
・主な上映の場は「中野ZERO」といったホールを借りての自主上映会か、学園祭。
 学園祭は教室のひとつを借りて。
 学園祭の実行委員会を通じて暗幕を倉庫から借りて教室の窓という窓を全部覆ってガムテープで固定する。
 ガムテープは撮影所用語なのか「ガバチョ」と呼ばれていた。
 机は事前に調整しておくと実行委員会が運び出してくれていたんだったか。
 それとも僕らがどこかの部屋に運んだのか。教室の後ろの方に積み上げたのか。
 長椅子だけが並んだ状態をつくる。
 部屋のまんなかに机を置いてそこに映写機を置き、黒板のところにはスクリーンを。
 ビデオでの上映の場合は隅の方にビデオデッキ。映写機の代わりにプロジェクター。
 
・学園祭の前は各監督が部室に詰めて徹夜で編集を。
 一部屋に最大で4・5人ぐらいが同時並行ということがあったか。
 とはいえ機材が限られているから、一人がぶっ倒れて寝ている間に
 一人がスプライサーというフィルムをテープでつなげる機材を使ったり、
 つなげたフィルムを映写機で試しに上映してみたりと。
 学園祭当日の朝、部室に用があって行ってみると何人か死んでて
 その周りにはコンビニの弁当箱やペットボトル、丸めたティッシュペーパーが散乱している…
 

次に書くもの

次に書く小説が少しずつ形になってきた。
大学を出て20年。
学生時代に映画製作サークルに属していた5人が再会して、一夜だけの撮影を行う。
夜新宿で落ち合って、かつて何度も撮影しに行った千葉の内房の海へと車で向かう。
道中いろんなことがあって、砂浜に着いても撮影はうまくいかなくて、
やがて夜明けを迎える。
 
皆40代になった。今も映画を志しているのは1人、「監督」だけ。
四畳半のボロアパートに住み続け、
夜勤の薬局バイトとスーパーの品出しのバイトで食いつないでいる。
映画を撮るために金が必要になるとシフトを調節して治験バイトへ。
一番軽いのしかやってないと本人は言うが、髪の毛がなくなったのはその影響か。
本人はいつ死んでもいい、という。
学生時代は8ミリで撮っていて、国内で現像できなくなるとビデオ。
やがてデジタルへ。しかし最新の技術に追随できたのもそこまでで、
iPhone で動画を撮影して、というのは疎い。そもそもガラケー
学生時代、仲間内では才能があると思われていたが、コンテストで入賞したことはない。
そこまでのものは持っていなかった。
それでも映画を撮り続けるのは、諦めきれずに夢を追っているからなのか、
それとも人生他になく惰性なのか。
 
主演女優。20代のうちは働いていたが、IT企業の経営社と出会い結婚、専業主婦へ。
2児の母。私立のいいところに入れている。
大きな家に住んで週に2回家政婦に来てもらって、人生何の不満もないが、ときめくものもない。
旦那の会社も最近陰りが見え始めている。
演劇をやりたくて地方から上京してきた。
演劇サークルに属していたが、映画サークルの撮影によく呼ばれて何本も主演を。
当時の演劇・映画サークルでは場違いなくらいの美人だった。
自分には演劇の才能はないと早々と見切りをつけた。
夢は見ない。現実だけを見ようとする。
夢を追い求める人への憧れがある。
 
主演男優。学生時代はルックスがよくてモテモテだったが、ただそれだけ。
たまたま縁があって映画サークルに入って何本も主演を。しかし映画に詳しいわけではない。
今は営業の仕事を。向いてはいるし、それなりの成績を上げている。
大企業に入ったが、このままでいいのかと悩み始めている。
実際、上には上がいる。同期で先に営業部長になった者もいる。
10年前に職場結婚。無理なローンを組んで家を買った。
子供は1人。その教育費もどうするか。
スポーツ全般が得意だが、今は特に何もしていない。週末のジョギングぐらい。
金もかからないし、と本腰を入れ始めて40代になってマラソン大会にも出るようになった。
付き合い程度でゴルフもやる。
今回の撮影では(これも最近ローンで買った)SUVを運転する。
 
もう一人の女優。ズバズバ、というかズケズケものを言うタイプ。
大学卒業後、小さな出版社に入って雑誌の編集を。
独身。仕事が忙しすぎて常にお疲れ気味。
それでいてバイタリティーもあるので週末はピラティスをやったり、食べ歩いたりともっと忙しい。
学生時代からそんなタイプだった。とにかくよく喋る。
演技がうまいというよりも個性派俳優的な脇役として欠かせなかった。
学生時代は主演男優のことが好きで、告白したがうまくいかなかった。
今はそのことも笑い話として話す。
このまま雑誌の編集として生きていくのだろうか、と思っていたところで初期の癌が見つかる。
腎臓癌。そのことはまだ誰にも言っていない。
そうか…、と思ったところで今回の映画の撮影の話が来た。
 
「僕」は小説家を目指して上京、なんとはなしに映画サークルに入った。
学生時代、自分でも2本監督した。
合宿をしたり遠くに出かけたりと撮影は楽しかったが、才能はなかった。
学園祭で上映して終わり。
ITバブルが始まりの頃だったのでIT企業に入ってシステムエンジニアとして働く。
結婚する気もなく出世する気もなく、将来的に何をどうしたいというのもない。
40代を過ぎていまだモラトリアムの中。仕事ができない、というのでもない。
同じアパートにずっと住み続けて、酒を飲んで週末たまに映画を見てというだけの日々。
学生時代は主演女優のことが好きだったが、告白できずにいた。
今回の一件ではビデオカメラでの撮影と、マイクで音声を拾ってヘッドホンで確認するのを頼まれる。